伊波塾長の気ままブログ

スタディの代表者の伊波勝也塾長が、日常の出来事や生徒の勉強について思いつくまま気ままに書き込んでいます。

最下位

2007-10-28 07:53:28 | Weblog
全国学力テストの結果、沖縄県は他県に大きく差をつけられての全国最下位であった。高得点域ほどより多くの生徒が分布する基礎問題、このくらいはどの生徒でもできていて当然という基礎学力テストであった。

ある本土企業がコールセンターを沖縄から撤収し、北海道に移転したという新聞記事を5,6年前に県外の新聞で見たことがある。移転の理由は人的資源に乏しいから。いくら補助金で企業を誘致しようとしても人的資源が乏しければやりようがない。

経済的事情が厳しいから学力が低いという言い訳はもう辞めにしよう。子供たちの学力を高めるという種をまき、将来の経済的状況を改善していけばよいではないか。経済的状況がよくなれば学力向上にさらに取り組むことができる。

かつては経済的自立を困難にする大きな要因の一つに本土から離れた島嶼性が上げられたが、今日ではIT産業という成長産業がありこの分野なら島嶼性は何の障害にもならない。必要なのは知識と意欲だけである。特に数学の知識はIT産業では必須である。

ところが沖縄県は数学の学力テストの結果が特に悪い。小学生で悪かったのが中学生ではさらに悪くなって他県に大きく差をつけられている。

現実を直視しなくてはいけない。もし大人が十分に勉強をしてきたならば、今回の学力テストの結果はこれほど悪くはならなかっただろう。学校、家庭、地域社会におけるすべての大人に責任がある。まずは大人から動き出すべきである。

子供たちは大人の真似をして育っていく。大人が勉強をすれば子供たちも勉強をする。大人をモデルにして子供たちは自らを作っていく。まずは大人から勉強を始めよう。

本を読んでいる大人の姿や鉛筆を握って何かを勉強している大人の姿を子供たちに見せればよいではないか。「勉強しなさい」という一言よりもはるかに効果的である。

では学習塾や家庭教師には何ができるのかを考えるとき、その取り組むべき役割の重さと責任の重大さを痛切に感じる。生徒の指導環境の改善・向上の絶え間ない努力が求められている。

子は親の鏡

2007-10-15 12:22:16 | Weblog
ボクシングの亀田大毅の試合は反則のオンパレードでスポーツマンシップとは程遠いものだった。人を人と思わず、ルール無用で、勝つためには手段を選ばない亀田家のやり方はマスコミも含め世間から大きな批判を浴びている。セコンドの父親と兄が反則の指示を出しているのをテレビの音声で拾われてしまい亀田家はまさに窮地の状況だ。

この親にしてこの子ありか。親の言うことを素直に聞く素直な親孝行の子供たちであったかもしれない。学校にもあまり行っていなかったようだし、社会的な物事に対する考え方は父親からほとんどの影響を受けてきたのだろう。

この世に生を受け、めぐり合う一人ひとりの人間から様々な影響を受ながら人は成長していく。しかし、亀田兄弟にとっては最初のめぐり合いが悪すぎた。生まれてみたら、この父親。どんな父親かは彼らには分からない。分かるのは大切な父親ということ。この父親についていくしかない。

次の詩が心にしみる。

     子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもは人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子どもにはならない

誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

    1954/ドロシー・ロー・ノルト