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ドラマを見る、包青天

2018-08-06 | BS放送
アジアドラマ、開封府、かいほうふ、北宋の首都名がタイトルになっている。宋の時代は、北宋、南宋に分かれる。それぞれ首都が開封と臨案になる。唐が滅び、960年に再び統一したのが宋であるが、1127年までを北宋、それ以後は南宋である。

>その人気はTVドラマ、包青天 による部分も大きい。これは、名判官の包拯が公正無私で情け容赦なく悪人を裁き、民衆を助けるというお約束の展開をもつ、勧善懲悪物の時代劇である。日本で言えば水戸黄門、大岡越前、遠山の金さんなどに相当する存在である。「大岡政談」の「縛られ地蔵」は包拯故事が元であるとされる。また、包拯は黒い顔で額に三日月の傷があるという特徴的な容姿を備え、これは罪に対して秋霜烈日であることを象徴する。

【中華圏では超有名!?】名裁判官・包拯(ほうじょう)とは?チャンネル銀河 歴史トリビア

物語の舞台は、北宋時代の首都・開封(かいほう)
北宋といわれても中国史に興味がない人にはピンと来ないかも知れませんが、日本でも有名な武則天や楊貴妃が活躍した唐が滅び、いくつもの国が乱立した中国を960年に再び統一したのが宋でした。しかし1127年、異民族の金という国に北方の領土を奪われ、首都を開封から南東の臨安(現在の杭州)に移したことから、それ以前の開封が首都だった167年間の宋時代のことを北宋、首都を移してからを南宋と呼び分けています。

『開封府ー北宋を包む青い天ー』は3代皇帝・真宗から4代皇帝・仁宗時代の物語ですので、日本ではちょうど紫式部や清少納言が活躍していた1000年前後の平安時代の頃でしょうか。そういわれると遠い昔で身近に感じないかも知れませんが、この時代は侵攻してくる周辺の異民族に大金を払い平和を維持していたため、経済や文化が著しく発展していました。開封の通りには屋台が立ち並び、大道芸や講談などが行われ、飲食店では多くの人々が昼夜かまわずお酒やお茶を飲んでいたということで、現在の日本に少し似たところがあるかもしれません。

史実の包拯(999年~1062年)は、中国安徽省の合肥で官僚の家庭に生まれました。29歳で難関の科挙(エリート官僚を選抜する試験)に合格しましたが、親孝行をするために役人を辞め、両親の死後39歳で再び役人となりました。各地の役所の長官を歴任しましたが、賄賂を取らない清廉潔白な官吏で、性格は剛直、滅多に笑わず、生活は質素、物事には筋を通し、公正で権力者にも容赦ない裁きをしたと伝えられ、当時から庶民に人気がありました。晩年に開封府の長官も務めましたが、64歳で病没したそうです。






ウイキペディアより

包拯(ほうじょう、ほうしょう、999年 - 1062年)は、中国・北宋の政治家。廬州合肥(安徽省)の出身。字は希仁、諡は孝粛である。包公、包待制、包青天とも呼ばれ、中華圏では子供から老人まで、あらゆる世代に知られた人物である。

包拯の生涯は、北宋の3分の1以上の歴史を占める北宋の真宗、仁宗の2代67年に重なる。在位期間は、真宗が26年(997年 - 1022年)、仁宗が42年(1022年 - 1063年)である。

包拯は仁宗の時代に仕え、科挙試験で進士に及第し、大理評事、建昌知県、枢密副使にまで昇り詰めた。その間約26年に数多くの職を経ている。

包拯については、宋代に書かれた「仁宗実録・包拯附伝」と元代に書かれた『宋史』包拯伝[1]の2つの歴史書があるが、両者とも記載は比較的簡単なものである。このうち正史である『宋史』包拯伝によれば、包拯が右司郎中として開封府尹代理を務めていた頃、極めて厳格で、権力があった宮中の貴族や宦官ですら恐れずに賄賂を摘発したので、非常に恐れられたという。民衆からは「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ(めったにない)」とか、「関節(賄賂)到らず、閻魔包公有り」(閻魔の包さんがいる限り賄賂は通用しない)など、子供でも包拯のことを知っており、大変人気があったという。

そして、宋元代には講談の種本である「話本」、古典地方劇の「戯文」や「雑劇」「鼓子詞(こしし)」、明清代には語り物の一種である「詞話」や「白話小説」「公案小説(中国語版)」などにより、特色ある文化現象として形成される。

最も早く包公故事を文学の領域まで踏み込ませたのが、宋代に広く民衆に人気のあった「説唱」と呼ばれる、語りと歌をあわせた芸能から発展した「説話」であった。宋代には、都市の経済と文化が繁栄しており、北宋の開封や南宋の杭州のような大都市では、役人から商人、職人など幅広い階層の人々が集まり、雑劇、舞踏、鼓子詞や話本の発達をみた。その中でも「話本」は、主に「小説」と、歴史物語である「講史」に分かれ、小説は講史より内容が短く題材の幅が広い。小説には妖怪、伝説、神仙、妖術、公案(事件裁判もの)などがあり[14]、宋代に撰述された「公案小説」は10篇ほどが伝わっている[15]。

包公の公案小説は「合同文字記[16]」と「三現身包龍図断冤[17][18]」の2篇があるが、いずれも宋代の刊本は残存せず明代に編纂された六十家小説や三言二拍などに採録されたものである。



開封府(かいほうふ)-北宋を包む青い天- | チャンネル銀河
https://www.ch-ginga.jp/feature/kaihofu/
北宋時代末期に活躍し、その清廉潔白で公正無私な姿から、中国史上で最も愛された名裁判官・包拯(ほうじょう)。現在も人々から尊敬をこめて「包青天」「包公」と呼ばれ、その人気ぶりはあの諸葛孔明や関羽にも引けをとらない偉大な人物だ。



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