意味論 続々
意味論について言語学の意味論がたどったひとつに触れなければならないものがあると思われる。それは認知意味論である。認知するということは認知しない、認知できない、認知をもたない、失うと言ったことがあるので、注意をしたい。
認知言語学が1970年代に起こりその分野で認知意味論が唱えられた。
すでに4半世紀を超えるのでその認知も広まった。
認知はそもそも概念を利用しているとわたしは見たので心理分析はともかくさまざまに手法が出てくるとそれぞれに議論枠の中のことだと感じていた。だから概念としてのカテゴリーと認知のプロトタイプを相反するもののような当初の議論には反論があったが、それはまた、意味論の研究がまだ見られないなかではなばなしく言語学に押し寄せたような気もした。
概念を古い枠組みとしてみるのはよいがそれはそのままで役立つのは形式論理学が持つ外延と内包の操作で論理操作も可能でわかりよくするところもあったからであるが、どうもそういう議論にはなっていなかった。概念作用、概念操作という脳の働きを実体を見つけにくいものとしてしまったようだ。
認知の手法で意味分析をしていくとそれ相応の言語経験をもたないと解析された事柄を理解するのは難しいのである。
特に外国語学習にそれをもって説明するのは認知しない人に認知をあるかのように見せることになるので危険だと感じたことがある。
大辞林 第三版の解説
プロトタイプ【prototype】
〘言〙 一つのカテゴリーにまとめられる成員のうち,グループの中心をなすとみなされる典型。英語の鳥(bird)のプロトタイプの一例はコマドリ(robin)と言われる。
フリー百科事典ウイキペディアより
>認知は「統覚」と「連合」の二段階にわかれた処理である。統覚は、風景などの知覚から形を取り出す働きであり、その形が何であるのかを判断する働きが連合である。認知の障害が失認であり、見えたり聞こえたりすることはできてもそれが何であるか理解できない(連合の障害と統覚の障害とでは症状には差異がある)。見たものが認知できない視覚失認のほか、相貌失認・手指失認など様々な症状があり得る。
認知 同上
>心理学等で、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。
>
心理学・言語学・脳科学・認知科学・情報科学などにおける認知とは、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のことをいう。意識と同義に用いられることもある
感覚や知覚とならぶ深層の心理を表現し、外界にある対象を知覚し、経験や知識、記憶、形成された概念に基づいた思考、考察.推理などに基づいてそれを解釈する、知る、理解する、または知識を得る心理過程、情報処理のプロセスで認知科学では、人間の知的な働きをその応用側から、工学や医学、哲学、心理学、芸術学などの分野または学際分野から総合的に明らかにしようとする。
認知意味論とは - はてなキーワード - はてなダイアリー
d.hatena.ne.jp/keyword/認知意味論
認知意味論(cognitive semantics)
>認知言語学による意味研究。特にジョージ・レイコフ(『レトリックと人生』、『認知意味論』)、イヴ・スウィーツァー(『認知意味論の展開』)、レオナルド・タルミー(『Toward a Cognitive Semantics』)らの理論を指すことが多い。日本における研究としては、中右実(『認知意味論の原理』)、吉村公宏(『認知意味論の方法』)らの文献を参照。
意味構造とは自律的・恣意的なものではなく、身体経験をはじめとする日常経験に基盤を持つとする身体化(embodiment)の立場をとる。また、百科辞典的知識と言語的知識との間の区別に必然性を認めず、言語現象の分析は認知モデル(ICM)を参照しつつなされる。主要な研究領域として、カテゴリー化、認知文法、ドメイン、事象構造、メタファー、知識表現などがある。
※ ICM(Idealized Cognitive Model)=理想認知モデル(レイコフ『認知意味論』1987)。語の意味を決定するための背景情報のこと。同様の概念をフィルモアは、語の使用の適切さを規定する背景情報を「フレーム」と名づけ、ラネカーは「認知領域(cognitive domain)」と名づけた。
※ 記述にあたっては、『英語学要語辞典』(研究社)などを参考にした。
フリー百科事典ウイキペディアより
>ジョージ・レイコフを中心としたメタファー・メトニミー・イメージスキーマを用いて言語の実態を究明していく理論を特に認知意味論と言い、ロナルド・ラネカーを中心とした、概念化・用法基盤モデルから文法を構築していく研究を特に認知文法(cognitive grammar)と言うことがある。
>認知言語学はチャールズ・フィルモアの格文法やフレーム意味論、レイコフらが1970年代に提唱
>個々の研究者によってさまざまな違いはあるものの、以下の点で多くの認知言語学者はその理念を共有している(Croft and Cruse 2004)。
これまでほかの認知能力に還元できない生得的な言語知識として記述や説明がされてきた言語現象を、一般的な認知能力の発現として捉え、記述・説明を行っていく。
意味は静的なものではなく事態把握・語用論的面を含めたダイナミックな「概念化」として記述する。
言語の運用という面から言語の実態を見直す。
1.を重視するため、記号化、カテゴリー化、ゲシュタルト知覚、イメージスキーマ、身体性、メタファー・メトニミーなどから言語を記述説明する。また2.のテーゼより、図と地の分化、焦点化、プロファイル、推論などの作用によって言語の意味が発現するというスタンスにつながる。また3.はいわゆる「用法基盤モデル(usage-based model)」で、言語単位の定着・慣習化、頻度などの面から言語現象を分析し直すものである。その言語運用の立場から記述することで、これまでいわゆる言語知識(competence)と考えられてきたものが実は言語運用(performance)から説明可能であることを示すモデルである。よって語用論・談話分析とも近接性を有するパラダイムであるといえる。
