伊波塾長の気ままブログ

スタディの代表者の伊波勝也塾長が、日常の出来事や生徒の勉強について思いつくまま気ままに書き込んでいます。

遺伝子組み換えワクチン

2021-04-21 06:33:51 | Weblog

私の体は、遺伝子組み換え作物を原料とした食べ物に敏感に反応する。豆腐がそうである。格安の豆腐を食べると敏感に反応して体全体が発熱してかゆくなる。https://blog.goo.ne.jp/gorogoronyanya/m/201805

日本の遺伝子組み換え食品に関する法制度は、ヨーロッパ諸国に比べて極端に緩くて実質的に流通食品から遺伝子組み換えを排除できない。遺伝子組み換え作物の混入率の許容範囲が、ヨーロッパ諸国では0・1%であるのに対して日本では何と5%である。格安豆腐を食べた時の体のかゆみの原因はきっとそれである。

さて、遺伝子組み換え食品でさえ体にひどい悪影響があると思われるのに、遺伝子組み換えワクチンに対する世間の受けとめ方はどうであろうか。今月から沖縄県の多くの市町村で遺伝子組み換えワクチンの接種が始まる。通常は臨床試験を含めて10年はかかると言われるワクチン開発を今回は1年足らずで仕上げた。後の9年はないのか。それは、これからのワクチン接種という世界的人体実験で確かめられるのだろう。コロナを心配するあまり、遺伝子組み換えの危険性が忘れられている。

ところで、ほとんどの市町村では65歳以上や75歳以上の高齢者が優先接種されるのだが、うるま市では16歳以上が早くも受付の対象になっている。驚きである。うるま市はいったい何を考えているのか。https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1308052.htmlワクチンの効果・副作用はまだ定かではないのだから、まずは先の長くない年長者の接種で確かめてその結果次第で若者への接種を検討する、これが本来採用するべき流れではないのか。万一、他の人々がダメになっても若者が健全に保たれていれば社会は復活し存続していける。コロナから高齢者を守る対策とは別に、これからの社会を作っていく若者を守ることも行政は疎かにしてはいけない。


笑いのツボ

2021-04-18 21:17:20 | Weblog

最近、RBCラジオの「具志堅ストアー」にはまっている。昼間、車で通勤途中にラジオでよく聞いている。月曜日から金曜日の午後2時~3時半の放送で、具志堅店長と見習いの女性店員のやり取りが何とも軽妙で面白い。ユーチューブでも見ることができる。https://www.youtube.com/watch?v=ERRv5KL5_B8&t=1471s 特にMAIKOさんの「すぐに使えない中国語講座」は私のお気に入りである。私も中国語を独学しているので、笑いのツボにたぶん普通以上にはまってしまうのだろう。具志堅店長と女性店員のコントは、具志堅店長が台本を考えているようだが人を笑わせるセンスがすごい。またその台本をサラッとこなして笑いに結びつける女性店員たちもすごい。人を楽しませる笑いのセンスのある人たちである。

ところで、次は数年前にあった生徒の保護者との会話である。

「息子が、最近は塾にいきたがらないんですよ」

「すみませんね、私が生徒を笑わせるなどもっと楽しい授業ができればいいんですけど」

「いいえ、そんなことはありません・・・・」

どうせ勉強するからには、楽しいほうがいい。嫌なことを我慢して続けるより、楽しいことを続けていたい。そう考えるのは誰でも同じである。私もそうである。生徒が行きたくなる楽しい学習環境づくりは、学習塾運営の最重要課題の一つである。

「具志堅ストアー」は人を楽しませることを教えてくれる。人を楽しませるとは何なのかを教えてくれる。しかし、私自身は人を笑わせるセンスは全くない。せめて楽しい学習環境づくりはなお一層心掛けていきたい。


お任せしない

2021-04-16 12:51:06 | Weblog

「非常に、よくできていますよー。この次は7月に来て下さい」。歯医者さんがいう。

3か月に一回、歯の定期検診とクリーニングを受けていている。悪いところがあると治療してもらう。今回は奥歯の神経を抜いて被せものをして治療が終わった。口臭の原因にもなっていたようで、ブレスチェッカーで測ると臭いがほとんど消えている。これで、おくちエチケットのフリスクの量が減る。

診察台に横たわっていて思った。私は俎板の鯉(まないたのこい)である。すべては、歯医者さんのスタッフにお任せしている。私が何かをし努力するわけではない。痛みは我慢するが。

自分の仕事に照らし合わせて考えてみる。生徒にもいるんだよな、「お任せします」の意識を持つ人が。全部を委ねると気持ちが楽であり安心できる。歯医者さんの診察台で感じるように。

