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ヲコトトハ

2016-07-15 | 日本語百科
訓読の点図に、ヲコト点またテニヲハ点がある。>乎古止点は、平安時代の初期(800ころ)に奈良の学僧によって考案されたらしい。当初は漢字漢文の読みを手早く書き入れるための実用的なものであったが、中世に入ると自説を他の流派に知られぬための秘密の符号と考えられたこともあった。平安時代には、仮名とともに漢文の訓点の記入に盛んに使用された乎古止点も、鎌倉時代に入るとしだいに衰え、江戸時代には一部を除いてほとんど用いられなくなった。ニッポニカの解説 乎古止点 月本雅幸による  漢文訓読が、いつから、どのように行われたか、それは漢籍の伝来とともに行われたのであるか、漢文という分野その漢籍によって特定すると奈良時代、600年代にすでに行われたとするが、時代が下って平安初期に考案されて、仏家によったとする説明がある。


ウイキペディア 漢文訓読

漢文訓読は9世紀頃までは個々の間で比較的自由に解釈されていたと見られている。ところが、10世紀に入ると家学(お家流)の成立によって菅原氏・大江氏・藤原氏など紀伝道・明経道のそれぞれの家(いわゆる「博士家」)で漢文訓読の流派が成立し、更にそれぞれの一族内でも家系によって訓読方法が異なる例もあった。また同様に、漢文経典を採用していた仏教の宗派間でも経典の訓読方法が宗教的な論争に至る例もあった。とはいえ、漢文訓読体という1つの表現手法が広く日本社会で受容されたのがこの時期であったのも事実である。13世紀に宋学や禅宗が伝来すると、当初はこれらも従来の漢文訓読で解釈されていた。

>漢文訓読文は奈良時代から行われていたことが、『続日本紀』宣命から推定されている。また、『枕草子』や『源氏物語』などにも漢文訓読文からの引用部分が見られる。中世以後、初学者や民衆向けに漢文訓読体で書かれた歴史書や儒学書、仏教経典などが現れるようになったほか、軍記物語などにも影響を及ぼしている。江戸時代には庶民向けを中心に広く定着した。なお、明治から昭和後期にかけて公文書や新聞・雑誌に用いられた「普通文」と呼ばれる文語文(文語体日本語)は漢文訓読体の影響を受けて発達した文体であると考えられている。



http://kambun.jp/izanai/04-12rekishi.htm
漢文と日本文化 > 漢文訓読の歴史

『群書類従』の巻四百九十五(第二十八輯)にある『諸家点図(しょけてんず)』の一部です。これは、「ヲコト点」の実例を集めた資料として有名なものですが、『群書改題』の築島裕博士の解説によれば、錯脱が多く、あまり役に立たないとのことです(『群書改題』第八巻、138ページ)。



学研全訳古語辞典
>ヲコト点
分類文芸
「乎己止点」とも書く。漢文を訓読するために漢字に付けた、点・線・かぎ形などの符号。現在の返り点・送り仮名に当たるものや、助詞・助動詞、音読・訓読の別などを示した。漢字の四隅や中央に朱や青で書き入れ、たとえば、漢字の右上に点があれば「…ヲ」と読む。平安時代初期から鎌倉時代にかけて、僧の間で経典を読むために盛んに行われた。いろいろな形式があるが、その一つの博士家点(はかせけてん)では、右肩の上・中の点が「ヲ」「コト」を表したのでこの名称がある。「テニヲハ点」「テニハ点」とも、単に「点」ともいう。


漢文訓読
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/12 05:14 UTC 版)

乎古止点(乎己止点・ヲコト点)
漢字の周りや内部に点や棒線などの符号をつけることによって、その符号の位置で助詞や助動詞などを表し、音節など区切りを示して訓読の補助にする。博士家点[4]の右上から時計回りに「ヲ、コト、ト、ハ、…」となることから乎古止点と呼ばれる。



日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
乎古止点
おことてん

中田祝夫(のりお)は点図集所載の点法を八つのグループに大別し、第一群点から第八群点まで

点法の名称をあげれば、第一群点――西墓(にしはか)点、第二群点――喜多院(きたのいん)点、第三群点――東大寺三論宗(さんろんしゅう)点、第四群点――天仁波流(てにはる)点、第五群点――円堂点・紀伝点・明経(みょうぎょう)点、第六群点――叡山(えいざん)点、第七群点――宝幢院(ほうどういん)点、第八群点――順暁和尚(じゅんぎょうわじょう)点


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