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国学と

2013-07-07 | 日本語百科
国学について日本思想史に詳しく述べるところがあろうが、蘭学、漢学を対比すると言うときに、その流れを見ておく。
儒学があった、というには正確ではないが、漢学でその流行の盛衰のうち、朱子学がもたらされた16世紀の末から17世紀にかけてのこととしてその前史をたどる。

朱子学を批判した陽明学もこの流れをつくる。
17世紀になり江戸初期のことである。朱子学派と陽明学派であった。

そこに17世紀中ごろから末にかけて、古学が提唱される。古義学派、古文辞学を生み出す。

そして18世紀になって文献実証の学とともに、ここに国学が起こり、国学の四大人と称される人があいつで登場する。
本居宣長は国学の大成者である。

解体新書の翻訳に見るように実学として浸透し始めるのが、蘭学でそれさまざまな抵抗を起こす。




朱子学派、近世儒学の祖が藤原惺窩、1561~1619
惺窩に師事し朱子学派を大成し世に出たのが、林羅山、1583~1657

陽明学派の祖、中江藤樹、1608~48
中江藤樹に師事した、熊沢蕃山 1619~91

中期には三輪執斎 1669―1744 が出て陽明学を宣揚

古学の提唱者、山鹿素行 1622~85
伊藤仁斎 1627~1705は、古典を古義によって文献的に実証、古義学派

荻生徂徠 1666~1728 は、古文辞学の祖

江戸中期、契沖、その影響を受けた荷田春満
弟子である賀茂真淵 1697~1769 一つの学派を形成

国学の大成者、本居宣長(1730~1801)
国学の最後に、平田篤胤(1776~1843)


蘭学は江戸中期,18世紀のはじめころから盛んになる
1744年、前野良沢、杉田玄白らの解体新書、翻訳の事業以後「実用」の学
シーボルトの門人であった渡辺華山 1793~1841

蛮社の獄、一緒にとらえられたのが高野長英1804~50

佐久間象山(1811~64)江戸末期の朱子学者、洋学者
象山の弟子であった吉田松陰1830~59





デジタル大辞泉の解説
こく‐がく 【国学】
1 江戸中期に興った、文献学的方法による古事記・日本書紀・万葉集などの古典研究の学問。儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようとしたもの。漢学に対していう。契沖(けいちゅう)を先駆とし、荷田春満(かだのあずままろ)・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤(ひらたあつたね)らによって確立。古学。皇学。
2 律令制下の地方教育機関。国ごとに設け、郡司の子弟に儒学などを教授した。
3 中国の夏・殷(いん)・周の制度で、国都に設けた学校。隋以後は国子監という。

大辞林 第三版の解説
こくがく【国学】
①古事記・万葉集などの日本の古典を研究して,日本固有の思想・精神を究めようとする学問。契沖を先駆として江戸前期に興り,荷田春満(かだのあずままろ)・賀茂真淵(かものまぶち)・本居宣長(もとおりのりなが)・平田篤胤(ひらたあつたね)らによって確立,発展した。和学。皇学。古学。
②律令制下,国ごとに置かれた,郡司の子弟のための学校。主に経書を教授した。 → 大学
③古代中国の国都に置かれた学校。隋以後の国子監に相当する。



世界大百科事典 第2版の解説
こくがく【国学】

日本古代の文学・言語・制度・習俗などを研究し,古代社会に日本文化の固有性をさぐろうとする学問。江戸時代中期に興り,しだいに思想界に勢力を得て幕末に至り,その影響力は明治初期にまで及んだ。はじめは文献学的方法と古代社会の理想化とを特色とする学問潮流として始発したが,やがて古代に民族精神の源泉を求める思想体系の性格を帯び,幕末には日本の歴史的個体性を尊王論と結びつけることでいちじるしくイデオロギー化する。
こくがく【国学】

日本古代の地方教育機関。大宰府に府学,諸国に国学が一校ずつ設置された。学生は国司が郡司の子弟のうち,13~16歳で聡明なものをえらび,不足の場合や医生は庶人の子弟を入学させた。国の等級に従い,学生は50・40・30・20名,医生は10・8・6・4名の定員がある。教官には国博士,国医師各1名のほかに国郡司で儒学の経書に精通している者がなる。試験は国司が行う。その教科は中央の大学と典薬寮の医生とほぼ同一と考えられる。


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こくがく 【国学】
①古代中国の国郡に置かれた学校。隋以後の国子監に相当する。②日本の律令制下に国ごとに設けた郡司の子弟のための学校。主に経書を教授した。③日本古代の言語・文学・習俗・制度などを研究する学問。具体的には『古事記』『日本書紀』『万葉集』などの古典を学び、日本固有の思想・精神(儒教・仏教渡来以前の)を明らかにしようとする。近世学術の発達と国家意識の勃興に伴って興り、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤(以上、国学の四大人と呼ぶ)らとその門流により確立された。和学。皇学。古学。国つ学び。


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