昨日ドライブした西宮市山口町のコンビニで買い物をしていたら、子ども達のはしゃぐ声が聞こえてきた。垣根越しに覗くと、課外授業の稲刈りのようである。
せわしなく動く脱穀機のぐるりを、引率の先生と農家の人の指揮の下で、子ども達がせっせと稲を運んでいた。写真を撮ろうとしたが、デジカメの欠点で天気のいい日は画面が光りすぎて見えない。山勘で数枚シャターを押す。
秋の風物詩のような行事なのだろう。稲の香りが漂ってくる中、心地よい光景だった。
私の祖母の代までは農家だったので、幼い頃に田んぼに連れられて行った記憶がある。そばでSLも走っていて、通るたびに煙から逃げないとと言いながら面白がって、走って付いて行った。いつのまにか田んぼも売り払って、そこも運送会社の倉庫になってしまった。
お遍路さんをよく見かけたのも、その頃である。
祖母は私が結核の疑いで寝込んでいるときに、亡くなった。熱にうなされながらお葬式にでたとき「信雄ちゃんの代わりに死んじゃったのだなあ」と身内の人の話す声が聞こえてきた。そうかもしれないと思った。
結局、肺炎だったのだが、祖母が自分を守ってくれている、その心情は今も心の片隅に残っている。
私が帰省したとき、祖母はいつもタバコの束を持ってトコトコ歩いて来てくれた。「何もいらないから」と言うと、道に捨てる仕草をして「いらなかったら、その辺の道端に捨てといていいよ」と笑顔で答えてすぐに帰って行った。
いつのころからか、そのシーンが頭にこびりついていて、気持ちと言うのは相手側でなくて、自分の側の問題なのだと思うようになった気がする。
「いらんかったら、道端に捨てたらええんよ」安心する言葉だった。
せわしなく動く脱穀機のぐるりを、引率の先生と農家の人の指揮の下で、子ども達がせっせと稲を運んでいた。写真を撮ろうとしたが、デジカメの欠点で天気のいい日は画面が光りすぎて見えない。山勘で数枚シャターを押す。
秋の風物詩のような行事なのだろう。稲の香りが漂ってくる中、心地よい光景だった。
私の祖母の代までは農家だったので、幼い頃に田んぼに連れられて行った記憶がある。そばでSLも走っていて、通るたびに煙から逃げないとと言いながら面白がって、走って付いて行った。いつのまにか田んぼも売り払って、そこも運送会社の倉庫になってしまった。
お遍路さんをよく見かけたのも、その頃である。
祖母は私が結核の疑いで寝込んでいるときに、亡くなった。熱にうなされながらお葬式にでたとき「信雄ちゃんの代わりに死んじゃったのだなあ」と身内の人の話す声が聞こえてきた。そうかもしれないと思った。
結局、肺炎だったのだが、祖母が自分を守ってくれている、その心情は今も心の片隅に残っている。
私が帰省したとき、祖母はいつもタバコの束を持ってトコトコ歩いて来てくれた。「何もいらないから」と言うと、道に捨てる仕草をして「いらなかったら、その辺の道端に捨てといていいよ」と笑顔で答えてすぐに帰って行った。
いつのころからか、そのシーンが頭にこびりついていて、気持ちと言うのは相手側でなくて、自分の側の問題なのだと思うようになった気がする。
「いらんかったら、道端に捨てたらええんよ」安心する言葉だった。