人の見方:正しいの判断

2010-12-15 20:40:26 | 防犯論議
正しいの判断

これ、人によって違う、とうそぶく輩がいる
まぁ、説明に前提が必要ですよね
言いかえると
私たちが正しいかどうかという判断は、社会全体の中で適合するかどうか

自分だけの都合で選択判断されるものを。自分自身にとっては適切であり、正しいという主張もあるかもしれない。
これは社会の中にいる個々人の自由という権利ですが、
皆がこの自由を正しいと主張すれば衝突することになる。
したがって、
この自由を交通整理のように調整する機能ができることになる。
それが法律や法に基づく種々の、ありとあらゆる制度である。
社会の中の一員としてふさわしいかどうか、ということかな

ついでに言えば、この論理では、社会の犯罪は全て「社会生活不適合症候群」となる。

「正し」いを説明する方法の一つとして、鳥になって全体を見渡す視点では、
そういうことになるのではなかろうか。

個々人の「正しい」はこの社会生活適合を基盤として、
発展的に社会全体の利益になる行為ということになる。


ところが、
「正しい」はみんなが常識として、あるいは本能として身につけているものではない。
思考錯誤の結果に修得したり、到達するようなものである、場合がある。


だから、
「正しいと思うことは一生続ければよい
正しくないと思うことは直せばよい」
なのである。

「正しい」は絶対的にあるものでなく、正しくないと気がついたときに直してできるもの
そうすると、正しいと思ったものが次の瞬間に正しくないと気が付くことがある
また、直すのである。
この繰り返しが「人格」なのであろう、と。





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