先日、図書館で「翻訳できない世界のことば」という本を借りてきました。結構話題になっている本で、昨年から予約していたものがやっと順番が私にまわってきたのです。著者はエラ・フランシス・サンダースさんという若い女性イラストレーターです。で、いろんな国に住んだ経験から、それぞれの土地には一言では翻訳できない言葉あることを知り、それを紹介したいと思い立ったのだそうです。
例えば、イクトゥアルポク(iktsuarpok) というのは、イヌイット語の名詞で、「誰か来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出てみること」だそうです。人口の希薄な氷雪の世界に住むイヌイットにとっては、人との出会いがそれほど貴重で新鮮な出来事なのでしょう。そのように思いを巡らせると、「イクトゥアルポク」がとても素敵な響きに感じられます。
で、この本には日本語からは"boketto"(ぼけーっと)、"wabi-sabi"(わび・さび)、"tsundoku"(積読)の3つが収録されています。このうちの"wabi-sabi"についての意味は次のようになっています。
(意味) ≪ 生と死のサイクルを受け入れ、不完全さの中にある美を見出すこと。≫
(解説) ≪ 仏教の教えがルーツにある日本のこの考え方は、不完全で未完成であるものに美を見出す感性です。うつろいと非対称性をくらしのなかに受け入れるとき、わたしたちはつつましく、満たされた存在になります。 ≫
わびとさびはもともと別概念ですが、現在ではひとくくりに使用されることが多いので、一つの概念として扱って問題はないと思います。私たち日本人は、わびさびの意味を体感しているかのように思いがちですが、あらためてこのように表現されると、「はっ」と気づかされるものがあるのではないでしょうか。西洋的な理念は真・善・美における完全性を求めますが、日本においては仏教の無常観に基づいて、そのような理念は排除します。無常の中ではすべては過渡的で不完全でしかないのです。その辺は西洋式庭園と日本式庭園を比較してみれば明瞭です。西洋のそれは幾何学的な直線と曲線によって表現されますが、日本のそれは非幾何学的かつ非対称的です。
( 参照==>「リアルな世界に完全なものは存在しない」 )