今年も又、なおちゃんと舞子プロムナード会場で催されている、
(新春絵手紙年賀状&絵手紙仲間の365日パート2展)に行ってきました。
またまた、いつもの構図で・・・(/ω\)
ブログのお仲間でも幾人かの方々が、365日毎日絵手紙を描き続けておられますが、
ここでも、365日絵手紙の一部が展示されていました。
驚いたことに私たちが入館したとき、20人近くの方が来ておられましたが、
すべて外国の方々・・・
通訳の方の説明に耳を傾け、熱心に見ておられました。
海に囲まれた会場からの風景です。
神戸市街地です↓
そして、またまたいつものようにマリンピア神戸に行きランチです。
カルボラーナが来た段階で、すでにパン2個とスープは食べてしまってて(/ω\)
こののち、パンの追加とコーヒーも・・・( ^)o(^ )
食後は、マリンピアのお店を覗いたり、辺りをゆらゆらお喋りしながら歩いたり・・・
さてさて、なおちゃんの(365日絵手紙)も今日で340枚目が届きました。
これらが、日々届いているのですから凄いでしょう🎵
そのあとで私のをアップしづらいのですが。 オズオズ。。。
明日は、1・17。。。
あの大震災から25年の歳月が流れました。
あしたは、お昼過ぎに家を出て、三宮の東遊園地の(阪神淡路大震災1・17のつどい)参加し手を合わせてきます。
(何気なく写した神戸市街地の写真↑ 今アップしてみて、あの日のことがよみがえり
涙が滲んで・・・)
続いて夜は(1・17 ライヴ)アカペラのコンサートに行きます。
(新春絵手紙年賀状&絵手紙仲間の365日パート2展)に行ってきました。
またまた、いつもの構図で・・・(/ω\)
ブログのお仲間でも幾人かの方々が、365日毎日絵手紙を描き続けておられますが、
ここでも、365日絵手紙の一部が展示されていました。
驚いたことに私たちが入館したとき、20人近くの方が来ておられましたが、
すべて外国の方々・・・
通訳の方の説明に耳を傾け、熱心に見ておられました。
海に囲まれた会場からの風景です。
神戸市街地です↓
そして、またまたいつものようにマリンピア神戸に行きランチです。
カルボラーナが来た段階で、すでにパン2個とスープは食べてしまってて(/ω\)
こののち、パンの追加とコーヒーも・・・( ^)o(^ )
食後は、マリンピアのお店を覗いたり、辺りをゆらゆらお喋りしながら歩いたり・・・
さてさて、なおちゃんの(365日絵手紙)も今日で340枚目が届きました。
これらが、日々届いているのですから凄いでしょう🎵
そのあとで私のをアップしづらいのですが。 オズオズ。。。
明日は、1・17。。。
あの大震災から25年の歳月が流れました。
あしたは、お昼過ぎに家を出て、三宮の東遊園地の(阪神淡路大震災1・17のつどい)参加し手を合わせてきます。
(何気なく写した神戸市街地の写真↑ 今アップしてみて、あの日のことがよみがえり
涙が滲んで・・・)
続いて夜は(1・17 ライヴ)アカペラのコンサートに行きます。
そうです 今日でした
毎日テレビに釘付けでした
表現しようもない光景でした
人々って素晴らしいです
辛さと悲しさをばねに復興しましたね
七年前のこちらの地震 まだまだ復興には程遠い
しかも台風や大雨 次々と大きな被害が起きました
オーストラリアでは大火事・・
あらあら 話が飛んでしまいました
毎日絵手紙送られるってすごいですね
guuchanさんの絵手紙も素晴らしいです
楽しそう~。
絵手紙 海外の方も楽しまれてるんですね。
写真を見てると潮の匂いがしてきそうです。いいなあ~。
なおさんとゆっくりいい時間が過ごせてよかったですね~^^
なおさんの絵も340枚?すごいですね。あともう少し…
達成されるが待たれる気持ちと 終わってほしくない気持ちと…
フクザツな気持ちです。
ほんとにこうやって毎日届くなんて羨ましい限りです。
まあ、guuchanさんのお花もかわいい!!(@_@)
これも水彩色鉛筆ですが?私もしばらくぶりに使ってみたくなりました。
今年もやってきましたね。
あの日の早朝 テレビ画面に映った 地震直後の高速道路の映像がわすれられません。信じられませんでした。実際に経験したわけではないのに 思い出すたび 私も体が緊張して 涙がでそうになります。
あれから25年…。
皆さん、様々な想いで今日を迎えられてることでしょう。
私も遠くから手を合わせたいと思います。
「自分で光れ」も何人も挑戦されているのですね。
なおさんもあと25枚ですか。
素晴らしいですねぇ!
