先日、NHK-Eテレで「世界の哲学者に人生相談」という番組を見た。導入部で、ニーチェの名言によって人生に対する目を開かされたという女性の例が紹介された。
「あなたにとって最悪の敵はあなた自身である」 この言葉が、子育てに悩む中でまわりの人を敵視する女性の人生観を一変させたというのだ。
私個人は、人生相談は哲学者にするものではないという考え方の持ち主である。特にニーチェは人生相談の相手としてはもっとも適さない哲学者だと思う。哲学者はみなとびぬけて高い知性をもつが、決して人生の達人というわけではない。むしろ、その性格に偏波なものを抱えており、その鬱屈を合理化するために考え抜く、というタイプの人も多い。私の見るところニーチェはその最たる例である。
前出の女性の、周囲の人々をみな敵視するというその見方が変わるきっかけとなったのは、電車の中で出会った夫人から受けた親切な行為であったという。他人から受けた思いやりがうれしくて、心から感謝した時、ニーチェの言葉の中の「敵」、「あなた自身」という言葉を強く意識した。その時、敵は周囲にあるのではなく、自分自身であった、ということに気づいたというのだ。
彼女は、この「気づき」がニーチェによってもたらされたと思っているかもしれないが、それは違う。おそらくそれは子育てをする苦労の中で、彼女自身がなしえた成熟によって獲得したものだ。たぶんそれはニーチェとはなんの関係もないものである。
ニーチェの著書には、思いやりだの親切、そしてそれに対する感謝などというものを評価する言葉は一切出てこない。キリスト教的価値観への反発と怨念、自分自身の高い知性に対する選民的な誇り、ニーチェの思想はそれらからなっている。その言い分を真に受ければ、一般に通用している倫理とはかけ離れたものであり、人生の指針とするには非常に危険なものである。
番組の内容は、あまり「哲学的」とは感じなかったが、おそらく「哲学」という言葉は多義的に使用されているのだろう。私自身が「哲学」を学問的にとらえすぎているのかもしれない。
番組の終わりごろ、ソクラテスの「正しく哲学している人々は死ぬことを練習しているのだ」という言葉が紹介された。それを受けて、妻が「あなた、死ぬことを練習してる?」と私に問う。もちろん私は、「否」と答えた。
妻に、「ふーん。あなたって、正しく哲学してないのね。」と言われた。