禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

「政治家の判断はそれ自体が政治性を帯びている」(グレッグ・ダイク)

2023-03-26 11:10:15 | 政治・社会
昨日(3/25)のTBS報道特集において、報道の政治的公平性について元BBC会長のグレッグ・ダイク氏の言葉が紹介されていた。

 「あるニュースが政治的に公平であるかどうか、それを判断するのは誰か?」という問題について、ダイク氏は「その判断は政治家にはできない。なぜなら、政治家の判断はそれ自体が政治性を帯びていて、その結果その判断は政治的に偏っていると認識されるべきものである。」とという趣旨のこと述べている。
 
 このところ元総務大臣であった高市氏は、総務省の行政文書について「ねつ造である」と言ったことで国会内で窮地にさらされている。しかし、私はこの問題について少なからぬ苛立ちを感じているのである。もし、行政文書にねつ造があるのならそれはそれで大問題でもあるが、今問題にすべきことはそんなことではない。かつて、安倍氏や高市氏が放送法を根拠に報道に圧力を加えようとしたこと、その事こそが大問題なのだ。そもそも放送法の「政治的公平性」というのは戦時中の御用報道の反省から来るものであり、報道を政治的圧力から守るためのものである。それを安倍氏らは自分の気に入らない報道を規制する根拠にしようというのだから、発想が逆転している。高市氏に至っては放送局の「停波」にまで言及している。無知と無恥ゆえの思い上がりと言うしかないことであったが、それこそが問題にされなければならない事であった。

 サッカーの元イングランド代表のリネカー氏は、かつてJリーグに所属していたこともあって覚えている人も多いと思う。そのゲーリー・リネカー氏は現在BBCの人気サッカー番組「マッチ・オブ・ザ・デー」の司会を24年以上も務めている。ところが、かれがTwitterで亡命希望者に対する英政府の方針を批判したところ、BBCは公平性を掲げる局の立場として番組からの一時的な彼の降板を決定したのだ。 どうやら政府与党の圧力があったらしい。ところが、彼の降板の発表以降、BBCにはリネカー氏と共演する解説者や現役の選手などから出演拒否の申し出が殺到したのだ。他の2つのサッカー番組や一部のラジオ番組も、急きょ放送中止を余儀なくされてしまった。 この混乱を通じて、BBCのデイビー会長は13日の声明でリネカー氏の復帰を発表した。

 リネカー氏の復帰について、与党の保守党政治家はいまも批判的だが、グレッグ・ダイク氏はリネカー氏の「(サッカーにおける)「5-0」のような」勝利であると述べた。 私はダイク氏のような人にNHK会長になってもらいたいと思うが、今のところ、それはない物ねだりというものなのだろう。
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大谷は確かに素晴らしいが‥‥

2023-03-25 14:06:50 | いちゃもん
 WBCの最終戦の最後、大谷とトラウトの一騎打ちはとても見ごたえのあるものだった。クローズアップされた大谷の表情からその息遣いが伝わってくる。文字通り息詰まるような瞬間だった。トラウトを三振に打ち取ったときの大谷の感情の爆発を見て、彼の勝負に対する執念と野球に対する情熱を誰もが見た、そして誰もが心を震わせたはずだ。それがスポーツの素晴らしさである。

 しかし、私は以前からこのWBCに対しては懐疑的である。というのは、この大会がもともとMLB(メジャーリーグ)のビジネスであり、それも日本向けビジネスとして設計されたものであるからである。主なスポンサーがほとんど日本企業であるのに、収益の7割がMLBの懐に入るという、とてもいびつなシステムになっている。アメリカの企業にはスポンサーとして参加させない。アメリカの企業にはあくまでメジャーのシーズンのスポンサーとして参加してもらい、その収益を独占したいからである。

 日本側ではWBCを「世界一決定戦」などと息巻いているが、アメリカ側ではあくまで最も権威があるのはワールドシリーズであり、WBCは単なる金儲けビジネスに過ぎない。だから、日本や他のアジアの国からはほぼベストメンバーを派遣するが、肝心のメジャーは本気で選手を選抜しない。今年はトラウトなどの声掛けにより、野手の方はスーパースターが参加したが、マックス・シャーザー やゲリット・コールというようなエリートピッチャーは参加していない。平たい言い方をすれば、WBCの試合結果もメジャーのオープン戦の試合結果のニュースの中に埋もれてしまう程度のようなものである。