神戸の写真を見ていると十何年前に行った光景を
思い出しますね。
桜草、お花も色も優しくていいわぁ!
今日の新聞、1面と3面阪神大震災の記事でいっぱいです。
息子の同級生が神戸大学を前年度卒業して資格を取るために残っておられて被害に遭われたそうです。
体は大丈夫でしたが実家に連絡が取れず、ご両親も
もう亡くなったと思われたそうです。
たまたま、やはり同級生が神戸にいて翌日自転車で来られて、やっと実家に連絡がとれたそうです。
ご両親はさぞお喜びの事ったでしょうねぇ。
記事を読むたびに涙が出ます。
続いて東日本大震災、どうぞもう災害が起こらないことを祈るばかりです。
寒くなくて良かったですね。
パンの食べ過ぎでさすがに夕飯食べられなかったですが
それでも今朝はしっかり体重が増えてました
絵手紙ももう後23枚です。
長かったはずなのにちょっと寂しさもあり・・・
後少し、よろしくお願い致します。
サクラソウ、春らしい色合いがとても綺麗ですね!
今朝はあの時間に手を合わせました。
いつもなら起きてる時間ですが
あの日はインフルエンザで全員布団の中で
テレビ画面の映像を信じられない思いで見たことを思い出します。
毎年のように大きな災害が起きますが
今年こそは穏やかな年になるといいですね。
なおさんもあと少し!がんばれ!
guuchanさんもキャッチャー役、責任があり頑張っていますね。
神戸の風景…なかなか見れない海を楽しんでいましたが…今日は震災…手を合わせます。
美智子様が水仙の花を供えた風景が浮かび目頭が熱くなります。。。
guuchanさんのサクラソウ、とっても可愛いです。
大好きなお花ですが、描くのが難しくまだ挑戦していません。
この楽しみも残す処、ひと月を切ってしまいました。
あの頃から、起きるとラジオをつけるのが習慣でしたが、あの日のあの時の前後がまったく飛んでしまい記憶がありません。
あの震災以来、全国あちこちで大きな災害が起こっていますね。
(私たちは災間を生きている)って言葉を昨年初めて知りましたが、
今は災害の後で、次に来る災害の前でもあるのですね。
舞子ポロムナードの海に囲まれて会場はステキですわ~
皆さんの絵手紙素晴らしい!!
なおさんの絵手紙も残り23枚ですか?
