昔・・・小学校

2010-11-21 10:56:48 | 防犯論議
成績はトップじゃないけど悪くなく、運動能力もおそらく平均以上で、
信頼される会話能力というと変ですが自己主張や自己表現力も普通にある。
その生徒がクラス全体を見渡します。

男尊女卑の風潮があるということではないのですが、男児は能動的な言動においてリードしている。女児は比較的、受動的で、乱暴な男児に正面から対抗する姿勢はない。

乱暴な言動の男児が数人いる。学力では対抗できない相手に、主に容姿を攻撃するような
ニックネームをつけて連呼する。
ダニ、ゴキブリ、ゴリラ、ブタ、ゲジゲジ・・・いやはや、むちゃくちゃであるが、
言われた当人は一人では対抗しないので無視するが、グループごとで乱暴な男児に攻撃をする。

グループを持たない、つまり対抗できない女児がいる。
学業も運動も会話能力も平均以下で、周囲から孤立気味。
毎日嫌な思いをしているだろうけど、そうした被害者が自分ひとりでないことだけが救いであるかのように、仕方なく学校に来ている。登校拒否の方が家族や近所の攻撃があるだろうことを承知している。

悪口ばかりの乱暴な男児は、学業成績の最上位のものには向かってこない、そこに劣等感情の起源があるからかもしれない、向かってくれば攻撃されることも承知しているだろうし。
自分に向ってこないから、その乱暴な男児を攻撃することもない。彼の言動を傍観しているだけ。醜悪な言動で攻撃される女児を助けようとはしない。守りに行けば男女の関係を冷やかされる懸念もある。

50も過ぎて、小学校の教室を思い起こすと、自己嫌悪の悔しい思いをする。
対人関係のパワーバランスは意味や内容が変わっても、客観視できることだけが違うかもしれないが、人は大きな成長をしているとは思えない。
正義って何だろうと思う。何故困っている人を救えないのだろうか、乱暴な男児が攻撃対象とした女児の容姿や性格に、同じような感想を抱いていると思えなくもない。
助けなければ共犯なのに。

虐げられた環境では、学校本来の目的でもある学びの姿勢が育つことは難しい。
勉強以前に学校という環境に興味がなくなる。

嫌な風景です。






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