伊波塾長の気ままブログ

スタディの代表者の伊波勝也塾長が、日常の出来事や生徒の勉強について思いつくまま気ままに書き込んでいます。

慰霊の日について

2009-06-25 05:20:17 | Weblog
昨日は慰霊の日だった。沖縄戦で亡くなられた多くの方々の御霊に合掌。


多くの尊い命が国家という圧倒的力の下で当然のことのように奪われていった戦争、投げ捨てることを強制された戦争。客観的に国力を見極める能力をもたず、精神論だけで戦争が勝てると考えた愚かな時の支配者たち。愚かな支配者の判断と決定で名も知れぬ無数の国民が無益に命を落としていった。いつの世も権力を誰に預託するかが国民の幸・不幸を左右する。

話は変わるのだが、慰霊の日に学校まで休日にするのはそろそろやめたほうがよいのではないか。休みにしても生徒たちは遊んでばかりいるのだし、学校に行かせて勉強させたほうがよい。そのときに平和教育もすればよい。亡くなられた御霊もそれを喜んでくれるはずだ。

ここで大事なのは動くか動かないかだ。寸暇を惜しんで勉強時間にあてるという姿勢が学力を向上させる。地域社会の勉強に対する価値観がゆるいと学力は向上しない。慰霊の日に子供たちが街中を遊び歩いているのをみて、地域の大人が何とも思わないようなら学力の向上は望めない。

おそらく100年、200年という時間の経過が慰霊の日を休日でなくすることであろう。しかし、その前に学校だけでも休日からはずしてしまおう。生徒の学力の実態は地域社会の学力観の反映である。

鈍感力か・・敏感力か

2009-06-02 07:58:22 | Weblog
2、3年前のある日、竹輪(ちくわ)を食べたら体中が痒くなった。原因は竹輪かと思い4、5回ぐらい試しに食べるのだがやはりその都度痒くなる。これがアレルギーかと初めて知った。1週間ほど前、ついうっかり竹輪を少しだけまた食べてしまった。次の日から痒くなっていまだに治らない。アレルギーは免疫機能の過剰反応だと言われる。自分の場合は竹輪に免疫機能が過剰に反応したということか。敏感すぎるというのも困りもんだ。

数年前、鈍感力という本がもてはやされた。小泉純一郎が当時の安倍晋三首相に「大事なのは鈍感力だ、内閣支持率の低さは気にするな。」とアドバイスを送っていた。ひ弱な安倍晋三には確かに鈍感力が必要だった。放り投げてしまったのだから。

体質的な過敏とか精神的な苦痛に対し「鈍感力」は一種の図太さとして癒しや緩和の働きをする。鈍感力は苦しみの多い人間の生活にとって必要な能力ともいえる。

しかし、こと教師から生徒への姿勢となると鈍感であっては困る。先生が気づいていないではまずい。アンテナの感度を良好にしてよく気づき、絶えず適切な配慮をする。生徒の痛みが先生の痛みになり、生徒の喜びが先生の喜びになる。痛み・悲しみ・苦しさは鈍感の力で解決するやり方もあるが、次元を高くしたら敏感の力で解決することもできる。感性の麻痺ではなく鋭敏な感性そのもので問題を解決することもできる。安易に感性の麻痺に頼ってはいけないのではないか。先生にはいつも敏感力が求められている。