禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

自分を超えることは出来ない

2022-02-21 07:06:08 | 雑感
 自分が馬鹿か利巧かと自問すれば、大抵の人はどちらかと言えば利巧であると思っているのではないだろうか。それは至極当然と言えば当然のことである。人は自分が分かることは分かる。逆に言えば自分が分からないことは分からない。実に当たり前のトートロジーであるが、このことをわきまえておくことはとても重要である。分からないことが視野の外ならば、分かることばかりなので万能感が生まれやすい。 自分の思考力を客観的に把握するためには、自分の分かることだけではなく分からないことも分からなければならない。分かることと分からないことの両方が分からなければ、本当の意味で自分の限界を知ったことにはならないのである。
 
 「分からないことを分かる」というのは矛盾したもの言いである。「それまで分からなかったことが分かるようになる」ということはあり得るが、それは単に「分かる」領域が広がっただけであり、あえて言うなら「分かり得ることが分かった」に過ぎない。その外には依然として分からない領域があるという構図自体に変化はない。哲学者のようにいつもものを考えている人は、自分の考える限りのことを考えているので、「俺はこんなことまで考えている」(=「俺は賢い」)と考えてしまう罠に陥りやすい。
 
 最近は高齢者の交通事故が問題になっている。もう車の運転はやめて欲しいと子や孫が頼んでも、「俺は絶対大丈夫」と言い張る年寄りが多い。手も足も自分の思い通りに動かせるから全然OKというわけだが、その「思い通り」そのものがスローモーションになっていることにはなかなか気づけない。

 人間は自分のことを自分の内側から見ることは出来ないのである。かといって、自分を外側から直接見ることもできない。自分を知るには、自分そのものではなく自分の行状の結果を見て判断するしかないのである。いわゆるテストというのはその目安にはなる。高齢だが運転免許を手放したくないという人は、反射神経や判断力のテストを受けてみると良いだろう。毎日日記を付けている人なら昔の日記を読み返して、昔はこんなに好奇心が旺盛だったのかとか、記事内容がだんだん淡白になっていことに気づいたりする。私は仲間由紀恵さんという俳優が好きで彼女の出る番組をよく見るが、度々彼女の名前を失念する。それも二度や三度ではなく、何年間にも渡って一人の俳優さんの名前の憶えたり忘れたりを繰り返している。こうなってくると、自分の知的能力の衰えを疑わない訳にはいかないのである。

 これを読んでいるあなたは、以上のようなことを述べている私について、冷静に自分を見つめることができる殊勝な人間であるというような印象を持ったかもしれない。しかし、実はそうではなくて、客観的にはダメ要素ばかりの私でもなかなか内側から湧き上がる傲慢さを抑えるできない、むしろそんな人間である。だから、周りからいくら諫められても車の運転を止めることができない頑固老人の気持ちがよく分かる。いつの日か、周りに迷惑をまき散らしながらそれを自覚することができないぼけ老人になってしまうのではないか、目下の所それが私の一番の心配事である。

小田原市 上府中公園
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カブトムシの箱

2022-02-16 20:33:36 | 哲学
 月曜日の9時からのドラマで「ミステリと言う勿れ」というのがある。ストーリーの展開がちょっとミステリアスで面白いので毎週見ているのだが、今回の話の中で「カブトムシの箱」という哲学の思考実験の話が出てきた。ちょっと感動したとともに違和感をいだいた、というのはなかなかこれはドラマにアクセントをつけるだけのものとしては少し難解な話だからである。これはヴィトゲンシュタインの「哲学探究」という本の第293節に出てくる話だが、その一部を引用してみよう。

≪ --そこで、人は皆ある箱をもっている、としよう。その中には、我々が「カブトムシ」と呼ぶあるものが入っているのである。しかし誰も他人のその箱の中を覗くことはできない。そして、皆、自分自身のカブトムシを見ることによってのみ、カブトムシの何たるかを知るのだ、と言うのである。--  ≫
 
 自分の箱の中身は自分しか見ることは出来ない。他人の箱の中を見ることができない、そのような状況の中でお互いの箱の中身について語り合う事に意義があるだろうかという問題設定である。人間の意識をカブトムシの箱になぞらえていることはすぐわかる。そこで、ドラマの作者は「青い空を見ている時、私が見ている青と彼の見ている青は同じ青なのだろうか?」 つまり、私の見ている青色はもしかしたら彼には赤色に見えているかもしれない、というふうに解釈したようだ。同じ「青色」を見ていると言っても、お互い他人の意識の中を覗けるわけではないので、同じ色に見えている保証はないというわけである。

 しかし、実を言うと上記のような理解だとヴィトゲンシュタインの真意には程遠いのである。言語というものは公共のものであるから、意識の中の内容という私秘的なものについて言及できない、言及したとしてもその内容を素通りしてしまい、その言葉がなにを表現しているか意味不明なものになるというのである。

  「私の見ている青色と彼の見ている青色は、実はそれぞれ別の色である。」 

あなたは上記の言葉の意味するところが理解できるだろうか? ヴィトゲンシュタインは理解できないと言う。上述のような言明をする人は自分が何を言っているか分からないで喋っているというのである。
 
