日本語文法議論23825
文法の議論ではつねづね考え方にあると言ってきていたことがあって、文法観とそれによる見方を立場にする議論は文法の考え方を知るうえで大切なことである。しかし、その議論が一般にはわかりにくいということになるといかに優れた文法論であっても応用して人々が身に付けるための考え方にはなりにくい。逆もまた同様で、一般にわかりよければわかりよいほど、その理論を身に付けてしまえば顧みられなくなるのは、文法現象についてその考え方を広めようとはしないからであろう。
国語文法はわかりよく学校教育で広められて、勉強嫌いのためにつくり出す理屈はそれでいいとしても、文法の単位である文について。3つの考え方の類型を立てて説明した。それはいま議論されるところで、それぞれの文としてのとらえ方に議論がある。
題目文また話題 なにはどうである ← なにはなにである S―P
動詞文また主語述語 なにがどうする ← なにがなにする S―V
感動文また主体による句 なにがどう 形容詞の言い切り文、体言止め
ただこれらを文と見るときに、文章単位の中に現れる3類型である。文章にいずれかが関係構成をして連鎖しあっている。