 そもそもWBCのゲームをテレビで視聴しているアメリカ人は、日本に比べてかなり少ない。今回のWBC決勝は全米で500万人が視聴したと言われている。人口が日本の約3倍のアメリカでの500万人である。日本の視聴率は午前中の放送であったにもかかわらず40%を超していたというから、何千万もの人々が見たに違いない。それに比べればアメリカの視聴率は低いと言わざるを得ない。しかし、このアメリカの「500万人」という視聴者数はそれでも破格なのである。今までの最高視聴者数は2017年決勝「米国対プエルトリコ」の305万人だったというから、一挙に6割以上も増加したことになる。おそらく、トラウトや大谷のようなアメリカ人にとってもスーパースターと言うべき選手が参加したことが大きかったのだろう。
 
 アメリカで人気がそれほどないものを日本人がもてはやすことが悪いと言いたいわけではない。WBCというのはビジネスモデルとしてかなり歪んでいると言いたいのである。スポーツにかかわるビジネスというのはフェアーなものであってほしいと願っているからこのようなことを言うのである。

 それともう一つ言いたいのは、WBCが終わって3日も経ったのに、未だにテレビでは同じビデオを繰り返し放映しているということである。自国のチームが優勝して嬉しいというのは自然の情であるが、ものには程度というものがあるし、決してナショナリスティックになってはならないと思う。オーストラリア代表が「日本のホスピタリティは素晴らしい」とかチェコ代表が「日本をリスペクトする」だとか「【WBC】優勝した日本の“ゴミ一つないベンチ”に世界が注目『賞賛すべきチーム』『感銘を受けた』」とか、他国の日本に関する報道内容を、日本国内でより一層繰り返し増幅するのは如何なものか。せっかくほめていただいたのに、まるで自画自賛である。褒められたら、その好意に対して感謝する、それだけのことにとどめておくべきである。現在のマスコミの狂騒は品位に欠けると思うのは私だけだろうか。
 
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「総務省の行政文書がねつ造である」と当時の所管大臣が平然と言ってのける奇妙さ

2023-03-10 06:13:30 | 政治・社会
 放送法が定める「政治的公平」の解釈 をめぐって国会が紛糾している。高市早苗総務相(当時)は2015年、放送番組が放送法の求めるとおり政治的に公平な内容かどうか、ひとつの番組だけを見て判断する場合があると答弁した。そのいきさつについて記してある総務省の行政文書が暴露されたのだ。その文書には当時の安倍総理の補佐官である磯崎氏が総理や高市氏に根回ししたことが記されていた。その内容は前述の高市氏の答弁と一致しており、そう言ったやりとりがあった蓋然性は非常に高いという印象を受けた。高市氏は答弁は自分自身の考えであり、その文書に書かれていることは真実ではないと主張する。

 彼女の主張によれば、その文書はねつ造でありその挙証責任はその文書をとりあげた野党側にある、と言っているように聞こえる。なにやら森友問題の文書偽造を想い起させられる。公式文書を官僚が恣意的にねつ造するなどということがあったのなら、政治家は「挙証責任はそちらにある」などと他人事で済ましていいものなのか? 当時の所管大臣であった高市氏は厳しくねつ造した担当者の責任を追及しなければならないはずである。なのに、それはやろうとしない、なぜ? 現在の松本総務大臣は「『総務省にねつ造する者はいないと信じたい』と局長が申し上げたとおりだ」 と言ってすましている。あえて「馬鹿なのか?」と口汚く罵りたくなってくる。

 しかし、それにもまして、問題はそこか? とも言いたくなってくる。

 そもそも、放送番組が政治的公平であるかどうかを政府が判断する、ということこそが先ず問題にされなければならないのではないか、当時の高市総務大臣は放送局の停波ということにまで言及している。TBS内部では「出演者の選び方を変えるよう社内で指示が出た」「揚げ足を取られないようにしようという雰囲気になった」というような話も出たらしい。すでに報道機関の上層部が政府の顔色を気にしていることが問題である。報道番組において政治家が問題にできるのは真実かどうかだけである、ということを明確にしておくべきだろう。その他は一切介入してはならない。報道が政治から自由であることはとても重要である。現在のロシアを見ればそのことはよく分かるはずだ。
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理性と理由