さて、生徒の「お任せします」の意識にどう対応していくか。本当に「お任せします」の意識で勉強は成り立つのか。生徒は診察台の患者とは違う。勉強は自分で努力するものである。むしろ「お任せしない」という意識が着実な自立した勉強につながる。


嫌われもの

2021-04-13 09:48:22 | Weblog

風呂場の隅でモソモソ動く黒っぽい影。ゴキブリである。かなり大きい。周辺を見回すとカビキラーがある。体を洗いながら思い出す。以前、これを吹きかけたらゴキブリは窒息死した。ひっくり返って長い時間足をバタバタさせながら死んでいった。

さて、今回はどうしよう。体を洗いながらゴキブリの様子をうかがう。巨大な生き物が自分の近くで時おり水をはねながら動き回っているのだから、それは大きな恐怖だろう。そしてまた思う。ゴキブリに恐怖という感情はあるのだろうか。

身体の石けんをシャワーで流した後、ゴキブリの様子をうかがう。逃げ場を必死に探している。出て来たであろう穴は、事前に私がシャンプーの底で塞いでいる。シャンプーの底をカサカサつつくがビクともしない。

洗髪を済まして後、ゴキブリの様子をうかがう。水の入っていない浴槽の壁を這い上がろうとするが、ツルツル滑ってすぐ下に落ちてしまう。それを何度も繰り返す。浴槽の外へ出られない。

そもそも、なぜ人はゴキブリを毛嫌いするのか。ゴキブリは殺すものと誰が決めたのか。下水道に棲んでいるから汚いという、それだけの理由でゴキブリが殺されるのは不条理ではないか。以前、公園や路上で生活するホームレスたちを汚いからと殺害した少年たちがいた。汚かった殺してよいという道理を人に当てはめるとこうなる。

濡れた身体をタオルでぬぐって、風呂場の電気を消した。ゴキブリは暗がりの浴槽内で、そっと命を保っている。それでも、次の日にはキンチョーのコンバットが家の角々に置かれることになる。


丁寧語

2021-04-11 22:10:57 | Weblog

久しぶりに教室のブログに投稿した。むこうでは他の先生方にならい丁寧語で書くことにしている。(生徒募集もあるし)http://st-ginowan.seesaa.net/

一般に沖縄の人は丁寧語が苦手である。私もその部類かもしれない。

沖縄の人は、目上の人に対して丁寧語で話さないことがよくある。親戚が集まったとき、目上の人に丁寧語で話したことが私はたぶん一度もない。丁寧語で対応されない目上の人は、それを当然のこととしていたようである。※(私はウチナーグチと言われる沖縄語を普通に理解しているが、子供の時からそれを使う習慣がなくどんな人に対しても日本語の標準語で対応していた。その習慣がなかったことを今にして非常に残念に思うのだが。)

では、沖縄の人は目上の人を尊重していないかというと、それはとんでもない。沖縄の人が丁寧語を話さないのはただ単に日本語の丁寧語が苦手だったからである。いや、日本語そのものが苦手であった。それは年齢が高齢になるほど、また時代を過去にさかのぼるほど苦手であった。その苦手な日本語が丁寧語や敬語、謙譲語になると、なおさら難しくてしょうがなかった。

せめて沖縄の人同士では、どうせよく使いこなせないのだから使わなくてもいいんじゃない、という流れで今の風潮にいたったのだろう。

実際、ウチナーグチ(沖縄語)の会話では、親・子供・孫の間で目上に対して雑なタメ語が使われることはまず考えられなかった。また、知らない同士でのタメ語も普通になかった。知らない同士でタメ語を使うと、険悪で嫌な雰囲気になってしまうものであった。

また、沖縄の人の気質もいくらか関係がありそうである。沖縄のひとは、日本本土に比べた場合、上下関係を明確に区別することをあまり好まないようであり、お互いの関係を上下ではなく横の関係にしたがる傾向が多分にあると思われる。わたし自身、人の上に立って偉そうにするのも、目上の人にへりくだってペコペコするのも好きではない。横の関係が性に合っているようである。

結論として。

沖縄の人が、丁寧語が苦手なのは、沖縄が日本に組み込まれたとき沖縄の人にとって日本語は外国語でありその習得はそんなに簡単なものではなかったからである。日本語はタメ語の方がお互いに理解しやすく、相手が高齢の場合はタメ語の方がむしろ相手を尊重することになった。高齢者に対して丁寧語を避けるのは自然なことあった。それに沖縄の人の横文化を好む気質も加わって、丁寧語をあまり使わない土壌が作られていったのだろう。

