伊波塾長の気ままブログ

スタディの代表者の伊波勝也塾長が、日常の出来事や生徒の勉強について思いつくまま気ままに書き込んでいます。

社会の役割

2019-10-17 06:23:52 | Weblog

「おたくが生活保護に入りたいんですか」

「いえ、私ではなく82歳の女性なんです。去年から電気・水道が止められて、身寄りもなく、十分な食事もできていないようなんです」

「おたくは、その方とどんなご関係なんですか」

「親族ではなく、道での通りすがりです。一週間ほど前にその人はスーパーの近くで座り込んでいて、食べ物もない感じがしたので私が1000円を上げたんです。そして、今日またそこに行くと、彼女が同じ場所にいたんです。隣に座り、身元や細かい事情を聞くと、去年同居の身内が亡くなり、年金が入らなくなり、生活に困るようになったらしいです。足が悪く、電話もなく、バス賃もなく、行政上の手続きは自分ではできないようなので、だから私が代わりにここに来ているんです。とりあえず、当面の食事代でまた1000円を渡しておいたのですが、こんなことは切りがないので、役所のほうで何とかしてほしいんです」

「分かりました。では、その方の住所やお名前をお聞きしてよろしいですか。担当者をその家へ向かわせますので」

「担当者がその家へ出向く前に、私に連絡を下されば、私もそこに向かいます。私ができることを手伝いますので、よろしくお願いします」


沖縄市の健康福祉部・保護課窓口での、昨日のやり取りである。

くだんの老婦人は、70歳前後だと思っていたのだが実際は82歳であった。いや、本人は78歳と話していたのだが、本人が所持する書類で私が確認すると82歳であった。来月83歳になる。

1936年生まれ、戦争が終わったときは8歳、軍雇用員として働いていたらしい。所持する古いパスポートはカリフォルニアに行ったときの物だという。人生の変転、しかし、どんな変転があろうとも人の最低限度の生活と尊厳は守られなければならない。それが、社会の役割である。


所得再分配のひずみ

2019-10-09 13:00:25 | Weblog

かつて、日本は一億総中流社会だと言われていた。日本の大方の人々が自分自身のことを中流だと意識していた。

ところが、今はどうだろう。中流層の人々がごっそりと抜け落ちて、いるのは少数の裕福な人々と大多数の貧困層である。社会のシステムが壊れてしまっている。

昨日の道端で出会った年配のやせ細った婦人が気にかかる。

あの婦人は、年金受給の年齢にとっくに達しているはずなのに、どんな個人的事情があるかは知らないが、少なくとも社会保障の恩恵は彼女に届いてはいない。

なぜ、このように経済的に恵まれない不幸な人々が数多くなったのか。

その最大の理由は、所得再分配のひずみである。かつて、日本では裕福な人々は多めの税金を負担し、裕福でない人々は少なめの税金を負担するという累進課税の仕組みが機能していた。しかし、この仕組みはこの30年ほどの間に徐々に改変されて、今や無残な形に成り果ててしまった。金持ちはより豊かに、貧しい人々はより貧乏に。これが、日本の税制の方向性である。社会保障費の削減と消費税の切り上げは、貧富の差をさらに拡大していく。

政府は消費税の切り上げは社会保障費を補うためというが、実際はそうではない。低下する法人税の穴埋めと、低下する富裕層の税負担の穴埋めが大方の使い道である。

政府の経済政策、財政政策、とりわけ所得再分配の理不尽で不合理な政策が、社会的恩恵からはみ出た不幸な人々を生み出していく。その不幸な場面に出くわした人が、手を差伸べて助けていくでは切りがない。根本的な原因からの解決が必要である。

それは、所得再分配のひずみの解消である。かつての健全な累進課税の仕組みに戻していけばよい。


うれしい気持ち

2019-10-08 15:16:45 | Weblog
スーパーの入り口に向かって歩いていると、70歳前後の一人の婦人がスーパー横の通路の段差に腰を下ろしている。この婦人、確か4・5日前にも同じ場所に座っていた。横の地面にはビニール袋の荷物が2個あり、中には彼女の所持品らしき物が入っているようである。
スーパーで買い物を済まして車に戻る途中また目をやると、この婦人は立ち上がって少し歩き回り、道に落ちた小さなゴミを傘の先でつついている。白っぽい小さなゴミが硬貨ではないかと確認しているようにもみえる。着ている服は粗末ではあるが、そんなに汚れている感じでもない。だけど、元の座り場所まで歩くその姿はひどく瘦せている。しばらくその姿をながめている。
 
座っている彼女の横を通るときに、一言声をかけてみる。
「おばさん、食べ物はあるね~?」
すると、この婦人はニコニコしながら答える。
「はい、あります」
「あ、そうなんだ、それはよかった」

車に戻り、財布から1,000円札を一枚取り出す。運転席の窓を開け、車を走らせてこの婦人の座っている前に停める。運転席のすぐ横に、この婦人がいる。
 
窓から1,000円札を差し出し、一言いい添える。
「これ、あげるよ」
「どうも、ありがとうございます」
両手で押し頂くように千円札を受け取る婦人の顔は、心を許したかのような笑顔である。

やはり、十分に食べていなかったのだろう。こんなにうれしい気持ちになるのは久々である。朝食と昼食はとらない生活なので、その分の生活費が彼女に回ったと思えばよい。
 
1、2時間前の出来事である。うれしい気持ちはまだ続いている。