孔子33話 衛霊公
孔丘の前に、晋にいるはずの陽虎が兵を率いて現われる。彼は一緒に晋で働かないかと誘うが、孔丘はきっぱりと断る。衛の霊公は「孔丘を行かせたことを後悔している、戻ってくれ」と使者を送り、自ら彼を出迎えた。しかし、孔丘に政の話を聞きたいと呼び出した霊公は、話を聞きながら居眠りを始める。形ばかりの官職と禄をもらって衛に留まる孔丘の姿に、子路をはじめとした弟子たちはまた南子との関係を疑い……。wowowオンライン
子曰、已矣乎、吾未見好徳如好色者也、
子曰く、已んぬるかな、吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也、
子貢問いて曰く、一言にして以て終身これを行うべき者ありや。子曰く、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施すことな勿かれ(なかれ)。
http://kanbun.info/keibu/rongo1806.html
論語 微子第十八 6
18-06 長沮桀溺。耦而耕。孔子過之。使子路問津焉。長沮曰。夫執輿者爲誰。子路曰。爲孔丘。曰。是魯孔丘與。曰。是也。曰。是知津矣。問於桀溺。桀溺曰。子爲誰。曰。爲仲由。曰。是魯孔丘之徒與。對曰。然。曰。滔滔者。天下皆是也。而誰以易之。且而與其從辟人之士也。豈若從辟丗之哉。耰而不輟。子路行以告。夫子憮然曰。鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒。與而誰與。天下有道。丘不與易也。
下村湖人(1884~1955)は「長沮ちょうそと桀溺けつできの二人が、ならんで畑を耕していた。巡歴中の先師がそこを通りかかられ、子路に命じて渡場をたずねさせられた。すると長沮が子路にいった。あの人は誰ですかい。あの車の上でいま手綱をにぎっているのは。子路がこたえた。孔丘こうきゅうです。長沮――ああ、あの魯の孔丘ですかい。子路――そうです。長沮――じゃあ、渡場ぐらいはもう知っていそうなものじゃ。年がら年中方々うろつきまわっている人だもの。そこで子路は今度は桀溺けつできにたずねた。すると桀溺がいった。お前さんはいったい誰かね。子路――仲由ちゅうゆうと申すものです。桀溺――ほう。すると、魯の孔丘のお弟子じゃな。子路――そうです。桀溺――今の世の中は、どうせ泥水の洪水みたようなものじゃ。お前さんの師匠は、いったい誰を力にこの時勢を変えようとなさるのかな。お前さんもお前さんじゃ。そんな人にいつまでもついてまわって、どうなさるおつもりじゃ。この人間もいけない、あの人間もいけないと、人間の選り好みばかりしている人についてまわるよりか、いっそ、さっぱりと世の中に見切りをつけて、のんきな渡世をしている人のまねをしてみたら、どうだね。桀溺はそういって、まいた種にせっせと土をかぶせ、それっきり見向きもしなかった。子路も仕方なしに、先師のところに帰って行って、その旨を話した。すると先師はさびしそうにしていわれた。世をのがれるといったところで、まさか鳥や獣の仲間入りもできまい。人間と生れたからには、人間とともに生きていくよりほかはあるまいではないか。私にいわせると、濁った世の中であればこそ、世の中のために苦しんでみたいのだ。もし正しい道が行なわれている世の中なら、私も、こんなに世の中のために苦労はしないのだ」訳している(現代訳論語)。
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-18-476.htm
夫子ふうし憮然ぶぜんとして日のたまわく、鳥獣ちょうじゅうは與ともに群ぐんをおなじくすべからず。吾斯われこの人ひとの徒とと與ともにするに非あらずして、誰だれと與ともにかせん。天下てんか道みち有あらば、丘きゅうは與ともに易かえざるなり
孔子は憮然とした表情で、「世を避けて生きると云っても、どうして人が鳥や獣と一緒に暮らして行けようか。この現実社会で必死に生きている人々を無視して、一体誰と一緒に生きよというのか。そんなことは私には出来ない。もし天下に正道が踏み行なわれ、人々が幸せに暮らしてゆける世の中であったなら、何を好き好んで社会を変革しようなどとするものか!」と云った。
