全豪オープンの決勝戦、大阪なおみ選手は第2セットの第9ゲームでチャンピオンシップポイントを握った。ここでワンポイント取っていれば、彼女の快勝ということになっていただろう。が、その1ポイントがなかなか取れない。いわゆる「勝ちビビり」に取りつかれてしまった。結局クビトワの7ポイント連取を許し、そのセットを失ってしまった。その時点で彼女の負けを覚悟した人も多かったのではないだろうか。彼女は明らかにパニックに陥っていた。
ここで彼女はトイレ休憩を申請する。トイレの中で彼女は(おそらく)泣いた。そして、すぐ自分を取り戻した。そしてその時の心境を次のように述懐する。
「私は世界で最高の選手の一人と闘っている、謙虚にならなければならない。勝って当たり前などと考えてはならない。」
彼女は直ぐにトイレを出て競技場に引き返した。大方の予想に反してたった2分間で引き返してきたのだ。誰もが彼女の表情の変化に気づいたはずだ。自分を取り戻した彼女はみごと第3セット目を獲得し、全豪チャンピオンとなった。見ごたえのある、胸が震えるような試合だった。
以前からアイデンティティーという言葉に抵抗を感じている私だが、大阪なおみ選手のインタビューを聞いていて、まさに我が意を得たりと感じる瞬間があった。
周知のとおり、大阪選手のお父さんはハイチ系アメリカ人、お母さんは日本人、生まれは大阪で、3歳からはアメリカで育っている。そういうことを背景にインタビュアーは、「ご自分のアイデンティティについてどのように思いますか?」と訊ねた。それに対して大阪さんは「うーん、あまり気にしない。私は私です。」と答えた。
その時私は「彼女は地に足を着けた人だ」と思った。地道に毎日を生きている人間は、アイデンティティなどという観念にとらわれることはない。彼女の素朴な答えが、私にはとてもさわやかなものに思えて、うれしくなった。彼女のことは前から好きだったけれど、ますます好きになってしまった。
「『アイデンティティ』がわからない」
https://blog.goo.ne.jp/gorian21/e/c90db6f0eaff317861c1782e21daa53f
本当の私というのは無規定なもの。それは日本人でもなければアメリカ人でもない。あえて聞かれれば、「私は私」と答えるしかなかった。彼女は意図せずして、仏教の本質にかかわる回答をしたのだと思う。