伊波塾長の気ままブログ

スタディの代表者の伊波勝也塾長が、日常の出来事や生徒の勉強について思いつくまま気ままに書き込んでいます。

台風直撃

2010-08-31 06:20:10 | Weblog
ここ2,3年台風が来なかったような気がするのだが、天気予報では久々の台風直撃の予想。4、5時間後には強風域か暴風域に入っているのだろう。子供たちはワクワク、大人たちも時にはワクワク、農業などの自然を相手に仕事をしている人には一大事なのに、それ以外の人々はワクワク、ドキドキ。

停電をして、電気やテレビが消え、ローソクを立て、ローソクの明かりがゆらゆら揺れる部屋に家族が集まる。いつもはそれほど会話のなかった家族に穏やかな遠慮のない会話がでてくる。外で荒れ狂う嵐の音、自然の驚異、身を寄せ合って頼りあうのは家族なのだと言葉ではないところで感じ合う。

1か月に1回ぐらい台風があったなら、世間によくある家族の不和はかなり解消されるのではないかと思ったりする。一人一人の人間の小ささを思うとき、人は互いに頼りあって生きるものだと感じてくる。自然という脅威を前に、一人一人が自分自身を振り返り、忘れていたものを理屈ではないところで体験として感じ取る。

北国では冬の厳しい降雪、南国沖縄では台風。沖縄にいて、自然への畏怖や畏敬を身近に感じる機会が少ないのではないかと思ったりする。自然への畏怖畏敬とともに小さな人間が互いに頼りあってささやかに生きていく。台風は一人でも人間は生きていけるという人間の勘違いとおごりを壊してくれる自然からの贈り物なのかもしれない。(農家の皆さんゴメンナサイ)

疾風に勁草を知る

2010-08-30 10:00:45 | Weblog
疾風の「シップウ」という音が何となく好きで、電子辞書で調べてみた。疾風怒濤、疾風迅雷・・・いろいろ出てくる。「シップウドトウ」「シップウジンライ」、音とリズムがきびきびしていて耳にさわりがよい。

「疾風に勁草を知る」と出てきた。勁草[ケイソウ]とは強い草のことである。はげしい風が吹いて初めて強い草が見分けられる。艱難(かんなん)にあって初めて節操の固いこと、意志の強いことがわかるたとえとある。

自分の身を草に置いてみる。強い風、激しい風にどれだけ耐えられるか、乗り越えていけるか。目の前の障害と困難を乗り越えて行けば、乗り越える過程と行為そのものが自分の財産になる。乗り越えたかと思えば、また別の困難が現れてくる。次から次へと。

天の摂理は、人というものにより多くの財産を与えることを望んでいるようだ。それなら、与えられるものを自分の財産にしていこう。そうと心に決めたら、疾風もまた心地よい。


気づく力

2010-08-29 08:15:18 | Weblog
先生方の研修用に最近DVDプレーヤーを1台買った。画面が9インチでテレビが見えるワンセグまでついている。アンテナの位置によって受信の感度が違い、テレビは見えたり見えなかったりする。シャッターが下りていると全く受信できない。

人の持つアンテナはどうだろう。ちょっとしたことに気づく人もいれば、全く気づかない人もいる。アンテナの感度が違うのだろう。しかし、感度は工夫と努力によって能力を上げることができる。

春夏連覇を達成した興南高校の野球には学ぶところがたくさんある。我喜屋監督は選手に毎朝散歩をさせて、その後気づいたことを1分間スピーチさせてきたという。チリ袋を持たせて落ちているチリを拾いながら散歩をさせた。誰かがチリを落としたというミスがあれば、選手たちにそのチリを拾わせてカバーする。チリ拾いが野球のカバーリングにつながっている。

チームプレイである野球は、動作の一つ一つが気配りや気づきの連続である。体力的技術的な訓練だけでなく、気づく力の訓練が日々行われてきたようである。気づく力は野球を見つめる目であり、日常の生活を見つめる目であり、自分自身を見つめる目であったと思える。興南野球の監督や選手のあの落ち着きや内にひめた強さは、日々の気づく力の訓練からくるものであろう。


このチリ拾い、スタディでもやりましょうよ。まずは各教室の前のチリ拾いから。小さなことからやってみる。小さなことができなければ、大きなことはできない。自分の部屋を眺めてみる。あちこちにチリが落ちている。まずは身近な自分から。