http://blog.goo.ne.jp/ronngo0904/e/da88d6f5642fdcef29054118b4f0b348
長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)、耦(ぐう)して耕(たがや)す。孔子(こうし)之(これ)を過(す)ぎ、子路(しろ)をして津(しん)を問(と)わしむ。長沮(ちょうそ)曰(いわ)く、夫(か)の輿(よ)を執(と)る者(もの)は、誰(だれ)と為(な)すと。子路(しろ)曰(いわ)く、孔丘(こうきゅう)と為(な)すと。曰(いわ)く、是(こ)れ魯(ろ)の孔丘(こうきゅう)かと。対(こた)えて曰(いわ)く、是(これ)なりと。曰(いわ)く、是(これ)ならば津(しん)を知(し)らんと。桀溺(けつでき)に問(と)う。桀溺(けつでき)曰(いわ)く、子(し)は誰(だれ)と為(な)すと。曰(いわ)く、仲由(ちゅうゆう)と為(な)すと。曰(いわ)く、是(こ)れ魯(ろ)の孔丘(こうきゅう)の徒(と)かと。対(こた)えて曰(いわ)く、然(しか)りと。曰(いわ)く、滔滔(とうとう)たる者(もの)、天下(てんか)皆(みな)是(こ)れなり。而(しこう)して誰(だれ)と以(とも)にか之(これ)を易(か)えん。且(か)つ而(なんじ)其(そ)の人(ひと)を辟(さ)くるの士(し)に従(したが)わん與(より)は、豈(あに)世(よ)を辟(さ)くるの士(し)に従(したが)うに若(し)かんやと。耰(ゆう)して輟(や)まず。子路(しろ)行(ゆ)きて以(もっ)て告(つ)ぐ。夫子(ふうし)憮然(ぶぜん)として日(のたま)わく、鳥獣(ちょうじゅう)は與(とも)に羣(むれ)を同(おな)じくす可(べ)からず。吾(われ)斯(こ)の人(ひと)の徒(と)と與(とも)にするに非(あら)ずして、誰(だれ)と與(とも)にせん。天下(てんか)道(みち)有(あ)らば、丘(きゅう)與(とも)に易(か)えざるなりと。
孔丘の前に、晋にいるはずの陽虎が兵を率いて現われる。彼は一緒に晋で働かないかと誘うが、孔丘はきっぱりと断る。衛の霊公は「孔丘を行かせたことを後悔している、戻ってくれ」と使者を送り、自ら彼を出迎えた。しかし、孔丘に政の話を聞きたいと呼び出した霊公は、話を聞きながら居眠りを始める。形ばかりの官職と禄をもらって衛に留まる孔丘の姿に、子路をはじめとした弟子たちはまた南子との関係を疑い……。wowowオンライン
子曰、已矣乎、吾未見好徳如好色者也、
子曰く、已んぬるかな、吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也、
子貢問いて曰く、一言にして以て終身これを行うべき者ありや。子曰く、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施すことな勿かれ(なかれ)。
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論語 微子第十八 6
18-06 長沮桀溺。耦而耕。孔子過之。使子路問津焉。長沮曰。夫執輿者爲誰。子路曰。爲孔丘。曰。是魯孔丘與。曰。是也。曰。是知津矣。問於桀溺。桀溺曰。子爲誰。曰。爲仲由。曰。是魯孔丘之徒與。對曰。然。曰。滔滔者。天下皆是也。而誰以易之。且而與其從辟人之士也。豈若從辟丗之哉。耰而不輟。子路行以告。夫子憮然曰。鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒。與而誰與。天下有道。丘不與易也。
