この写真があるのは知っていたが、あまりにも悲しい写真なので、アルバムに挟んでいた。平成6年12月24日、森家のディナーショーで弟子などが集まっている。私の左が山崎七段、右が震災で亡くなった船越隆文君、その右手上に村山聖も写っている。増田五段、安用寺五段もいる。この日から24日後に阪神大震災があった。人間の運命は神のみぞ知る、である。だからこそ、日々悔いなく、そして誠実に生きていきたいと思う。
今朝は9時くらいまで起きれなかった。イベントの後はいつものことだが、腰も重くなってしまう。あれこれ反省点はあるが、ともかく終わってほっとする。
はて、今日は一日何をしていたのだろう?記憶がない。夕方からはサーバーとダイエーで買い物をした。この写真は駐車場からの夕景だ。とんがったのが甲山である。
明後日が「阪神大震災」の日である。この日が近くなると、からだの底から過去の記憶が蘇ってくる。つらい日だが、心に刻まないといけないのである。
はて、今日は一日何をしていたのだろう?記憶がない。夕方からはサーバーとダイエーで買い物をした。この写真は駐車場からの夕景だ。とんがったのが甲山である。
明後日が「阪神大震災」の日である。この日が近くなると、からだの底から過去の記憶が蘇ってくる。つらい日だが、心に刻まないといけないのである。
第11回ピピアめふ子ども将棋大会は、午前中の第一部(小学4年生以下)は定員を越える103名の参加者で、運営が大変だった。いつもと違って私も会場を回って写真を撮る余裕もなかった。大盛況はうれしい限りである。気がついて場内にカメラを向ける頃には、すでに終わりごろだった。
第二部(小学5年~中学生)と宝将戦(有段者)は午前の半分の人数で、むしろほっとひと息つけた?こちらは弟子の指導対局もできて、ゆったりできたようだ。
森教室の子ども達の成績が気になって、帰宅して全員の対局カードを見る。思ったよりもみんな勝っていたようでほっとした。将棋大会の運営はつくづく難しいと思う。反省点も多い大会だった。
第二部(小学5年~中学生)と宝将戦(有段者)は午前の半分の人数で、むしろほっとひと息つけた?こちらは弟子の指導対局もできて、ゆったりできたようだ。
森教室の子ども達の成績が気になって、帰宅して全員の対局カードを見る。思ったよりもみんな勝っていたようでほっとした。将棋大会の運営はつくづく難しいと思う。反省点も多い大会だった。
源さんの髪で隠れた目を撮ろうと思ったが、難しいのだ。髪の毛を捲り上げればいいのだが、それは信頼関係を損ないそうだ。
ここ数日、私が忙しいので、ゆっくり相手ができないので、退屈そうである。深夜でも、サークルに入れると、砂を蹴散らして文句を言うので困る。
トビオも冬はコタツ代わりだったが(暖かい)源さんんも羽毛なので、割と暖かいのだ。私が鳩になりそうでもある・・
ここ数日、私が忙しいので、ゆっくり相手ができないので、退屈そうである。深夜でも、サークルに入れると、砂を蹴散らして文句を言うので困る。
トビオも冬はコタツ代わりだったが(暖かい)源さんんも羽毛なので、割と暖かいのだ。私が鳩になりそうでもある・・
子ども土曜コースのワンシーンである。10時開始早々なので?静かないい雰囲気だが、12時前になると、てんてこ舞いだ。将棋に集中すればいいのだが、①友達といるのが楽しい②きょうは負けてしまってもういいや③ついついしゃべってしまう④家よりリラックスしている?⑤昇級できてうれしい、こんな理由だろうか。
静かに戦うことができるようになると、将棋の面白さが倍増するものだ・・何事も「ひとりで取り組む」ことから始まるのだ!