意味論について言語学の意味論がたどったひとつに触れなければならないものがあると思われる。それは認知意味論である。認知するということは認知しない、認知できない、認知をもたない、失うと言ったことがあるので、注意をしたい。
認知言語学が1970年代に起こりその分野で認知意味論が唱えられた。
すでに4半世紀を超えるのでその認知も広まった。
認知はそもそも概念を利用しているとわたしは見たので心理分析はともかくさまざまに手法が出てくるとそれぞれに議論枠の中のことだと感じていた。だから概念としてのカテゴリーと認知のプロトタイプを相反するもののような当初の議論には反論があったが、それはまた、意味論の研究がまだ見られないなかではなばなしく言語学に押し寄せたような気もした。
概念を古い枠組みとしてみるのはよいがそれはそのままで役立つのは形式論理学が持つ外延と内包の操作で論理操作も可能でわかりよくするところもあったからであるが、どうもそういう議論にはなっていなかった。概念作用、概念操作という脳の働きを実体を見つけにくいものとしてしまったようだ。
認知の手法で意味分析をしていくとそれ相応の言語経験をもたないと解析された事柄を理解するのは難しいのである。
特に外国語学習にそれをもって説明するのは認知しない人に認知をあるかのように見せることになるので危険だと感じたことがある。
大辞林 第三版の解説
プロトタイプ【prototype】
〘言〙 一つのカテゴリーにまとめられる成員のうち,グループの中心をなすとみなされる典型。英語の鳥(bird)のプロトタイプの一例はコマドリ(robin)と言われる。
フリー百科事典ウイキペディアより
>認知は「統覚」と「連合」の二段階にわかれた処理である。統覚は、風景などの知覚から形を取り出す働きであり、その形が何であるのかを判断する働きが連合である。認知の障害が失認であり、見えたり聞こえたりすることはできてもそれが何であるか理解できない(連合の障害と統覚の障害とでは症状には差異がある)。見たものが認知できない視覚失認のほか、相貌失認・手指失認など様々な症状があり得る。
認知 同上
>心理学等で、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。
>
心理学・言語学・脳科学・認知科学・情報科学などにおける認知とは、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のことをいう。意識と同義に用いられることもある
感覚や知覚とならぶ深層の心理を表現し、外界にある対象を知覚し、経験や知識、記憶、形成された概念に基づいた思考、考察.推理などに基づいてそれを解釈する、知る、理解する、または知識を得る心理過程、情報処理のプロセスで認知科学では、人間の知的な働きをその応用側から、工学や医学、哲学、心理学、芸術学などの分野または学際分野から総合的に明らかにしようとする。
認知意味論とは - はてなキーワード - はてなダイアリー
d.hatena.ne.jp/keyword/認知意味論
認知意味論(cognitive semantics)
>認知言語学による意味研究。特にジョージ・レイコフ(『レトリックと人生』、『認知意味論』)、イヴ・スウィーツァー(『認知意味論の展開』)、レオナルド・タルミー(『Toward a Cognitive Semantics』)らの理論を指すことが多い。日本における研究としては、中右実(『認知意味論の原理』)、吉村公宏(『認知意味論の方法』)らの文献を参照。
意味構造とは自律的・恣意的なものではなく、身体経験をはじめとする日常経験に基盤を持つとする身体化(embodiment)の立場をとる。また、百科辞典的知識と言語的知識との間の区別に必然性を認めず、言語現象の分析は認知モデル(ICM)を参照しつつなされる。主要な研究領域として、カテゴリー化、認知文法、ドメイン、事象構造、メタファー、知識表現などがある。
※ ICM(Idealized Cognitive Model)=理想認知モデル(レイコフ『認知意味論』1987)。語の意味を決定するための背景情報のこと。同様の概念をフィルモアは、語の使用の適切さを規定する背景情報を「フレーム」と名づけ、ラネカーは「認知領域(cognitive domain)」と名づけた。
※ 記述にあたっては、『英語学要語辞典』(研究社)などを参考にした。
フリー百科事典ウイキペディアより
>ジョージ・レイコフを中心としたメタファー・メトニミー・イメージスキーマを用いて言語の実態を究明していく理論を特に認知意味論と言い、ロナルド・ラネカーを中心とした、概念化・用法基盤モデルから文法を構築していく研究を特に認知文法(cognitive grammar)と言うことがある。
>認知言語学はチャールズ・フィルモアの格文法やフレーム意味論、レイコフらが1970年代に提唱
>個々の研究者によってさまざまな違いはあるものの、以下の点で多くの認知言語学者はその理念を共有している(Croft and Cruse 2004)。
これまでほかの認知能力に還元できない生得的な言語知識として記述や説明がされてきた言語現象を、一般的な認知能力の発現として捉え、記述・説明を行っていく。
意味は静的なものではなく事態把握・語用論的面を含めたダイナミックな「概念化」として記述する。
言語の運用という面から言語の実態を見直す。
1.を重視するため、記号化、カテゴリー化、ゲシュタルト知覚、イメージスキーマ、身体性、メタファー・メトニミーなどから言語を記述説明する。また2.のテーゼより、図と地の分化、焦点化、プロファイル、推論などの作用によって言語の意味が発現するというスタンスにつながる。また3.はいわゆる「用法基盤モデル(usage-based model)」で、言語単位の定着・慣習化、頻度などの面から言語現象を分析し直すものである。その言語運用の立場から記述することで、これまでいわゆる言語知識(competence)と考えられてきたものが実は言語運用(performance)から説明可能であることを示すモデルである。よって語用論・談話分析とも近接性を有するパラダイムであるといえる。