ウィトゲンシュタインは「私たちは論理に逆らってものを考えることはできない。」と言っております。というと、「そんな事はない。私はいくらでもでたらめなことを考えることができる。」と言う人がいるかと思います。ここで言う「論理的に考える」というのは、具体的にイメージできるということを意味しています。例えば、「円い三角を描く」という行為を想像することができるでしょうか? 「シルナンガモアットのそよぎは1メートルと5秒の中間です。」 という言葉の意味を想像することができるでしょうか? いわゆる矛盾と言うのも非論理の代表的なものです。あらゆる盾を突き破る矛とあらゆる矛を撥ね返す盾を同時に思い浮かべることができるでしょうか? ことばでは確かにいくらでもでたらめなことが言えます。しかし、それを具体的にイメージできない場合に、非論理的な言葉であると言います。つまり、非論理的な言葉とは、言っている本人自身がなにを意味しているかが分からない、そういう言葉です。
では、「豚が空を飛ぶ」というのはどうでしょうか? これは非常識ではあっても非論理的ではありません。豚に羽が生えて羽ばたいて行く、あるいは重力を消す能力を持った豚というものを考えても良いでしょう。とにかく豚が空を飛ぶシーンを具体的に思い浮かべることができます。非現実的ではあっても、豚が空を飛ぶ論理的可能性はあります。
で、ここからが本題ですが、創造神を信仰する宗教では、「神さまが世界を創った」ということになっています。では、神さまが世界を創り出すところを想像できるでしょうか? まず疑問の第一は、神さまが世界を創る以前は何もなかったわけだから、空間も時間も何もないと言うと、一体神さまはどういう状態でどこにいたのだろうという疑問があります。まあその辺は人間の能力では計り知れない、というところなのでしょう。なにを言いたいかと言うと、「神さまが世界を創った」という言葉の意味を誰も分からないということを言いたいのであります。信仰する人を挑発するつもりはありません。分る筈のないことはいくら言葉を尽くしても分からない、という当たり前のことを言いたかったのであります。