現代日本語「誤」百科 849 足元が見られる を、例題にしている。
ひもとく 日本「誤」百科 というコラムに、日本語新百科をこしらえようとして、日本語はどうなっているかと、日本語百科を書いてしまいました。コラムの著者には解説を簡潔に書いていくという制約があるでしょう。ご苦労を思いつつ、このようなブログを書くきっかけをくださって謝いたします。
849 足元が見られる を、例題にしている。
足元を見られた と言うのは、日本語の受け身の特徴である。~は を使うと、わたしは足元を見られた となる。これは、わたしの足元を見た について、わたしの足元が見られた となる。所有者の受け身として、わたしの と言うのが、わたしは と言うことで、わたしは(わたしの)足元が見られた というふうに言うことができる。文脈上、この わたしは にあたる表現があれば、表題のように切り取って使うことがある。ただし、足元を見られる と言う慣用表現があり、これについてまとまった言い方になるので、用例検索では表題がヒットしないようである。
ひもとく 日本「誤」百科 というコラムに、日本語新百科をこしらえようとして、日本語はどうなっているかと、日本語百科を書いてしまいました。コラムの著者には解説を簡潔に書いていくという制約があるでしょう。ご苦労を思いつつ、このようなブログを書くきっかけをくださって謝いたします。
849 足元が見られる を、例題にしている。
足元を見られた と言うのは、日本語の受け身の特徴である。~は を使うと、わたしは足元を見られた となる。これは、わたしの足元を見た について、わたしの足元が見られた となる。所有者の受け身として、わたしの と言うのが、わたしは と言うことで、わたしは(わたしの)足元が見られた というふうに言うことができる。文脈上、この わたしは にあたる表現があれば、表題のように切り取って使うことがある。ただし、足元を見られる と言う慣用表現があり、これについてまとまった言い方になるので、用例検索では表題がヒットしないようである。