伊波塾長の気ままブログ

スタディの代表者の伊波勝也塾長が、日常の出来事や生徒の勉強について思いつくまま気ままに書き込んでいます。

だれのため

2012-05-31 18:30:50 | Weblog
職場の建物の階段下に、汚れた空き缶とお菓子の袋が落ちていた。拾ってゆすいで社内のゴミ箱に捨てた。

手は汚れるが、気分がいい。ゴミ拾いで快感を感じる自分がいる。

自分はこの快感のために、あの空き缶とお菓子の袋を拾ったのか。

しかし、自分のためでいい。またゴミ拾いをする。


塾の先生はどうだろう。

生徒の成績が上がる。生徒が喜んでいる。

塾の先生には、それが快感なのである。

先生方もまた自分のためでいい。今日も生徒に教える。

北風と太陽

2012-05-30 16:32:32 | Weblog
北風と太陽が、旅人の上着を脱がせることができるかと競争をした。北風は、旅人に強い風を吹きつけて、無理やり上着を脱がせようとしたができなかった。太陽は、旅人にポカポカと照りつけて、上着を脱がせることができた。

生徒を怒鳴って強引に動かすのが北風なら
生徒をほめてその気にさせるのが太陽である。

そよ風があってもよい。明るく声かけする。
南風があってもよい。こんこんと教え諭す。
お月さんがあってもよい。静かに聞いてあげる。

塾の先生の仕事は、生徒をその気にさせること。北風ではない。

五感

2012-05-28 00:40:40 | Weblog
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚 これを五感という。

視覚。天の摂理は我々に、目を与えてくれた。

聴覚。天の摂理は我々に、耳を与えてくれた。

人の持つ五感には驚かされる。

離れていながら外界が分かる。絵が、音が、教えてくれる。

人間の存在そのものは感動である。

たまたま生まれた、この時代、この場所。

永遠にはこの五感を持つことはできない。

しかし、驚いている自分がいる。

驚くものがある。

何かは知らない。

それでいい。

習慣に逃げる

2012-05-27 07:04:03 | Weblog
いつもの決まったことを続けて習い性になったのを習慣という。習慣は生活の中にパターン化されて組み込まれる。そして、習慣には良い習慣もあれば、悪い習慣もある。良い習慣にも悪い習慣にもいえるのは、さしたる困難を伴わないで惰性で続けられることである。むしろ、人はその惰性に流されることを好む。

やらなければいけないことがあるのだが、手付かずでそのままである。習慣の外にあるものは、なかなかやる気がおこらない。習慣に逃げ込んでしまうのである。習慣に逃げたほうが楽なのである。

そんなに悪い習慣ではないのだが、自分の習慣を一時的に壊してしまおうか。伸ばし伸ばしの仕事に手がつけられる。

自分の習慣とどう向き合うか。自分の習慣を続けるか壊すか。自分の習慣を別のものに作り上げるか。習慣は作り上げるのは時に大変だが、あとは楽である。習慣とどうつきあっていくか。その作業が個々の人間を作り上げていく。

今日は習慣を壊そう。今日だけ。

急性胃腸炎

2012-05-26 11:29:22 | Weblog
職員の1人が急性胃腸炎で一昨日入院した。下痢で脱水症状があり、2、3日は入院が必要だという。急性胃腸炎はウイルス性の場合が多く、伝染するらしい。

自分にはなかなか伝染しないだろうと、変な自信がある。何故かというと、やたら手を洗うからである。雑な性格なのだが、手についたバイキンにはかなり神経質だ。お金を触ったあとは、覚えている限りは時間と場所があれば必ず手を洗う。洗う回数が多いので、なかなか経口感染は難しいだろう。

ところで、お金は、一般的に誰にとっても価値を持つものである。人によっては、お金を何よりも最優先する人もいる。それほどまでに、意味と影響力をもつお金であるが、保健衛生的にはこれほど汚いものはない。手元のお金は何百人、何千人という人が手で触れたものである。どれだけのバイキンがついていることか。お金の入っている財布も、バイキンだらけなのだろう。

小学校低学年のころ、飴玉の替わりにというわけではないが、お金を口の中に入れて舌でコロコロ転がして遊んでいた。金属の味がした。今でも、味を覚えている。あれは1セント硬貨だったのか、5セント硬貨だったのか、舌の上にのせるとヒヤリと冷たく、鉄のような銅のような味がした。よく、あんな不衛生なことができたものだ。

しかし、衛生面で潔癖すぎるというのも考えものである。あまり清潔過ぎる環境に育つとウイルスや病原菌に対する抵抗力がなくなり、病気にかかりやすくなる。こどもは、泥の中に遊んで、泥が口に入るぐらいのほうが、抵抗力がついて体によい。

お金を口の中に入れて遊んだのは、自分の体の抵抗力を高めることには効果があったと思える。ある程度のウイルスと病原菌との接触は抵抗力をつけるためには必要なことである。とは言いつつ、今日もまた手を洗う。

新聞小説

2012-05-25 19:47:51 | Weblog
琉球新報の連載新聞小説を毎日楽しみに読んでいたのだが、ここ最近の物語の展開が面白くなく、昨日から読むのを辞めた。村上龍の「55歳からのハローライフ」。ハローワークと思っていたが、ハローライフと気づいたのは一月後。題名が何だか。

その前の新聞小説も、約半年は読んだが途中で辞めた。五木寛之の「親鸞」。

新聞小説は、その物語に引き込まれると、新聞のどの欄よりも魅力的で先に目を通したくなる。新聞の魅力は新聞小説が7割で、記事が3割という感じになる。

今回の村上龍の新聞小説は、約2ヶ月で1つの短編が完結して全く別の次の短編に移るのだが、現在の短編が3つ目である。3つ目は「はずれ」かな。最後の部分がくどくて、読むのがひどく難儀。読者は少しの無理はいとわないが、無理が過ぎると読むのを辞めてしまう。158回までは読んだ。

五木寛之の「親鸞」は、浄土真宗の教義の煩雑な部分の話が延々と続いたところで、へこたれてしまった。自分は仏教徒でもないし、浄土真宗の信者でもないので、教義の煩雑な部分の話が長々と続くときつい。面白さを感じなくなったところで読むのを辞めた。

大人が面白い面白くないで判断するのだから、生徒はなおさらである。生徒は勉強が面白いと思えば続けるし、面白くないと思えば続けない。生徒が勉強を楽しいと思えるように、塾の先生方には楽しい環境作りと授業作りの工夫が求められる。