伊波塾長の気ままブログ

スタディの代表者の伊波勝也塾長が、日常の出来事や生徒の勉強について思いつくまま気ままに書き込んでいます。

消費税

2019-09-26 11:47:31 | Weblog

「この契約書に、署名と押印をお願いします」

「3枚重ねのようなので、左手で書きますね」

「どうしたんですか?」

「右手は怪我で力が入らないんです」

「私が代わりに書きましょうか?」

「契約書なので、やはり自分で書きますね」


コピー機の新たなリース契約書に、左手でゆっくりと書き込んでいく。契約書の小さい枠に慣れない左手で書くのは結構大変である。所々でミミズがはったようになっているが、これでも大丈夫らしい。10月には消費税が10%に上がるので、9月中に契約書を交わしたほうがよいのだという。増税前の駆け込み需要なのだろう。

このような光景が津々浦々で見られたなら、この時期の日本経済は活況を呈しているはずである。ところが、今回の増税では駆け込み需要が全然ないのだという。いったいどうなっているのか。

好景気を作り出す最良の手段は、人々が恐怖心を捨て去ることである。先の心配をしないので物をどんどん買ってくれる。物が売れると企業は儲かるので賃金が上がる。賃金が上がると、さらに物が売れるようになる。

駆け込み需要がないのは、ほとんど国民に漂う止めがたい不安感である。

今、日本経済は停滞し世界経済も明らかな後退局面に入っている。例を見ない世界恐慌を予想する経済評論家もいる。このタイミングでの増税は絶対に有り得ないことである。日本のリーダーは狂ってしまった。

政府の舵取る狂った経済政策は、日本と日本国民をいったいどこに連れていくのか。


因果応報

2019-09-25 05:19:45 | Weblog

夜明け前に目が覚めて、愛読書の小説を読む。少し読んだところで、熱いお茶が飲みたくなった。熱いお茶を左手のカップですすりながら、キーボードを打つ。こんな時間に自分がお茶をすすりながらキーボードを打っていること、これは運命である。天の摂理で決まっていたことである。

そしてまた思う。人の今ある姿は、過去の積み重ねの結果である。善因は善果を生み出し、悪因は悪果を生み出していく。運命という天の計らいを受け入れるとき、人は心の平穏を得る。しかしまた、心の平穏を波立たせて運命に抗するのもまた人の有様である。心の中の治まらない荒波に身をまかせたくなる。

権力は運命の甘受を人々に仕向ける。消費税10%、基地建設やオリンピックの巨額な利権、カジノ利権、首相のお友達優遇、社会保障費削減、上級国民の不逮捕、閣僚と暴力団の癒着。挙げれば切りがない。選ばれた上級国民の優位性と生活を守るため、下々は我慢せよ。

我慢などしなくてよい。仕方がないと思わなくてよい。権力の求める理不尽な我慢に、怒りで抗ってよい。怒りに震えてよい。

因果応報という言葉が頭に浮かぶ。今は、過去の積み重ねの結果である。未来は、現在の積み重ねの結果である。人は現状を甘受しなくてもよい。運命は作り出せる。

 

※因果応報(いんがおうほう)
仏教用語:「前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること」デジタル大辞林


体重計

2019-09-24 13:38:25 | Weblog

注文していた体重計が宅急便で届いた。

電池をセットして、恐る恐る体重計に乗ってみる。表示は45㎏とある。

50㎏を割っているだろうとは思っていたが、そこまでとは・・・。以前は57㎏~59㎏はあったので、約13㎏減っていることになる。2、3日前にベルトを1㎝切って短くしているので、体重の減少はまだ続いているのだろう。

これ以上体重が減り続けるのは、さすがによくないと感じる。身長からの標準体重は60kgなので、50kgには戻したほうがよいかもしれない。

一日一食の食習慣が体になじんでいて、自分でもそれを好んでいる。今の生活のリズムは崩したくない。食べ物の質と量を工夫して、50kgまで戻してみることにする。

 

しかし、体重計を購入してよかったと思う。自分の体重を知らなければ、45kgからまだ減り続けていただろう。もっとも、体重計がないままにしたのは減り続ける自分の体重にビビらないためではあったのだが。