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比叡山の旅はドライブで

2017-11-04 | 木瓜日記
初公開をするというので、ドライブに出かけた。釈迦堂の特別開帳、何をかというと、三十三年ぶりの公開となる御本尊の木像、釈迦如来立像、守護する東西南北に四天王像、そして、それこそ、何百年も開くことのなかった、案内の僧侶は430年とか言っていた、四つのお社、文殊菩薩、元三大師、山王七社、八所明神が内陣にあり、それらの扉も初めて開かれたとしている。神仏習合の悠久の歴史を文殊菩薩、山王七社の社の初公開で知るというものである。根本中堂は10年間の改修工事に入っていた。平成38年まで、、ああ、年号は変わるか。往路復路ともに高速道路と湖西の比叡山有料道路を走った。市街地の混雑を走ることがない、片道は休憩時間を入れて3時間、渋滞になると、とくに新名神道路のアクセスには30分か、それ以上のノロノロ運転となる。晴れていて良い天気だった。比叡山は見ごろのもみじになり、山へ上がると気温が数度下がった。山頂は時雨れになるかと思って、冷たい空気であった。


http://www.hieizan.or.jp/keidai/saitou
西塔は本堂にあたる釈迦堂を中心とする区域です。
東塔から北へ1キロメートルほどのところにあり、第2世天台座主寂光大師円澄によって開かれました。本堂は釈迦堂(転法輪堂)です。他に修行のお堂であるにない堂や伝教大師最澄上人の御廟所である浄土院などがあります。

http://www.hieizan.or.jp/repair
祖師先徳鑽仰大法会記念事業 根本中堂大改修

根本中堂の歴史
788年 (延暦7年) 伝教大師により「一乗止観院」創建(中央に薬師堂・北に文殊堂・南に経藏)
823年 (弘仁14年) 嵯峨天皇より延暦寺に寺号を賜り「根本中堂」と改称
887年 (仁和3年) 9間4面の大堂に改修(智証大師の時代)
980年 (天元3年) 谷を埋め立て現在と同規模11間の大堂に改修し廻廊や中門を新造(慈恵大師の時代)
1571年 (元亀2年) 織田信長の焼き討ちにより焼失
1585年 (天正13年) 仮堂建立
1642年 (寛永19年) 江戸幕府三代将軍徳川家光により9年の歳月をかけて再興
1798年 (寬政10年) 本堂屋根栩葺を銅板葺に変更
1955年 (昭和30年) 昭和の大改修(半解体修理)
2016年 (平成28年より) 平成の大改修(10年間の予定)


http://www.hieizan.co.jp/kenbunroku/hakkei.html
奥比叡八景>
西塔 弁慶のにない堂 義経都落ちの道
比叡山西塔には法華堂(ほっけどう)と常行堂(じょうぎょうどう)が並んで建つ。ふたつの堂はわたり廊下で結ばれ、かつて西塔・武蔵坊にいた荒法師で源義経の腹心となった弁慶が、このわたり廊下を担ったと伝わる。
常行堂は阿弥陀如来を本尊とし、90日間本尊のまわりを行道しながら念仏する行、「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」のために建てられた。一方、法華堂は「半行半坐三昧(はんぎょうはんざざんまい)」のためのもので、普賢菩薩を本尊として、法華経を誦しては周旋行堂し、坐しては中道実相を思惟(しゆい)することを目的とする。
弁慶ゆかりのわたり廊下をくぐると石段の向こうに釈迦堂が見えてくる。
奥比叡ドライブウェイ 西塔駐車場より 徒歩3分

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