伊波塾長の気ままブログ

スタディの代表者の伊波勝也塾長が、日常の出来事や生徒の勉強について思いつくまま気ままに書き込んでいます。

継続のコツ

2007-02-25 20:11:10 | Weblog
今日は時おり小雨のパラつくなか、中部では沖縄マラソンが行われました。人それぞれいろいろな走り方があったことと思います。マラソンでは自分の体力・体調にあったペース配分が大切です。最初から飛ばし過ぎると途中でバテテしまいます。逆にあまりゆっくりでは時間オーバーになってしまいます。

勉強についてはどうでしょうか。「必死に勉強する」とよく言いますがどんなもんでしょうか。勉強は長い期間にわたって行われるものです。必死だと途中で息切れしてしまい長続きしません。気負わずにむしろ気楽にやったほうがよいと思います。今日気楽に勉強すれば明日も気楽に勉強できます。そして次の日も続けられます。

ひとつのことを継続するコツは「気楽にやる」ということではないでしょうか。はたから見ると大変そうなことでも本人はいたって気楽にやっている。これが理想的ではないでしょうか。高橋尚子がよく言っていました。「楽しく走れました。」 これだと思います。子供たちにも楽しんで勉強できるようになってもらいたいものです。楽しければ毎日の勉強を継続できるようになると思います。


我慢する力

2007-02-18 07:37:36 | Weblog
今年も桜の花が見られる季節になりました。桜の花は暖かい地域から先に咲き、次第に北上していきます。沖縄は暖かいので桜の開花も早いです。ピンク色の花々がそろそろ満開というところでしょうか。

ところで桜の花は那覇よりも名護のほうが毎年先に咲くようです。北に位置する温度の低い名護から先に咲く理由は、桜の花は厳しい寒さを経験しないと開花しないらしいのです。那覇は寒さの経験が十分ではないので開花が名護よりも遅れてしまうようです。

子供たちにとって冬の寒さは十分でしょうか。いつも暖かいばかりではいけません。温室育ちで十分な寒さを経験しないでいると、「我慢する力」が育たず、困難に直面したときの解決する力や行動力が育ちません。

世の中、好きなことだけあればよいのですが嫌いなこともやはりあります。自分は好きなことだけして、嫌いなことは他の人にまかせるでは虫が良すぎます。嫌な事でも我慢してやる習慣をつけていれば、大人になったとき本人がとても助かるはずです。子供のときは親が代わりに嫌な事をやってくれますが大人になったら代わりにやってくれる人など誰もいません。

勉強にしてもその他のことにしても、まずは我慢してやってみる。我慢して続けているうちに今まで見えなかったものが何か見えてくるのではないでしょうか。それは我慢しなくても続けられる自分自身かもしれません。そして我慢することによって成長していく自分自身かもしれません。成長する自分自身を見ること感じることは楽しいですよね。我慢というものは結構いいものかも。

感謝 感謝・・

2007-02-11 22:12:51 | Weblog
 人は自分ひとりで生まれてきたのではなく、ひとりで育ってきたわけでもありません。どれほど多くの人たちの世話になってきたことか、また世話になっていることか。それからすると周りに対する感謝の気持ちは人間関係の基本だと言えるでしょう。

 周りに対し腹の立つことがときどきあります。そんなときは気持ちがイラついていて何をやってもうまくいきません。しばし立ち止まって、自分と関わるひとりひとりの存在の有難さを考えます。いら立った気持ちが和らいで感謝の気持ちへと変わってきます。腹立たしい気持ちになったときや人間関係がしっくりいかないときは社会のなかで自分がどのように生かされているかを考えると心が穏やかになってきます。

 子供は親の真似をします。親の言動だけでなく、心の中、考え方、感情まで真似てしまいます。お父さんお母さんが家族を取り巻く人間関係、社会にどう対応してしているかを子供たちは見ています。そして、同じように真似ていきます。いつでも社会に適応すればいいと言うわけではありませんが、人間関係があまりにも不器用では子供たちがかわいそうです。

 ところでスポーツの世界で偉大な成績を残した選手からよく出る言葉で「皆様のおかげで・・・」というのがあります。私はあの言葉はテレビの前だから言う社交辞令ではなく、大半が実際に選手がそう思っているから自然に口から出る言葉ではないかと思っています。周りに対する感謝を忘れない人だからこそあれだけの偉大な成績・記録を残せたのではないでしょうか。

 勉強でも同じではないかと思います。お父さんお母さん、学校の先生、友だちなど周りの人たちに感謝できる子供はきっと大きな困難をともなうことなく比較的スムーズに勉強を進めていけるのではないでしょうか。子供の勉強・学習は子供一人ではなく、多くの人に支えられた「信頼」という人間関係の中で行われるのですから。
 
 

「楽は楽の種」

2007-02-04 10:29:48 | Weblog
   
 
「苦は楽の種」と言いますが、「苦」が「楽」に変わって「楽は楽の種」になったらどんなにか良いことでしょう。同じことをやりながらも「苦」を「苦」と感じずに「楽」と感じる。「楽」を感じながらその行為がさらなる「楽」へと結びついていく。

 人それぞれいろいろな人生があるのでしょうが、もっともうまい生き方をしている人は「苦」を「楽」に変えて「楽は楽の種」で生きている人なのかもしれません。何かをするときにそこに何を見るかどんな意味を見い出すかによって物事の有り様は全然違ったものになります。

 子供たちが勉強をするときはどうでしょうか。それがもし「苦」であったなら何とか「楽」に変えたいものです。「楽」に変えるにはどうするか。教える先生方は勉強が少しでも子供たちの興味を引き楽しいものになるよう工夫することが大切です。習う側の生徒は習う対象について知らなければ好きになりようがないですからまずは勉強して少しでも分かるようになることです。

 勉強させるには生徒を突き動かすきっかけが必要です。きっかけは生徒が動いてくれるのであれば何でも良いと思います。目標を達成したときに褒美を上げる(癖にならない程度に)、努力が認められ学校の先生に褒められる、親に褒められる、先生が好きである、先生に認められたい褒められたい、初めてテストで100点を取った達成感と高揚感、いろいろあると思いますが生徒本人が喜んで自ら勉強するという流れに結び付けつけたいものです。

 勉強が「楽」へと変わり・・・そういえば実技科目のひとつである音楽の楽は音を楽しむの「楽」ですし、他の主要科目についても「楽」を伴うようになったらやはり理想的です。「苦」を「楽」に変えていくという姿勢は大人になってもいろんな場面で必要になってきます。大人が見本を見せながら子供たちに教えていきたいものです。と思うときひとりひとりの大人は成長途上であり、子供と一緒に成長するものなのだと改めて思い直してしまいます。