昨日(3/25)のTBS報道特集において、報道の政治的公平性について元BBC会長のグレッグ・ダイク氏の言葉が紹介されていた。
「あるニュースが政治的に公平であるかどうか、それを判断するのは誰か?」という問題について、ダイク氏は「その判断は政治家にはできない。なぜなら、政治家の判断はそれ自体が政治性を帯びていて、その結果その判断は政治的に偏っていると認識されるべきものである。」とという趣旨のこと述べている。
このところ元総務大臣であった高市氏は、総務省の行政文書について「ねつ造である」と言ったことで国会内で窮地にさらされている。しかし、私はこの問題について少なからぬ苛立ちを感じているのである。もし、行政文書にねつ造があるのならそれはそれで大問題でもあるが、今問題にすべきことはそんなことではない。かつて、安倍氏や高市氏が放送法を根拠に報道に圧力を加えようとしたこと、その事こそが大問題なのだ。そもそも放送法の「政治的公平性」というのは戦時中の御用報道の反省から来るものであり、報道を政治的圧力から守るためのものである。それを安倍氏らは自分の気に入らない報道を規制する根拠にしようというのだから、発想が逆転している。高市氏に至っては放送局の「停波」にまで言及している。無知と無恥ゆえの思い上がりと言うしかないことであったが、それこそが問題にされなければならない事であった。
サッカーの元イングランド代表のリネカー氏は、かつてJリーグに所属していたこともあって覚えている人も多いと思う。そのゲーリー・リネカー氏は現在BBCの人気サッカー番組「マッチ・オブ・ザ・デー」の司会を24年以上も務めている。ところが、かれがTwitterで亡命希望者に対する英政府の方針を批判したところ、BBCは公平性を掲げる局の立場として番組からの一時的な彼の降板を決定したのだ。 どうやら政府与党の圧力があったらしい。ところが、彼の降板の発表以降、BBCにはリネカー氏と共演する解説者や現役の選手などから出演拒否の申し出が殺到したのだ。他の2つのサッカー番組や一部のラジオ番組も、急きょ放送中止を余儀なくされてしまった。 この混乱を通じて、BBCのデイビー会長は13日の声明でリネカー氏の復帰を発表した。
リネカー氏の復帰について、与党の保守党政治家はいまも批判的だが、グレッグ・ダイク氏はリネカー氏の「(サッカーにおける)「5-0」のような」勝利であると述べた。 私はダイク氏のような人にNHK会長になってもらいたいと思うが、今のところ、それはない物ねだりというものなのだろう。