 言葉の意味がわかるならば、その言明がどういう場合に真であるかまたは偽であるかが分かっていなければならないはずである。例えば、「雪は白い」という言葉の意味は誰でも分かる。本当に雪が白ければ「雪は白い」は真で、もし雪が黒かったりすれば「雪は白い」は偽である。そのことが理解出来ていれば、「雪は白い」という言葉の意味が分かっているとしても良いだろう。しかし、私の見ている青色が「本当は」どんな色であるかは私以外の誰も分からないし、彼の見ている青色が「本当は」どんな色であるかは彼以外の誰も分からないのである。私の見ている青色と彼の見ている青色を比較する方法は絶対的に閉ざされている。該当の言明はどういう場合に真であるかまたは偽であるかを言うことは出来ない限り、その言葉の意味も理解できないということである。

 私とあなたが晴れ渡った空を見ているとする。私があなたに「空が青いね」と言う。あなたはそれに答えて「うん、青いね」と言う。この時二人は間違いなく「青い」空を眺めている。公共言語としての「青い」という言葉の意味はそういうことであり、それ以上でもそれ以下でもないのである。

空は青い。(横浜 円海山にて)
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中庸ということの大切さ

2022-02-11 15:25:50 | 雑感
 私は1960年代の終わりから70年代の前半にかけて学生時代を過ごしている。いわゆる学生運動が盛んな時代でもあった。私自身は典型的なノンポリ学生であったが、おそらくそれは私が怠惰な人間であったからだと思う。学生でありながら勉強は全然せず、かといってアルバイトに打ち込むというほどのことはしない。日がな一日部屋でごろごろと転がって日向ぼっこをしているような毎日であった。 私はその頃学生寮に住んでいたが、寮にはいろんな人が住んでいた。思想的にはいわゆる左がかった人も多く、日共系、反日共系のどちら側の学生も住んでいた。そして、活動らしいことはしていなくとも、いわゆるシンパ系の学生は相当いたはずである。何気ない雑談中に思想的な話題になると、普段は温厚で気弱そうな人の口調が急に変わって過激なことを口走りだす。そんな経験があって、私はイデオロギーというものの人を駆り立てる力というものを感じた。

 私は信州松本の大学に在籍していたが、時々都会の空気を吸うために東京に行くことがあった。中学時代からの友人のいる東京水産大学(現在の東京海洋大学)の学生寮に投宿するのが常であった。寮の掲示板には常時アルバイトの募集があったので交通費と食事代は稼げるし、飽きるまで滞在できるのである。そのようにして私は何食わぬ顔して水大生然として振舞い、顔見知りになった連中の部屋へも自由に出入りしていた。そんな調子で、その日も私は寮のある一室でマージャンを打っていた。お互い相手がどういう氏素性のものかは分からないが、そこは学生同士の気楽さで和気あいあいと談笑しながらマージャンを楽しんでいた。しかし、私はそこで地雷を踏んでしまった。少し以前に日本赤軍が世間を騒がした頃であった。私はそのことについて、「なんであんなあほなことやるんやろなぁ」と軽口をたたいてしまったのである。対面の男が身を乗り出してきて、いきなり私の胸倉を思い切り掴んだのである。部屋の雰囲気が仲良しムードから一挙に険悪ムードになってしまった。私は思い切り力を入れて相手の手を振り払うと、相手の男は「でていけっ!」と怒鳴った。私はとても気まずい思いをしながらすごすごとその部屋を引き払った。あとで友人にそのことを話すと、「お前、よう無事に帰って来られたなぁ。あの部屋は京浜安保共闘のアジトやでえ。」と言われた。団塊の世代以降の人はあまりご存じないだろうが、京浜安保共闘というのは日本赤軍の母体の一つとなった過激派組織である。

 しかし、私は今思うのである。彼らと私は友達になれたはずなのだと。過激派と言ってもやくざではない。人情も誠実さも持ち合わせていた人たちである。ある意味誠実すぎるとさえ言える。私と彼らを分断したのはイデオロギーだった。イデオロギーは言葉である。言葉が私達を分断するのである。

 さて、ここからが本題である。大乗仏教の創始者である龍樹によれば、言葉に依って真実を表すことは出来ないのである。私は今年の一月後半に概念(≒言葉)についての記事をいくつか書いたが、概念は必ず抽象化されているゆえに言葉が現前するものに的中することはありえない、そこにロゴス中心主義の危うさがあるという趣旨のことを述べた。イデオロギーは革命を正しいものと位置付けるが、「革命」という言葉には実は権力の交替という意味しかないのである。あまりにも矛盾した社会を変革するためには革命が必要であると思う。革命を起こすにはイデオロギーの力が必須となる。しかし、イデオロギーは人々の暮らしの中の多くの細々したことがらを捨象するのである。ロシアや中国や北朝鮮で成し遂げられた革命を振り返ってみれば、その事は歴然としている。

