誰でもそうかも知れないのだけれど、私は自分が老人であるという自覚がなかなか持てない。すでに70歳になっているのたから、客観的には老人以外のなにものでもないのだが、学校を卒業して社会人となったのがつい最近のように思えるのである。
幸いにして体は割と頑丈にできていて、まだまだ公共交通のシルバーシートには座る気にはなれない。週に3回程度は一時間以上のジョギングもやっている。しかし、老化は頭の方からやってくるみたいで、とにかく物忘れがひどくなってきた。なにかを調べようとしてPCに向かっても、コンピューターが立ち上がるまでの間に、自分が何を調べようとしていたのかを忘れることが2回のうち一回ある。ドラマを見ても、俳優の名前が出てこない。私は仲間由紀恵をとてもひいきにしていて、彼女が出ているドラマはなるべく見逃さないようにしているのだけれど、ドラマを見ているうちに「この俳優の名前は何て言ったっけ?」という状態に度々なるのである。とにかく頭が悪くなっていることは間違いない。最近は図書館で借りた本が最後まで読み通せない。読み進めていくと前ページに書かれていたことを忘れてしまうので、話の流れがつかめなくなって前へ進めなくなってしまうからである。このように事実を並べてみると、私は老人であるどころかかなり痴呆に近づいていることを認めなくてはいけないような状態なのかもしれない。
そんな私だが、まだまだ体力面では若い人に引けを取らないつもりだった。前述のように、私は常日頃からジョギングを続けており、一週間に20キロ以上は走っている。ところがこの数日はなんか胸が圧迫されるようで妙に苦しい、先日はとうとう途中で走るのを止め歩いて帰ってきた。そして、その足で行きつけのクリニックに行ったのだが、狭心症の疑いがあるということで、血管を拡張する薬と万一の時の為のニトロを処方された。ニトロですよ! ドラマなんかで老人が「ウゥッ」と言って倒れたときに舐めるやつです。
もう、これで私は心身ともに一人前の老人であることを認めざるを得なくなったわけです。しかし、ちょっと変な話だけれど、なんとなく「私ニトロ持っているんです。」と不幸自慢したいような気持がある。もちろんニトロを持っていることは偉くもなんともない訳で、一ミリも自慢できるようなことではないのだけれど‥。はるか昔に読んだ北杜夫の「奇病連盟」という小説の一節が脳裏をよぎった。「病んでいるということは、人間の特権であり、栄光でもあるのだ」
なんか、とりとめのない話になってしまったけれど、まじめに読んで下さった方には「御免なさい」と謝っておきます。