よく頑張られましたね(*‘∀‘)
私的にも寂しい気持ちがあります。
大好きなサクラソウ・・・たくさんのお花を描くのが難しそう。
阪神大震災から25年目になり当時のテレビから目をおうような情景が脳裏から離れません。
穏やかな日々が続きますよう心から願うばかりです。
毎年 寒風が吹きつけて慌てて建物の中に飛び込むのですが、昨日は天気予報とは裏腹に、歩いてても気持ちがよかったくらいです。
水彩色鉛筆の描き方がわからないまま、
たくさん道具を出さなくて済むので、これが続いています。
水彩色鉛筆で描くコツってありますか~~
震災の時、息子たちそれぞれが、19歳、16歳だったのですが、今では長男の処の長男が19歳(@_@)
歳月の流れを感じています。
行くところも同じなら、食べるところも同じ・・・
脳に発展性がない!(なおちゃんが、私は違う!と首を横に振っています^^)
あの日は、家の中が家具が倒れ、
ガラスが飛び散り・・・
家の中を靴を履いて歩かないといけないのが悲しかった。。。
どうか、今年も大きな災害がどこにも起こらないことを祈るばかりです。
私は夕食きっちり食べましたよ~
体重???ということで今,測ってみましたが変わらず><
水彩色鉛筆は、12色しかなく、しかも混色ができない(´;ω;`)ウゥゥ
もしかしたら、私のやり方が間違ってるか、
古すぎて劣化してるのかも( ´艸`)
台風の時期は、災害で預かってる絵手紙がどうにかなるとどうしよう~~という心配がありましたが
今となれば、2月9日過ぎまで何事も起こりませんように。。。と祈るばかりです^^
これまでは、中国の方が多かったのですが、
今年はすべて、欧米人らしい方々でした。
通訳の方の説明がチラッと耳に入ってきたところの
かすかにわかるところだけですが(笑)
干支の説明? ネズミの絵について・・・
違うかも( ´艸`)
美智子様の水仙をそっと手向けられるお姿は、
今もありがたいお姿として心に残り続けています。
なおちゃんのキャッチャー役、
ただ受け取り、ファイルに差し込み、ブログにアップしただけでしたが、
私にとっても、良い思い出となった1年でした。
歌の会でも今月いっぱいは
神戸震災の歌(幸せ届けるように)を歌い続けますし、
今日は三宮の慰霊碑に手を合わせに行ってきます。
孫たち4人は誰一人として体験なく
学校で習うのですから・・・(@_@)
私も40歳代でした(笑)
遠い昔のようであり ほんのこの前のことにも思えて
月日の流れる速さに驚きます。亡くなった方々のご遺族にとって
いつまで経っても諦めきれない命ですね。
絵手紙展示会がこちらでは滅多になくて あるとしたら
郵便局などの壁面に飾っていますが小規模なものです。
小さい葉書に溢れるほど大きな野菜や果物 花の絵が描かれ
どれも色彩が美しいと 毎度眺めるだけです。
guさんのサクラソウの絵 優しくてとても好きです。
閉じられていた(´;ω;`)ウゥゥ
そうですね~
なんでも忘れてしまう私ですが、
あの日のことは鮮明によみがえってきます。
あの頃は40歳代だったから乗り越えられましたが、
今だったら、とてもとても・・・
あの時、19歳だった長男の処の長男が今年19歳ですので、
凄い歳月がたったんだと思います。
本格的な絵手紙の皆さんの中で、
ただのお絵描きの私は・・・(/ω\)
嬉しいですね。
爆買いだけでなく日本の文化に触れてくれるのは嬉しく思います。
あれから25年
随分と経ちましたね。
子供もまだ小さく末娘はあの揺れに気づかず寝ていましたから。
親の務めも終えこれからはボチボチ稼いで楽しまなくっちゃ(笑)
お~~!すごい揺れた!!というくらいでしたが
伊丹に引っ越して来てお友達や親戚からいろんな恐怖の体験談ききました。
中でも一番悔しいのが
仲良しさんがタンスが背中に当たって車椅子生活になられたこと。
その日は救急車も長い時間来なかったそうです。
お孫さんを抱っこできません。
病気の時に医院に段差がないところはほとんどないようです。
私達の楽しみは絵手紙描いたり、カラオケしたり・・・
とても前向きに生きている彼女を応援しています。
今でもボランティアで西宮に行った時の
惨状が頭から消えません。
この25年間で
阪神の優勝はたった2回か。
テレビでの報道を改めて観ると災害の怖さに慄きます。
あの日の前夜
夜行バスで東京に行く夫を駅まで送り私一人でした。
一瞬 当時は大雪でしたから雪づり(屋根の雪が落ちる事)かと・・・
世の中、穏やかな日々が続く日々であって欲しいと願うばかりです。
サクラソウ 素敵ですね。
17時46分には間に合い、竹灯篭の炎が揺らめく中、
黙とうをすることができ、
なんとなく25年の区切りをつけることができました。
当時19歳で大いに力になってくれた長男も今や中年^^
その息子が奇しくも今年19歳。。。
歳月がたったのだと痛感しています。
阪急伊丹駅の被害状況がTVで映されたのが脳裏に残ってて、毎年この時期
芳子さんも大変だったんだろうなぁ~
と思っていました。
お友達の災難。。。
でも、そこからどう生きるのかが大切になってくるのですが、その方は立派ですよね。
思っててもなかなかできないのも人間ですもの。
その後、人心地着いてから、
救援物資の仕分けや、バザーのお手伝いに行きました。
その後、神戸市の講座を3ヵ月受講してから、
灘区、中央区のシルバーハイツへの傾聴、家事手伝いのボランティアを3年続けました。
ここで、いろんな人生を見せてもらい、考えさせられる日々でした。
家具が折り重なって倒れている中、
車の中で暖を取ろうということになり、外に出て吃驚!。。。
世間は気持ちの悪いくらい静まり返っているのです。
もしかして、この惨状は我が家だけ?
