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今年もこの日を迎えてしまいました。8月15日。曇天の、時折霧雨が降り注ぐ九段の坂。
私が連休を利用して東京見物(古いなー!)にやって来たこの日、早朝に新宿に到着したバスを降り、迷う事無く私の足は九段に向かっていた。
「来てもうたがな~」・・・時刻は7時を廻っていただろうか? 既に靖国の門は開門され、その参道には参拝者、マスコミ、警備関係者、物見遊山の私・・・・。
さすがに参拝反対を掲げる市民団体の方々はまだいらっしゃらなかったが、やはり、異様な空気が漂う。上空には数十機のマスコミのヘリが低空を旋回しつつ、周囲には明らかに公安関係者が目を光らしている。「うお~!テンション上がるがな~!」
機動隊まで配置されちゃって、ここはほんとに神社か?!
まあ、素人目にも、小泉首相が参拝するのは鉄板でわかったのだが、神社に対する私のわだかまりは募るばかり・・・なんで神社なんだ?
お国の為に亡くなった方々に哀悼の意を示すのは、人として、日本国民として当たり前だと考えるのだが、やはり、その祀り方には得心がいかない。
拝殿で小泉さんは一礼だけの参拝だったが、それでいいのである。
2拝2拍手1拝は神に対する様式であって、ここに祀られている仏様には仏式、もしくはそれぞれが生前信仰されていた宗教方式でもいいのではなかろうか?
最近では、戦犯とされている御霊の分祀も神道的には否を唱える靖国ではあるのだが、だいたい、もともとの宮司さんだって、神主の資格さえ持ってなかったじゃないか?
旧華族サンたちからの推薦で宮司を拝命するなんざ、神道的に不適切なんじゃないの?
まあ、現在はどんなものなのか分かりませんけど、もともとがそんなもんなんだから、今更神道を持ち出す必要もないだろうし、ここはやはり宗教法人解体すべきでしょう。
神様なんて安易に利用するもんじゃないんですよ。 そうゆう反省も含めて、皇室はご先祖様である明治天皇のこの失策を認め、新たな慰霊施設として靖国を再建する主導権を持ってもいいのではないか? 時代が違えば不敬罪な発言ではあると思うが、日本のグローバル化とか皇室と民間との関係とかを更に発展させる為には、靖国再編もあっていいのではなかろうか?
全てを否定し、廃棄するのではなく、良い所は残しながら変化、存続させることも可能ではないか? もともと心の問題なら形式は必要無いはず。
温故知新の精神はこうゆう時こそ発揮させられるべきであろう。
とはいえ、一応、滞りなく黙祷させていただきましたが、雨をしのぐ為正門の隅っこから行き交う人々を見ながら思ったことは・・・・「羅生門やな・・・ここは。」
まあ、いろんな意味でね。