禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

難病に罹ってしまいました。

2023-09-28 17:30:55 | 闘病日記
 長いことブログをほったらかしていたので、「もしかしたら、‥‥」と思った方がいるかもしれませんね。私はまあ何とか生きています。実は、8月21日から9月19日までの約一か月間入院していました。退院してから十日間経ってやっとブログに向かう気力がわいてきたところです。

 今年の春ごろから異変は生じていました。小便が異様に泡立ち始めたのです。私は血圧コントロールの為に毎月1回かかりつけ医に通っている。5月の健診時にそのことについて先生に訴えたところ、「御坊さんの4月の血液検査の数値は安定していて、腎臓にも今のところは問題はないと思います。」という返事が返ってきた。この先生は人間はとてもいい人なんだが医者としては少し頼りないと思っていた私は些釈然としない思いでその場は引き下がった。そして、翌月5月の健診の帰り際に先生が「次回来院時に血液検査をしましょう。」と言う。この先生は高齢者は3カ月に一回血液検査をするという方針なのだ。私自身は定期的に運動し体を鍛えている。血糖値、コレステロール等の成人病関係の異常値は一度も出たことないので、年一回の成人病検診で十分だ位に思っていたので、思い切って「先生、血液検査より尿検査をしていただけませんか?」とはっきり申し出た。

 結局、その日のうちに尿検査をすることになった。そして翌日、尿にタンパクが漏れていることが分かった。早速、近くの総合病院への紹介状を書いてもらった。そうこうして6,7月は検査々々で明け暮れた。通常の血液検査はせいぜい試験管2,3本の血液を採取するだけだが、試験項目が多いからか12,3本の血を採られた。X線撮影に始まり、MRI検査、胃の内視鏡検査、大腸の内視鏡検査、眼、歯、骨密度の測定まで行い、最後に腎臓に針を刺して直接組織を採取する腎生検まで行った。
 
 そうして下された診断が「一次性ネフローゼ症候群 膜性腎炎」という病名であった。ネフローゼというのはタンパクが尿から漏れてしまって、血中タンパク(アルブミン)が不足しいろんな不都合が起こる症状である。ネフローゼには一次性と二次性があって、その原因が悪性腫瘍とか糖尿病による場合は「二次性」であるとされ、元の病気を対象とする治療が行われる。「一次性」の方は原因が分からないので、今のところ根本的な治療法が確立されていない。そんなわけで厚労省から難病指定されている。そんなわけで、この私はれっきとした難病持ちなのである。

 治療法としてはいまのところステロイドによる治療しかないらしい。ステロイドだけで効かない場合は、合わせて免疫抑制剤も使用する。しかしよく聞いてみると、この病気に関してステロイドが有効なのは3人に一人しかいないのだという。残り二人の内一人は自然治癒するがもう一人の方は結局腎不全になってしまうということであった。自然治癒と言ってもそれはいつのことになるか分からない、それまでに体はかなりのダメージを受けてしまうだろう。先生は断定的なことは言わないが、どうやら私は幸運な三人のうちの一人らしい。ステロイド投与から3週間過ぎたあたりから尿たんぱくの量が減り始めているので、個人的には楽観視している。

 仮に完全回復とはいかなくとも、すでに74年間も生きてきた。一昔前ならかなり長生きの部類である。それに歳の割に私は今まで健康過ぎたようにも思う。週に3,4回ジムに通って、時速10kmで30分間走る持久力と懸垂7回出来るだけの筋力をこの年まで維持してきた。これからは多少健康にハンディを抱えて生きていくのが公平というものかもしれないと思うようになった。それに今回の経験で分かったのだが、腎臓病というのはだるいというか少ししんどいだけである。じっとしていればそれほど苦しくはないのだ。これはもともと怠け者の私には向いている症状かも知れない。鋭い痛みや激しい苦痛などというものはとても耐えられないが、単にボケーッとしているだけのことなら既に頭がボケ始めた私にはそれほど苦にならないからである。

 そんなわけで、難病に罹ったと言ってもそれほど前途を悲観しているわけではありません。

コメント
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