孔子ドラマを見て、論語、衛霊公をひもといた。
中国歴史ドラマでの孔子の描き方は興味深い。
これは等身大の姿ということで、生涯をたどる。
あと数話で終わる。
今回も、前回に続いて放浪する孔子である。
南子が登場する。
古代の歴史において中国ドラマの風景は相対的に色がない。
それを孔子ドラマはまた掘り下げて描くかのようである。
宋の幵官氏との出会いから結婚に、また、衛の霊公の夫人、南子に招かれて対面にと、そのようすがある。
それは、ドラマの始め、孔子にまつわる出自の展開に見えたことであった。
さて、孔子は57歳、衛の旅には、衛の霊公と会見して、ここに滞在、<子路第十三321>(冉有27才) 孔子を中傷する者の意見を聞いた霊公が、孔子を監視するに至った為、衛を去る。
そしてまた、58歳、風聞が絶えない衛の霊公の夫人、南子に招かれて対面、弟子の子路は不快だったが、孔子は「やましいことはない」と弁明、<雍也第六 148>(子路51才)、
さらにまた、同じ年か、霊公は南子と宦官と孔子を馬車にのせ、これ見よがしに市場を視察するのを見て孔子はこの様子を恥じる<子罕第九226> <衛霊公第十五401>とある。
孔子年表 http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/nenpyou2.htm
ここに、衛霊公第十五を披くと次のようである。
子曰、已矣乎。吾未見好徳、如好色者也。
孔子云う、「どうしようもないなあ!私はまだ色事を好む程熱心に徳の修養に励む者を見た事がない」と。
これをつぎの、子罕第九226章と関係して、説明する向きがあるが、いささか、うわべに過ぎた理解だろう。
訳文は、上記ともに、これによる。http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-15-401.htm
子曰、吾未見好徳如好色者也。
子云う、「私はまだ、色ごとを好むように、徳を好む人を見たことがない」と。
この言葉の理解を確かめようと、この霊公篇をよんで、次の語にあたる。
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。子曰、其恕乎。己所不欲、勿施於人也。
子し貢こう問とうて日いわく、一言いちげんにして以もって身みを終おうるまで之これを行おこなうべき者もの有ありや。
子し日のたまわく、其それ恕じょか。
己おのれの欲ほっせざる所ところ、人ひとに施ほどこすこと勿なかれ。
この恕のことばに、どのような理解を得るだろう。
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-15-412.htm
>ですから、恕イコール「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」ではないんですね。「恕とは、喩えてみればこういうことだ」という比喩なんです。ここを勘違いしている人が随分多くて、「孔子の教えは恕の一語に尽きますね!」などと断言する人に時々出会いますが、私にはとてもそんな勇気がない。
論語にたった一回しか出て来ない「孔子の恕」とは一体何なのか?正直云って私ごときにはまだよく分からないのです。通釈では、孔子の恕を一応「相手の身になって、思い・語り・行動することだ!」と訳しましたが、自信がありません。
これは解説の述べるとおりである。
恕は許すことである。
しかしまた、恕はうけいれることである。
相手を受け容れることの、その思いは、仁恕となる。
大辞林 第三版の解説
じんじょ【仁恕】
①あわれみ深くおもいやりがあること。
②あわれんで罪過をゆるすこと。
デジタル大辞泉の解説
じん‐じょ 【仁×恕】
1 情け深く、思いやりがあること。
2 相手をあわれんで罪を許すこと。
ひとつの解説にあるところ、けだし、である。
http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_si/goi_si_21.html
>ゆるす、おもいやる、はかる。
恕とは如の心、即ち、一切を包容して進歩向上せしめんとする心のこと。
説文解字の心部には「仁なり。心に従い如を声とす」とあり、その言葉の通り恕は仁に近い。
ただ、仁と異なるのは中せんとする心、即ち「忠」の有無である。
大学に「仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪む」とあるが、「恕」だけではこの「能く悪む」という部分の存在が欠如しているが故に、包容した上で向上せしめんとはしても、そこに甘んじてしまう者にとっては単なる愛と変わらなくなってしまう。
論語に「夫子の道は忠恕のみ」とある所以である。
なお、恕は如+心であるが、如の字解には複数説ある。