2023-03-04 17:27:27 | 哲学
 「理由」は英語で "reason" というのは大抵の人が知っていると思う。では「理性」を英語で何というかと訊ねられて答えることが出来る人はそれほど多くはないのではなかろうか。実は、「理性」も "reason"  なのである。理性は理由を求めるものであり、理由は理性により求められるものである。明らかに別概念であり、英語の "reason"  はわれわれ日本人から見れば多義語である。多義語というのは使用される文脈によって意味が違うのだが、使用する側はその違いを意識してはいない。例えば、次のような具合である。   

   "reason for the success of ~" (~の成功の理由) 
 "his reason told him that the way was the best " (それが最善であると彼⦅の理性⦆は判断した)

 あなたがレストランで食べた料理がとても美味しかったとする。そして勘定書きを見て、その値段がとても安いと感じたとする。日本人ならそういう場合は「安い」というが、それを英語で "cheap" と言ってしまったら、そこのシェフは気を悪くしてしまうだろう。そういう場合は "reasonable" と言うべきである。その料理はそれだけの対価を払っても十分見合っている、つまりその値段はあなたにとって整合的なものであると貴方の理性が納得したという意味である。
 
 私たちは無意識の内に「どんな出来事にも、そうであるためには十分な理由がなくてはならない」という原理を信じている。ライプニッツはこれに「充足理由律」と名付けた。あまりにも当たり前すぎて、あらためてこれを原理として取り扱うと、かえってなにを言っているのかが分からないと言いたくなる人もいるかもしれない。しかし、それは本当に「当たり前」なのだろうか? この世界にそんな原理が本当にあるのだろうか? 理性は常にものごとが整合的であると納得したがっている。つまり、常に理由を求めているのである。もしかしたらそれは理性の側の事情なのではないか? 理性による整合性に対する渇望を世界の側に投影しているだけではないのか、と考えたのがカントである。彼は、あらゆることを因果関係という枠組み(カテゴリー)を通して見ることをしないと、この世界を把握できないと考えたのである。

 カントはその主著「純粋理性批判」において、人間の理性の限界を示すために4つのアンチノミーというものを提示している。そのうちの第一番目の「時間と空間に関する宇宙の限界」に関するアンチノミーをご紹介しよう。

≪定立命題≫
 世界は時間的な端緒をもち、空間的にも限界によって囲まれている。
≪反定立命題≫
 世界は時間的な端緒をもたず、空間的な限界をもたない。つまり無限である。

アンチノミーというのは互いに背反する命題のことで、上記の定立命題と反定立命題は互いに背反するにもかかわらず、双方とも合理的に説明できるとカントは言うのである。

 世界の時間的な端緒(始まり)について、カントは次のように考えたようである。
≪もし世界にいかなる端緒がなかったとしたら、今までに無限の時間が流れてしまっていることになってしまう。しかし、「無限」とは決して尽きることのない量を意味するわけであるから、既に過ぎ去ってしまっているということとは矛盾する。それ故定立命題は正しいはずである。では逆に、世界の時間的な端緒が存在したと仮定してみよう。だとすると世界が生まれる端緒以前には、なにもない空虚な時間が流れていたことになる。その空虚な時間には何もないのだからどの時点をとってみても、他の瞬間より優先される条件はない。ならば世界が生まれる端緒となるきっかけは生じないはずである。しかし現実に世界は存在しているのであるから、世界は時間的な端緒をもつはずである。

 カントの証明が正しいかどうかはさておいて、彼が言っていることは無限というものがわれわれには手に余るものだということだろう。私たちは平安時代とか弥生時代とかいう大昔の時代については、実際の経験の延長上にある過去として概念的に把握することは可能だが、世界の始まりというような一切の経験から隔絶したものについて合理的に把握しようとしても、仮象を生み出すだけで正しい認識を得ることは出来ない、と言うのだ。その指摘は尊重すべきであるように思う。
 
 このことは仏教における「無記」にも通じることだと思う。例えば、前世だとか死後の世界などというものは完全に私たちの経験とは没交渉のはずである。それをあえて理解しようとすれば、理由に渇望している理性は根拠のない理屈をとり入れるしかなくなってしまう。それで、「前世の宿痾を消滅させるために献金しましょう」などという詐話師の言葉にやすやすと乗っかってしまったりする。この世界が存在することの根源的な理由(それは<私>の存在することの根源的な理由でもある)は存在しないという諦観、それが無記ということである。

大船観音
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