後ろに源さんのサークルがあり、教室が終わると、「出してくれ!」とばかりに外に向けて砂を蹴散らすのだった。子ども教室はあわただしい。
静かに戦うことができるようになると、将棋の面白さが倍増するものだ・・何事も「ひとりで取り組む」ことから始まるのだ!
後ろに源さんのサークルがあり、教室が終わると、「出してくれ!」とばかりに外に向けて砂を蹴散らすのだった。子ども教室はあわただしい。
源さんは私が寝転んで、ミニ盤で詰め将棋を作り始めると、どこにいても、たちまちスタスタとやってくる。駒音に敏感に反応しているようだ。そして私の顔の前にふさがり、この写真のように創作の協力(邪魔をしに?)をしにくる。挙句の果ては盤面を崩してしまう。「コラッ!」と叱って、片手で盤の横に持ち上げる。でもまた意固地になって、盤の上にあがろうとするのだ。たまに顔の真横にやってきて、思いっきり顔をつつく。けっこう痛いのだ。また片手で持ち上げて降ろす。
不思議な鳩である。でも可愛いのだ・・
不思議な鳩である。でも可愛いのだ・・
昨年の大晦日の夕暮れどきの空である。いつも胸ポケットにデジカメを持っているので、空を眺めて撮るのは日課以上に習慣となっている。真っ白な紙に墨を流すように、日々変化して万華鏡のような風景を見せてくれる。
晴耕雨読という言葉が好きだ。言葉が好きだということは、実現していないからでもある。案外、好きな言葉というのは、自分の反対の側の事柄が多いのかもしれない。誠実と書く人は、不誠実?、努力と書くのは努力できない人・・。(語弊があるので気軽に考えて下さい)
私は自著にいつも「大局観」と書く。大局観の悪い将棋だからである。
晴耕雨読という言葉が好きだ。言葉が好きだということは、実現していないからでもある。案外、好きな言葉というのは、自分の反対の側の事柄が多いのかもしれない。誠実と書く人は、不誠実?、努力と書くのは努力できない人・・。(語弊があるので気軽に考えて下さい)
私は自著にいつも「大局観」と書く。大局観の悪い将棋だからである。
トビオは老齢で目が見えにくくなっているが、食に関しては適用されない。クロは鼻水をたらして私の顔を舐めにくるので、受け入れるかどうか迷う。源さんは冬でも水浴びが大好きで、外に出たいときは玄関に降りて催促する。
いつもはトビオとクロはコタツのあるサークルに入りっぱなしなので、穏やかなきょうの昼間に日向ぼっこをさせたのだ。お互いに微妙な関係を保っているのは、昔と変わらない。かっては、トビオ、クロにラッキー(柴犬)ハッチ、ポッチ(ニワトリ)くろとウサコ(ウサギ)がいたのだ。
穏やかな冬の一日の光景だ。
いつもはトビオとクロはコタツのあるサークルに入りっぱなしなので、穏やかなきょうの昼間に日向ぼっこをさせたのだ。お互いに微妙な関係を保っているのは、昔と変わらない。かっては、トビオ、クロにラッキー(柴犬)ハッチ、ポッチ(ニワトリ)くろとウサコ(ウサギ)がいたのだ。
穏やかな冬の一日の光景だ。
兄弟子の細原一夫五段のお母さんの葬儀に参列した。真ん中は金子義昭六段で、奨励会時代の先輩である。細原五段は年齢は私よりもひとつ下だが、入門したときにすでに初段で兄弟子だった。4級で入会の自分とは実力に雲泥の差があって、師匠は私よりも細原さんの才能を買っていた。細原さんは私と同じで勝負に無頓着なところがあった。入門当時は家で将棋を教えてもらったが、10連敗位して呆れた記憶がある。
「カズオ!カズオ!森さんから電話やで!」「うるさいなあ。誰からやねん」電話の奥で会話が聞えてくる。それが細原さんのお母さんだった。数年前に電話したときも同じ状況だった・・