中国歴史ドラマでの孔子の描き方は興味深い。
これは等身大の姿ということで、生涯をたどる。
あと数話で終わる。
今回も、前回に続いて放浪する孔子である。
南子が登場する。
古代の歴史において中国ドラマの風景は相対的に色がない。
それを孔子ドラマはまた掘り下げて描くかのようである。
宋の幵官氏との出会いから結婚に、また、衛の霊公の夫人、南子に招かれて対面にと、そのようすがある。
それは、ドラマの始め、孔子にまつわる出自の展開に見えたことであった。
さて、孔子は57歳、衛の旅には、衛の霊公と会見して、ここに滞在、<子路第十三321>(冉有27才) 孔子を中傷する者の意見を聞いた霊公が、孔子を監視するに至った為、衛を去る。
そしてまた、58歳、風聞が絶えない衛の霊公の夫人、南子に招かれて対面、弟子の子路は不快だったが、孔子は「やましいことはない」と弁明、<雍也第六 148>(子路51才)、
さらにまた、同じ年か、霊公は南子と宦官と孔子を馬車にのせ、これ見よがしに市場を視察するのを見て孔子はこの様子を恥じる<子罕第九226> <衛霊公第十五401>とある。
孔子年表 http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/nenpyou2.htm
ここに、衛霊公第十五を披くと次のようである。
子曰、已矣乎。吾未見好徳、如好色者也。
孔子云う、「どうしようもないなあ!私はまだ色事を好む程熱心に徳の修養に励む者を見た事がない」と。
これをつぎの、子罕第九226章と関係して、説明する向きがあるが、いささか、うわべに過ぎた理解だろう。
訳文は、上記ともに、これによる。http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-15-401.htm
子曰、吾未見好徳如好色者也。
子云う、「私はまだ、色ごとを好むように、徳を好む人を見たことがない」と。
この言葉の理解を確かめようと、この霊公篇をよんで、次の語にあたる。
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。子曰、其恕乎。己所不欲、勿施於人也。
子し貢こう問とうて日いわく、一言いちげんにして以もって身みを終おうるまで之これを行おこなうべき者もの有ありや。
子し日のたまわく、其それ恕じょか。
己おのれの欲ほっせざる所ところ、人ひとに施ほどこすこと勿なかれ。
この恕のことばに、どのような理解を得るだろう。
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-15-412.htm
>ですから、恕イコール「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」ではないんですね。「恕とは、喩えてみればこういうことだ」という比喩なんです。ここを勘違いしている人が随分多くて、「孔子の教えは恕の一語に尽きますね!」などと断言する人に時々出会いますが、私にはとてもそんな勇気がない。
論語にたった一回しか出て来ない「孔子の恕」とは一体何なのか?正直云って私ごときにはまだよく分からないのです。通釈では、孔子の恕を一応「相手の身になって、思い・語り・行動することだ!」と訳しましたが、自信がありません。
これは解説の述べるとおりである。
恕は許すことである。
しかしまた、恕はうけいれることである。
相手を受け容れることの、その思いは、仁恕となる。
大辞林 第三版の解説
じんじょ【仁恕】
①あわれみ深くおもいやりがあること。
②あわれんで罪過をゆるすこと。
デジタル大辞泉の解説
じん‐じょ 【仁×恕】
1 情け深く、思いやりがあること。
2 相手をあわれんで罪を許すこと。
ひとつの解説にあるところ、けだし、である。
http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_si/goi_si_21.html
>ゆるす、おもいやる、はかる。
恕とは如の心、即ち、一切を包容して進歩向上せしめんとする心のこと。
説文解字の心部には「仁なり。心に従い如を声とす」とあり、その言葉の通り恕は仁に近い。
ただ、仁と異なるのは中せんとする心、即ち「忠」の有無である。
大学に「仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪む」とあるが、「恕」だけではこの「能く悪む」という部分の存在が欠如しているが故に、包容した上で向上せしめんとはしても、そこに甘んじてしまう者にとっては単なる愛と変わらなくなってしまう。
論語に「夫子の道は忠恕のみ」とある所以である。
なお、恕は如+心であるが、如の字解には複数説ある。