と思ったくらいでした。
そして、空からは黒い雪が・・・
瞬間 井伏鱒二の(黒い雨)が思い出され、
ますます泣き出したいくらい不気味でした。
カーラジオから(高速道路が落ちた)と報じられても
どういう意味かが分からないくらいでした。
義妹と宝塚の義弟と連絡が取れず、公衆電話で
やっと連絡が取れたホッとしたことを思い出します
親戚は関西が多いので大心配した事を思い出します
忘れる事は出来ません
今日こちらはみぞれが降り、超寒いです
新年恒例の絵手紙展、なおさんとゆっくりお話しも出来、楽しそうな雰囲気が伝わって来ます
なおさんもあと一か月を切り、継続は力なり
素晴らしいですね
可愛い桜草にほっこりします(*^▽^*)
昨夜は、東遊園地で竹灯籠の中で揺らぐ炎を見ながら
慰霊の祈りをささげてきました。
そして小学生の歌う(幸せ届けるように)、
この歌は、毎年この時期に(歌の会)で歌いますので、
小さな声で合わせながら・・・
その後は地下鉄で移動して、ちいさなホールで催された(チキンガーリックステーキ)のアカペラコンサートに。
帰宅はPM10過ぎ
いつもならお布団に入っている時間ですが( ´艸`)
なおちゃんの絵手紙も後25枚!
凄いことですよね~
明石海峡大橋って世界一のつり橋なんですね
すごいなぁ~
まだ見ぬ世界です
絵手紙は、日本独特のもの?
外国の方が見たらワンダフル!ね
guuさんのは、サクラソウですね
ピンクの色を見ると、春が近づいているようです
外は寒くてもお部屋の中は春色~~
震災から25年
もう~そんなに経ったのね
TVをつけた時の衝撃は今でも、忘れられませんが、
身をもって体験したguuさんにとっては、辛い出来事でしたね
恐ろしかった日のこと、いつまでも忘れらないでしょうね。
この橋の下の部分、車が走る下の道(工事、点検用の道だそうですが)そこを歩いて淡路まで行くという催しに参加して、足元は鉄の格子になっててスケスケで、
海の上を走る船が足のすぐ下。。。
わくわくしながら歩きましたが、
男性の方で、恐怖のため引き換えされた方もおられました。
また、橋の鉄塔にエレベーターと工事用階段で上がり、上から下の景色を眺める催しにも参加しました。
海峡大橋を走る車はミニカーのようで・・・
この時も、男性が気分が悪くなり座り込んでおられました。
私は煙と〇〇は高いところが好きと言われるように、
全く平気!というより大好きです^^
いつ起こるかもしれない災害を思うと恐怖ですが、
今日一日が無事であれば、喜ばないと、
わからないことにおびえて生きるのも、せっかくの人生残念ですものね。