「カズオ!カズオ!森さんから電話やで!」「うるさいなあ。誰からやねん」電話の奥で会話が聞えてくる。それが細原さんのお母さんだった。数年前に電話したときも同じ状況だった・・
片山津温泉にある愛染寺は岡の上にある。近道を横着して上ろうとしたら行き止まりだった。少し迂回したら地元のおばあさんがやってきたので尋ねる。「すぐそこやけど、あんたら元気かいなあ」よく分らないが?溌剌と教えてくれた。ちょうど冬の夕暮れ時で、日が沈む時間帯が近づいている。
二十歳を過ぎると一年の単位が早い。四十歳を過ぎるともっと早い。そして私は今年2月で五十六歳なので、時を刻むのが駆け足のようである。時を惜しむ気持ちと、今更何を急ぐことがあろうか・・あせりと居直りが交錯するのである。
二十歳を過ぎると一年の単位が早い。四十歳を過ぎるともっと早い。そして私は今年2月で五十六歳なので、時を刻むのが駆け足のようである。時を惜しむ気持ちと、今更何を急ぐことがあろうか・・あせりと居直りが交錯するのである。
北陸の片山津温泉に一泊旅行の二日目は、加賀市大聖寺町の「石川県九谷焼美術館」に行く。そこを出て街を散策していると、いっぱい猫に出会った。けっこうみんな太っていて、きっとここはやさしい街なのだと直感した。
黒猫がいた。よくみると三匹いたようだ。旅先で猫に出会うと儲けた気分になるのは何故だろう。猫距離2メートルくらいで意外に慎重でもあった。
黒猫がいた。よくみると三匹いたようだ。旅先で猫に出会うと儲けた気分になるのは何故だろう。猫距離2メートルくらいで意外に慎重でもあった。
新年の家族旅行は、今年は北陸の片山津温泉に行った。1月4日から1泊旅行である。息子の幸士(左)妻(真ん中)野間五段(右)と私の四人だった。
写真は柴山潟の浮御堂にて、夕暮れどき。あいにく白山は見えなかったが、天候に恵まれて、いい旅行になった。
正月の旅行が終わると、そろそろ普段の暮らしに戻る心の準備が必要だ。
写真は柴山潟の浮御堂にて、夕暮れどき。あいにく白山は見えなかったが、天候に恵まれて、いい旅行になった。
正月の旅行が終わると、そろそろ普段の暮らしに戻る心の準備が必要だ。
愛媛県四国中央市、数年前までは伊予三島市だった。「島ですか」とよく聞かれたものだが、島ではない。この三島神社は幼い頃からよく遊んだところで、将棋を覚えてからは毎日のように通った。神社の境内の裏手に将棋が指せる憩の場があるのだが、屋根付きだが外なので、日が暮れてからと冬は無理だった。
縁台将棋、ヘボ将棋そのものの落語の中のような世界でもあった。私はそこで将棋や他のことでも鍛えられたように思う。正月なのに、昔のように露店もでていないのが、さみしい限りである・・
縁台将棋、ヘボ将棋そのものの落語の中のような世界でもあった。私はそこで将棋や他のことでも鍛えられたように思う。正月なのに、昔のように露店もでていないのが、さみしい限りである・・
1月2日に中学校の同窓会があって、日帰りで帰省した。学校は統合で名前も校舎もなくなってしまったが、ほぼ10年ぶりの同窓会だった。40人くらいが参加して懐かしい顔ぶれに話が弾んだ。「修学旅行のときに磁石盤で将棋を指したなあ」「お前をけっこういじめたけどぬかにクギだった」
初めは誰だったかなあ、クラスはどこだったかなあと記憶が曖昧だが、声を聞くとそうだそうだと思い出す。30分くらいすると、40年たってもあまり変わりないと思うのだった。
初めは誰だったかなあ、クラスはどこだったかなあと記憶が曖昧だが、声を聞くとそうだそうだと思い出す。30分くらいすると、40年たってもあまり変わりないと思うのだった。