 学園紛争盛んなりし頃、「とめてくれるなおっかさん 背中(せな)のいちょうが泣いている男東大どこへ行く」という文句が流行ったことがある。背中のいちょうはやくざの代紋、代紋がやくざのイデオロギーである。代紋を背負っているかぎり、育ててくれた母親の情も振り切って男の道を進まなければならないのが任侠道である。革命という正義のためにすべてをなげうって進まなくてはならない活動家にとって、やくざにシンパシーを感じるのは自然なことなのだろう。学園紛争盛んな時期の東大駒場際にこのキャッチコピーが生まれたのも必然だったかもしれない。

 任侠道もそうだが、革命を目指すイデオロギーにも日常性というものがすっぽり抜け落ちている。産まれてからこのかた母親は自分のおむつを何回かえてくれたか、乳を何回飲ませてくれたか、むずがる自分を何回あやしてくれたか、人間の生活誌にはそのような無数のことどもが刻み込まれているのであるはずなのである。そのような日常性そのものが本来の人生ではなかったか。それらをすべてなげうって、母親の涙をふりきってまで、革命という建前に殉ずるというのはやはり間違っている。まさにやくざと同じ生き方である。純粋な生き方をすればそれでよいというものではない。日本赤軍のやったことが何をもたらしたか、その結果を見てみれば彼らの主張に理が無かったことは明らかである。彼らの一人一人を見ればまじめな人がほとんどであった。生まれてくる時代が少しずれていたならば、社会にとっても有用で幸せな人生を送ったのではなかろうかと思わせるような人が多い。

 時には革命を目指さなければならないという事情がある場合もあるだろう。しかし、絶対の正義というものはないということも肝に銘じておかなければならないと思う。そこで仏教では中庸とか中道というのである。それは右と左の真ん中ということではない。単純な言葉で割り切らないということである。決定的な間違いを起こさないように、反照的均衡を保ち続けるということに他ならない。私たちはイデオロギーに安住することは出来ないのである。

ホー・レインフォレスト (アメリカ ワシントン州)
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石原慎太郎氏逝く

2022-02-04 13:36:17 | いちゃもん
 このブログを読み続けてくれている人なら、私が石原氏とは相容れない信条の持ち主であることをご存じだろうと思う。思想信条だけでなく、いろんな面で彼と私は対照的である。慎太郎氏は男前で豪放磊落おまけに金持ちで女性にも持てる。不細工で小心翼々として貧乏で女性にも持てない私とはまるで正反対である。そんなわけで、普通は死んだ人のことを悪く言うのは慎むべきだが、ヒガミから少しケチをつけさせてもらおうと思う。どうせマスコミには称賛する声が溢れているだろうから。

 石原氏は問題のある放言が多いことで知られている。「(障碍者について)ああいう人ってのは人格あるのかね」とか 「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄」とか「俺はオカマとナマコは大嫌いなんだよ」とか、通底しているのは弱い立場の人々や女性に対して寄り添う姿勢が見られないことである。しかも謝罪しない。そういう人が政治家をするということに問題があると私は考えている。

 確かに親分肌で思い切りが良い。都知事として、ディーゼル車排ガス規制を盛り込んだ条例を制定したことは、彼だからこそできた顕著な功績であると思う。しかし、彼の行った業績にはマイナス面も非常に多い。新銀行東京、築地市場の豊洲への移転、東京オリンピックの誘致など、なにもしない方が良かった政策の方が多い。

 浜渦武生のような男を副知事に抜擢して汚れ仕事をやらせたのも問題だと思う。粗暴な男に権限を与えて自分は雲の上の人になったが、有能な職員はやる気をなくしてしまい、ごますりばかりが跋扈するようになってしまう。外部から来客が都知事に面会に行くと、職員に「まもなく閣下が入室されます。 直立不動の姿勢でお待ちください。」と言われるらしい。「閣下」とか「直立不動」とか時代がかっている仕掛けはもちろん当人が知らぬところで仕組まれるという設定であろうが、そういう雰囲気を醸成する人間を登用しているのは知事自身である。

 もうずいぶん昔の話だがテレビで、石原氏と犬猿の仲の中山正暉元建設大臣 がすれ違うシーンを見たことがある。側近の浜渦氏が口汚く中山氏を罵っていた。それに応じて中山氏が顔を真っ赤にして怒鳴り返す。石原氏は薄ら笑いをしながら悠々と通り過ぎる。石原氏は浜渦氏を「余人をもって代えがたい」と評価していたが、汚れ役や噛ませ犬として重宝していたのだろう。

 大分ケチをつけたが、石原氏には憎み切れない面もある。変な言い方だが、彼はまっとうな右翼である。日本会議に扇動されている連中は嫌韓・嫌中については熱心だが、対アメリカについては全然注文をつけない。まるでCIAのエージェントかと疑いたくなるほど、独立国として屈辱的な日米地位協定や横田空域などについては全然無視である。その点、石原氏は米国に対してもはっきりと「No」と言える真正の民族主義者であり、一定の誠実さを感じる。そういう意味で彼に魅力を感じる人がいるということも理解できる。
コメント (2)
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