今月のカレンダーです。
近頃では全くしなくなった新聞のカラーページを使っての水きり絵の絵手紙をsibuさんがカレンダーにして送ってくださったものです。
↓ のカーネーションを描きながら、
毎年、絵手紙のカーネーションをプレゼントに添えて渡していた母が亡くなり半年。。。
今年は母の居ない初めての母の日を迎えることに気づきました。
先日(童謡 唱歌の会)に行ったときのことです。
2か月ほど前から、女性ばかり20数名の会の中に80歳前後かとお見受けする男性がおひとり入会されました。
本格的に声楽をなさっていた方でしょうか~
若々しい声で朗々とどんな歌でも歌いこなされます。
その日、その方が、たまたま私の席の横に座られました。
(みかんの花咲く丘)の3番を歌い始めたときのことです。
♪ いつか来た丘 母さんと
一緒に眺めた あの島よ
今日も一人で見ていると
やさしい母さん 思いだす
私は(かあさん)のフレーズの処で(母は、もういないのだ)と胸が詰まり涙が
出そうになりました。
その時です。
皆をリードするように歌ってらした、その方が急に言葉を詰まらせ歌われなくなりました。
ポケットからハンカチをだし口に当て、懸命に声を押し殺しおられます。
胸をつかれる想いにかられました。
それぞれの人に、それぞれの(お母さん)があり、それぞれの想いがあるのだと
なんだか、とてもしみじみとした想いが巡りました。
今日の絵手紙もパステルで遊びました。
背景の色を変えると 雰囲気が変わってきます。
近頃では全くしなくなった新聞のカラーページを使っての水きり絵の絵手紙をsibuさんがカレンダーにして送ってくださったものです。
↓ のカーネーションを描きながら、
毎年、絵手紙のカーネーションをプレゼントに添えて渡していた母が亡くなり半年。。。
今年は母の居ない初めての母の日を迎えることに気づきました。
先日(童謡 唱歌の会)に行ったときのことです。
2か月ほど前から、女性ばかり20数名の会の中に80歳前後かとお見受けする男性がおひとり入会されました。
本格的に声楽をなさっていた方でしょうか~
若々しい声で朗々とどんな歌でも歌いこなされます。
その日、その方が、たまたま私の席の横に座られました。
(みかんの花咲く丘)の3番を歌い始めたときのことです。
♪ いつか来た丘 母さんと
一緒に眺めた あの島よ
今日も一人で見ていると
やさしい母さん 思いだす
私は(かあさん)のフレーズの処で(母は、もういないのだ)と胸が詰まり涙が
出そうになりました。
その時です。
皆をリードするように歌ってらした、その方が急に言葉を詰まらせ歌われなくなりました。
ポケットからハンカチをだし口に当て、懸命に声を押し殺しおられます。
胸をつかれる想いにかられました。
それぞれの人に、それぞれの(お母さん)があり、それぞれの想いがあるのだと
なんだか、とてもしみじみとした想いが巡りました。
今日の絵手紙もパステルで遊びました。
背景の色を変えると 雰囲気が変わってきます。
「孝行をしたい時には親はいず」の言葉が時々頭をかすめます。あれもしてやればよかった、これもしてやればよかった。そして何よりもっと話しておけばよかったと自分がの年齢になって初めて思うことです。
ブログのお話に私も胸が詰まりそうになりました。有難うございます。
最後の「やさしい母さん思いだす」はジンときます
私の母への想いは上京するとき見送りに来た母の着物のナフタリンの匂いが今も鮮明に残っています
出かけるのに着ていく服がなく・・・
私も後悔ばかりが頭をよぎります。
認知症になってからは、病気だと割り切ろうと思っても、
すげない言葉、態度が時として出て・・・
気持ちにゆとりがなかったのでしょう。
母の歳にどんどん近づいて行ってる今、
余計に気持ちがわかり切ないです。
子どもの時は、ほとんど1番と2番しか習ってないのだと気づきました。
(ヤシの実)にしても(里の秋)にしても
3番辺りから、歌詞が戦時色が濃くなり吃驚です。
人間の記憶と、匂いは密接な関係があると
何だったかの本で読んだことがあります
。
3番の歌詞に胸が詰まったこと 隣の80代の殿方の涙
そしてコメントを寄せられた皆様の母への想い
それらを読んでいると涙が出ました。
guさんのパステル画は母の日に寄せる記事にぴったりで
懐かしく優しく切ない気持ちになります。
言われるように童謡の3番はあまり唄われず気にも
しませんでしたが そうですか当時の時代が感じられる
歌詞なのですね 童謡を唄う時はもっと気を付けてみます。
母の亡くなる半日前、
「私の事わかる?」と声をかけると、
「ぐぅみぃごぉ~」と歯磨きのチューブを絞り出すような叫びに近い声を出しました。
「わぁ~声がでたぁ!」と思わず私も大きな声をあげ、
横についていてくださってた看護士さんも
「何か月ぶりかに京子さんの声を聞いたわ」と喜んでくださいました。
あれもこれもすべてが後悔につながります。
童謡、唱歌の3番 4番の歌詞に驚くことしばしばですが、(蛍の光)の3番4番は笑えてくるくらい言葉が固く
戦時色の濃いものです。
この不等式(>)がひっくり返ることが無い限り
子供の後悔は無くならないでしょうね。
今もずっと消えないです。
この不等式。。。深いですね~
でも今、親として子どもにしてやれることが幸せだと思えることもあり、親も時にはそう思ってくれたこともあるかな・・・と思ったり(笑
私も母が亡くなって最初の母の日に
自分の母にはもうプレゼントを送れないんだ
と気づいた時の寂しさを覚えています。
今も何かあるたびに、母が生きてたら
喜んでくれただろうな・・とか思いますね。
チビ太も見せたかったですしね。
ブログの記事を読んでから
パステルのカーネーションを見ると
母との思い出にひたりたい気分になりました。
冬、ふんだんにお湯を使って洗い物をするとき
母は冷たかっただろうなぁと・・・
結婚して10年くらいは母を思って
お湯を使いませんでしたが、
私も年を重ねて使うようになりました。
美味しいものを食べるとき
きれいな景色を眺めるとき
孫と一緒に笑うとき
いつでも思い出します。
・・・あ、今も・・・・