森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

村山聖の古い写真

2008-05-10 22:34:30 | 日々の写真
 宝塚の前に住んでいた私のマンションでの村山聖である。実はその後ろに写っているのが、震災で亡くなった船越隆文君である。私が偶然撮った写真だが、悲しくもあり、懐かしい一枚だ・・歳月を感じる。
 弟子のことでいろいろあるたびに思うのが、今生きていることと、かって生きていたこと・・である。だからこそ、どうでもいいことに関わりたくないのと、日々大切なことに関わりあって生きていきたい気持ちが強い。
 生きているのは仮の宿なのだ、心のどこかにかすかにそう思う気持ちがある。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 牡丹と名人戦第三局 | トップ | 今日の夕景 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
3つの表情 (SHINNTANI)
2008-05-11 08:55:35
このときの表情はどれでしょうか?
やはり志の高さが伺えるような・・

船越さんはまだ16歳だったとか・・
震災は悲しい出来事でした
返信する
SHINNTANI様 (モリノブ)
2008-05-12 10:23:12
 村山聖のいい眼差しですね。この一枚は震災の直前のクリスマスの日ですが、いまだに信じたくない気持ちです。
 でも、いつも忘れてはいけないとも思います。
返信する
死を語れば宗教になってしまう (なおじ)
2008-05-13 01:28:28
二人のありし日・・・

胸が締め付けられるようです・・・

「俺は、この13年あまり、何をやってきたんだろう?」と思わせたり・・・

現在の自分の生き方を、問われたような気になる一葉です

夭逝した人たちの無念を、感じることによって
自分の生きる方向を修正していくことが
同時代人としてできること・・・
「忘れないこと」ではないかと思いました


我未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん・・・
とは論語ですが

花の美しさ、夕焼け空の素晴らしさ・・・など
自然の良さを賞でながら

飽くまで死を語らず生き方を問う・・・
森先生は、その点が人間として信頼できます






返信する
写真 (団塊おやじ)
2008-05-13 10:54:50
最近、やっと写真整理を始めました、
家内は未だ、よう手を着けません

”生きているのは仮の宿”
そうですね、今は仮の宿に居るのですネ

それにしても、25年間の写真の記録は
重いです・・・

返信する
なおじ様 (モリノブ)
2008-05-14 18:05:33
 13年間、自分はどんな生き方をしてきたのだろう、そう自問自答すると、悔いやら口惜しさやら、迷うばかりですね。伝えるもの、伝わってくるもの、中途半端な気がします。
 せめてこれから、時間が止まった二人に顔向けできるように・・かすかな確実さを身につけて生きたいですが。
 これからも、呆然と立ち尽くすよりないかもしれません。
返信する
団塊おやじ様 (モリノブ)
2008-05-14 18:12:30
 奥様にとっても、写真は在りし日を偲には、いろいろ思い出がありすぎてつらいでしょうね。
 時間が癒してくれるのを待つしかないのでしょうね・・
 村山聖は10年を経て、アルバムからふいに写真がでて来ると懐かしくうれしく思います。
 
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日々の写真」カテゴリの最新記事