“赤紙”召集令状1枚で、今日も村の男が召集されていく。
シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵(大西信満)もかつて、村人達に盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。
しかし戦場で瀕死の重症を負った久蔵は、九死に一生を得て村へと戻ってくる。
同僚達に運び込まれてきたその姿は、見るも無残。
顔面は焼けただれて耳は聞こえず、手足は吹き飛ばされて身動きのとれない状態となり、声帯も損傷して言葉を発することもできない。
「名誉の負傷」と引き換えに得た多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。
四肢を失っても久蔵の旺盛な食欲と性欲は衰えることがなく、シゲ子は戸惑いながらも“軍神の妻”として献身的に尽くして面倒をみる。
ただ横たわるだけの体となり、言葉さえも失った久蔵は、自らを讃えた新聞記事や勲章を誇りとして日々を送るが、その姿にシゲ子は、徐々に空虚なものを感じるようになる。
敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に戦場での風景が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始めた。
そしてついに、敗戦の日が訪れた…
名誉のことと讃えられ、戦地へと送り込まれる兵士達。
自分達の国を守るため、そして何よりも自分の家族を守るためという、崇高なる大義名分のもと、正義のために戦う。
しかし占領した町ではなんのためらいもなく、当たり前のように婦女子を襲い、暴行の果てに殺す。
全てがそうではないが、日常生活においては善人として暮らしていたであろう人間も、正気を失い、人間性を崩壊させてしまうのが戦争だ。
激しい戦闘においては、四肢を失い、五感を失い、日常生活に支障をきたす障害を負うのは当たり前のこととはいえ、それが我が身に降りかかるとは、出征に際して想定する者などいないだろう。
(そんなことをすれば、おそらくはその恐怖に身がすくんで動けなくなるだろうし…)
しかし、久蔵のような悲惨な姿となる可能性があるのが戦争である。
戦争の真実、戦争が本来持っている残酷性を、一組の夫婦を通して生々しく我々に見せつける。
また、出征前の久蔵は、実はシゲ子に対して威圧的で、暴君のように振舞うこともある男だった。
そして戦場では、無抵抗の市民に危害を加えることに躊躇しなかった。
しかし手足を失い、聴力も言葉も失って村へ戻った彼は、シゲ子の介護なくしては生きていけない。
最初は、己の欲望のままに食欲と性欲を満たしていた久蔵だが、やがてシゲ子がイニシアチブを取り始めると、戦場で自分の犯した暴虐行為が脳裏に甦り、罪悪感に苛まれ始める。
抑圧される対象となることで、自らの抑圧行為がどれだけ相手を苦しめていたか、思い至るようになるのである。
戦争の狂気を通して、人間としての善性を取り戻すという皮肉。
人間の業、ドロドロとした本質の部分をえぐり出し、スクリーンにさらけ出す若松監督の演出が今回も冴えている。
寺島しのぶに、「いもむし、ご~ろごろ♪」と笑いながら歌わせるなど、他の監督には真似できない。
ただ悲惨さを訴えるだけでなく、独特のユーモアで物語を包み込み、のどかな田園風景と戦争の悲惨さとが織り成すカラッとしたコントラストもあいまって独特の余韻が残る、若松監督の手腕は見事!
なお、エンドロールで流れる元ちとせの歌う「死んだ女の子」を聞き逃すべからず。
心に無数の矢が突き刺さってきて、場内に明かりがついてもしばらくは、席を立つことができなかった…
最後の最後までスクリーンに目が釘付けで、圧倒されっぱなしの傑作!
「キャタピラー」
2010年/日本 監督:若松孝二
出演:寺島しのぶ、大西信満、吉澤健、粕谷佳五、増田恵美、河原さぶ、石川真希、飯島大介、安部魔凛碧、寺田万里子、柴やすよ
シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵(大西信満)もかつて、村人達に盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。
しかし戦場で瀕死の重症を負った久蔵は、九死に一生を得て村へと戻ってくる。
同僚達に運び込まれてきたその姿は、見るも無残。
顔面は焼けただれて耳は聞こえず、手足は吹き飛ばされて身動きのとれない状態となり、声帯も損傷して言葉を発することもできない。
「名誉の負傷」と引き換えに得た多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。
四肢を失っても久蔵の旺盛な食欲と性欲は衰えることがなく、シゲ子は戸惑いながらも“軍神の妻”として献身的に尽くして面倒をみる。
ただ横たわるだけの体となり、言葉さえも失った久蔵は、自らを讃えた新聞記事や勲章を誇りとして日々を送るが、その姿にシゲ子は、徐々に空虚なものを感じるようになる。
敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に戦場での風景が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始めた。
そしてついに、敗戦の日が訪れた…
名誉のことと讃えられ、戦地へと送り込まれる兵士達。
自分達の国を守るため、そして何よりも自分の家族を守るためという、崇高なる大義名分のもと、正義のために戦う。
しかし占領した町ではなんのためらいもなく、当たり前のように婦女子を襲い、暴行の果てに殺す。
全てがそうではないが、日常生活においては善人として暮らしていたであろう人間も、正気を失い、人間性を崩壊させてしまうのが戦争だ。
激しい戦闘においては、四肢を失い、五感を失い、日常生活に支障をきたす障害を負うのは当たり前のこととはいえ、それが我が身に降りかかるとは、出征に際して想定する者などいないだろう。
(そんなことをすれば、おそらくはその恐怖に身がすくんで動けなくなるだろうし…)
しかし、久蔵のような悲惨な姿となる可能性があるのが戦争である。
戦争の真実、戦争が本来持っている残酷性を、一組の夫婦を通して生々しく我々に見せつける。
また、出征前の久蔵は、実はシゲ子に対して威圧的で、暴君のように振舞うこともある男だった。
そして戦場では、無抵抗の市民に危害を加えることに躊躇しなかった。
しかし手足を失い、聴力も言葉も失って村へ戻った彼は、シゲ子の介護なくしては生きていけない。
最初は、己の欲望のままに食欲と性欲を満たしていた久蔵だが、やがてシゲ子がイニシアチブを取り始めると、戦場で自分の犯した暴虐行為が脳裏に甦り、罪悪感に苛まれ始める。
抑圧される対象となることで、自らの抑圧行為がどれだけ相手を苦しめていたか、思い至るようになるのである。
戦争の狂気を通して、人間としての善性を取り戻すという皮肉。
人間の業、ドロドロとした本質の部分をえぐり出し、スクリーンにさらけ出す若松監督の演出が今回も冴えている。
寺島しのぶに、「いもむし、ご~ろごろ♪」と笑いながら歌わせるなど、他の監督には真似できない。
ただ悲惨さを訴えるだけでなく、独特のユーモアで物語を包み込み、のどかな田園風景と戦争の悲惨さとが織り成すカラッとしたコントラストもあいまって独特の余韻が残る、若松監督の手腕は見事!
なお、エンドロールで流れる元ちとせの歌う「死んだ女の子」を聞き逃すべからず。
心に無数の矢が突き刺さってきて、場内に明かりがついてもしばらくは、席を立つことができなかった…
最後の最後までスクリーンに目が釘付けで、圧倒されっぱなしの傑作!
「キャタピラー」
2010年/日本 監督:若松孝二
出演:寺島しのぶ、大西信満、吉澤健、粕谷佳五、増田恵美、河原さぶ、石川真希、飯島大介、安部魔凛碧、寺田万里子、柴やすよ