下村湖人(1884~1955)は「長沮ちょうそと桀溺けつできの二人が、ならんで畑を耕していた。巡歴中の先師がそこを通りかかられ、子路に命じて渡場をたずねさせられた。すると長沮が子路にいった。あの人は誰ですかい。あの車の上でいま手綱をにぎっているのは。子路がこたえた。孔丘こうきゅうです。長沮――ああ、あの魯の孔丘ですかい。子路――そうです。長沮――じゃあ、渡場ぐらいはもう知っていそうなものじゃ。年がら年中方々うろつきまわっている人だもの。そこで子路は今度は桀溺けつできにたずねた。すると桀溺がいった。お前さんはいったい誰かね。子路――仲由ちゅうゆうと申すものです。桀溺――ほう。すると、魯の孔丘のお弟子じゃな。子路――そうです。桀溺――今の世の中は、どうせ泥水の洪水みたようなものじゃ。お前さんの師匠は、いったい誰を力にこの時勢を変えようとなさるのかな。お前さんもお前さんじゃ。そんな人にいつまでもついてまわって、どうなさるおつもりじゃ。この人間もいけない、あの人間もいけないと、人間の選り好みばかりしている人についてまわるよりか、いっそ、さっぱりと世の中に見切りをつけて、のんきな渡世をしている人のまねをしてみたら、どうだね。桀溺はそういって、まいた種にせっせと土をかぶせ、それっきり見向きもしなかった。子路も仕方なしに、先師のところに帰って行って、その旨を話した。すると先師はさびしそうにしていわれた。世をのがれるといったところで、まさか鳥や獣の仲間入りもできまい。人間と生れたからには、人間とともに生きていくよりほかはあるまいではないか。私にいわせると、濁った世の中であればこそ、世の中のために苦しんでみたいのだ。もし正しい道が行なわれている世の中なら、私も、こんなに世の中のために苦労はしないのだ」訳している(現代訳論語)。
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-18-476.htm
夫子ふうし憮然ぶぜんとして日のたまわく、鳥獣ちょうじゅうは與ともに群ぐんをおなじくすべからず。吾斯われこの人ひとの徒とと與ともにするに非あらずして、誰だれと與ともにかせん。天下てんか道みち有あらば、丘きゅうは與ともに易かえざるなり
孔子は憮然とした表情で、「世を避けて生きると云っても、どうして人が鳥や獣と一緒に暮らして行けようか。この現実社会で必死に生きている人々を無視して、一体誰と一緒に生きよというのか。そんなことは私には出来ない。もし天下に正道が踏み行なわれ、人々が幸せに暮らしてゆける世の中であったなら、何を好き好んで社会を変革しようなどとするものか!」と云った。
http://blog.goo.ne.jp/ronngo0904/e/da88d6f5642fdcef29054118b4f0b348
長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)、耦(ぐう)して耕(たがや)す。孔子(こうし)之(これ)を過(す)ぎ、子路(しろ)をして津(しん)を問(と)わしむ。長沮(ちょうそ)曰(いわ)く、夫(か)の輿(よ)を執(と)る者(もの)は、誰(だれ)と為(な)すと。子路(しろ)曰(いわ)く、孔丘(こうきゅう)と為(な)すと。曰(いわ)く、是(こ)れ魯(ろ)の孔丘(こうきゅう)かと。対(こた)えて曰(いわ)く、是(これ)なりと。曰(いわ)く、是(これ)ならば津(しん)を知(し)らんと。桀溺(けつでき)に問(と)う。桀溺(けつでき)曰(いわ)く、子(し)は誰(だれ)と為(な)すと。曰(いわ)く、仲由(ちゅうゆう)と為(な)すと。曰(いわ)く、是(こ)れ魯(ろ)の孔丘(こうきゅう)の徒(と)かと。対(こた)えて曰(いわ)く、然(しか)りと。曰(いわ)く、滔滔(とうとう)たる者(もの)、天下(てんか)皆(みな)是(こ)れなり。而(しこう)して誰(だれ)と以(とも)にか之(これ)を易(か)えん。且(か)つ而(なんじ)其(そ)の人(ひと)を辟(さ)くるの士(し)に従(したが)わん與(より)は、豈(あに)世(よ)を辟(さ)くるの士(し)に従(したが)うに若(し)かんやと。耰(ゆう)して輟(や)まず。子路(しろ)行(ゆ)きて以(もっ)て告(つ)ぐ。夫子(ふうし)憮然(ぶぜん)として日(のたま)わく、鳥獣(ちょうじゅう)は與(とも)に羣(むれ)を同(おな)じくす可(べ)からず。吾(われ)斯(こ)の人(ひと)の徒(と)と與(とも)にするに非(あら)ずして、誰(だれ)と與(とも)にせん。天下(てんか)道(みち)有(あ)らば、丘(きゅう)與(とも)に易(か)えざるなりと。