そうは言っても、もうそろそろ言い訳はやめたほうがよいかも。丁寧語ぐらいはできて当たり前なのだろう。社会的気風にいつまでも甘えてはいられない。


社会現象

2021-04-10 09:11:44 | Weblog

鏡を見ると、服の胸元に何かくっついている。よく見ると、ガムである。やってしまった。取ろうとするが、しつこく張り付いてなかなか取れない。

そういえば、氷で冷やしたり・打撲の鎮痛スプレーで冷やすと簡単に取れるというのを聞いたことがある。

鎮痛スプレーで試してみる。

ガムの表側と服の裏側に鎮痛スプレーを適度に吹き付ける。しばらくして、手でガムを動かすとポロっと取れた。服にガムの跡形は何も残ってない。しつこいガムも、やりようでこんなに簡単に取れるんだ。

 

さて、世の中や人々が抱える数多くの困難。もっと適切な対応が取れてもよいのではないか。

一番大きな困難は、世の中を気まずく覆うコロナパンデミックである。何とも憂鬱な社会現象である。これは自然現象ではなく社会現象である。コロナで死んだ人が周りにほとんどいないではないか。

WHOの専属広告代理店「ヒル・ノールトン・ストラテジーズ社」が、世界的規模でコロナパンデミックを扇動している。「ヒル・ノールトン・ストラテジーズ社」は、1990年の湾岸戦争のとき、アメリカ政府の専属広告代理店として湾岸戦争支持の世論を扇動した会社である。15歳の少女「ナイラ」のアメリカ議会での証言でアメリカの世論は一気に戦争へと傾いた。https://www.o-kinaki.org/1136/

さて、アメリカ政府に雇われてデタラメの宣伝で湾岸戦争を引き起こした広告代理店、今回はWHOに雇われて何をしようというのか。

 

コロナパンデミックの社会的混乱はまだまだ続く。しかし、個人的レベルの混乱は収束してよいのではないか。個人個人が疲弊する必要はない。


共生社会

2021-04-08 12:57:03 | Weblog

4月8日、重度の知的障害を抱える仲村伊織さんが真和志高校の新入生として入学式に参加した。https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/734682 伊織さんは一般入試と2次募集合わせて4年連続7回目の挑戦で高校生になる夢をかなえた。今月から島尻特別支援学校(八重瀬町)に学籍を置きつつ真和志高に通うのだという。

人は周りの環境から大きな影響を受ける。そして、良いこと悪いこと色んなことをそこから学んでいく。

特別支援学校という限られた枠を超えて普通高校に通うことは、障害を抱えた生徒に広範な学びの場を与えるだけでなく、またそこに通う普通の生徒たちにも多様な交流という学びの機会を与える。異質なものを排除するのではなく包み込んでいく教育が一つのシステムとして歩み始めた。

国会に重度の障害を持つ国会議員が参加できるようになり、またその国会議員の働きかけで重度の障害を持つ生徒が普通高校に通えるようになった。舩後靖彦参議院議員の涙ながらの県へ訴えがあればこそであった。

異質なものを受け入れて共に生きていく共生社会は、私たちが社会全体でその実現を目指して取り組んでいかなければならない課題である。


自然の理

2021-04-02 22:32:19 | Weblog

だいたい私は、労働という言葉が嫌いなんです。別に、人間は働かなきゃいけないという動物じゃないんだ。働かなきゃいけないということは、動物の中でも人間だけですが、それは、もっともばかばかしいことであると思います。どんな動物も働かなくて食っているのに、人間は働いて食わなきゃいけないように思い込んで働いて、しかも、その働きが大きければ大きいほど、それがすばらしいことだと思っている。ところが、実際は、そうではなくてですね、額に汗をして勤労するなんてことは、一番愚劣なことであって、そんなものはやめてしまって、悠々自適の、余裕のある生活を送ればいい。


以上は、福岡正信さんの著書「自然農法・わら一本の革命」からの抜粋である。

なんのために人は働くのか、働くことの意味は何なのか。もしかしたら、多くの人が働くことの意味を勘違いしているのではないか。額に汗して働くことが一番愚劣であると喝破する福岡正信さんは、普段の日常を当然のこととして生きる私たちに、自然の理に反する生き方への疑問を投げかける。

すべては無意味であると福岡正信はいう。そうなのかもしれない。しかし、自然はその無意味なものすべてを包み込んでいる。自然の理に逆らわない生き方に、私たちは人の本来の姿と安らぎを見いだしていく。