↑ のようなセミナーが催されると(行きたい!)と心が弾みますか?
食物や医療のセミナーは好きで時々は出席していましたが、
昨秋から6回シリーズで、講演内容は主催者側のおまけせでした。
でも、それも楽しいか~と夫婦で申し込んだのですが・・・
12月のタイトルを見て、しかも暮れの忙しい折、
「法医学教室って解剖の事でしょう。知らない世界やから行くのをお休みするわ」と夫に言いますと「知らない事を知れたら面白いやろ」と半ば強制的に連れて行かれました。
中ホールはいつものようにほぼ満員。
登場された先生は、40歳代後半かな?とお見受けするお若い方でした。
あっ、今日は水曜日ですね。
月、火曜日とお二人のご遺体を解剖してきました
との第一声に会場はどよめきます。
でもね、皆さんが思ってらっしゃるような、凶悪事件の解剖は近頃ずいぶん減ってきました。
じゃぁ、何が増えたかと思われますか?
孤独死です。
妻に先立たれた男性、特にアルコール好きと三拍子揃うと危ないです。
夫を残して先立つかもかもしれない女性のみなさん!
一人で生きて行ける術をよく伝えてから逝ってください。
男性は現役を引退すると、社会との繋がりを持とうとしません。
近所との繋がり、福祉との繋がりがとても大切になってきます。
次に多いのが、老老介護のはてに・・・です。
つい最近の例を言いますと、
認知症の奥さんを看ていたご主人がお風呂場で亡くなられました。
この場合は、奥さんがディサ-ビスに通っておられ、連絡が取れないことを不審に思われた施設の方が来られて、倒れているご主人を発見、
奥さんは横に座っておられました。
もう一例は、
寝たっきりの奥さんを介護されていたご主人が、肝臓の病で室内で倒れられ亡くなられました。身動きのできない奥さんもそのまま・・・
離れて住む息子さんが連絡がとれないと警察に電話があり発見となりました。
これら、すべては解剖して死因を探ります。。。。。。
重いテーマでしたが、
先生の穏やかな喋り口調、ユーモアに、会場はどよめいたり、爆笑したり・・・
本当に知らない世間を知り、
何事も決して他人事でないと痛感した暮れの一日でした。
今日の絵手紙です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/7a/b9d5150ab5e9143e5d942385cfeb36c1.jpg)
今日は、阪神淡路の震災から24年目の日です。
私の今までの人生の中で一番、心と体に恐ろしさがしみ込んだ出来事でした。
食物や医療のセミナーは好きで時々は出席していましたが、
昨秋から6回シリーズで、講演内容は主催者側のおまけせでした。
でも、それも楽しいか~と夫婦で申し込んだのですが・・・
12月のタイトルを見て、しかも暮れの忙しい折、
「法医学教室って解剖の事でしょう。知らない世界やから行くのをお休みするわ」と夫に言いますと「知らない事を知れたら面白いやろ」と半ば強制的に連れて行かれました。
中ホールはいつものようにほぼ満員。
登場された先生は、40歳代後半かな?とお見受けするお若い方でした。
あっ、今日は水曜日ですね。
月、火曜日とお二人のご遺体を解剖してきました
との第一声に会場はどよめきます。
でもね、皆さんが思ってらっしゃるような、凶悪事件の解剖は近頃ずいぶん減ってきました。
じゃぁ、何が増えたかと思われますか?
孤独死です。
妻に先立たれた男性、特にアルコール好きと三拍子揃うと危ないです。
夫を残して先立つかもかもしれない女性のみなさん!
一人で生きて行ける術をよく伝えてから逝ってください。
男性は現役を引退すると、社会との繋がりを持とうとしません。
近所との繋がり、福祉との繋がりがとても大切になってきます。
次に多いのが、老老介護のはてに・・・です。
つい最近の例を言いますと、
認知症の奥さんを看ていたご主人がお風呂場で亡くなられました。
この場合は、奥さんがディサ-ビスに通っておられ、連絡が取れないことを不審に思われた施設の方が来られて、倒れているご主人を発見、
奥さんは横に座っておられました。
もう一例は、
寝たっきりの奥さんを介護されていたご主人が、肝臓の病で室内で倒れられ亡くなられました。身動きのできない奥さんもそのまま・・・
離れて住む息子さんが連絡がとれないと警察に電話があり発見となりました。
これら、すべては解剖して死因を探ります。。。。。。
重いテーマでしたが、
先生の穏やかな喋り口調、ユーモアに、会場はどよめいたり、爆笑したり・・・
本当に知らない世間を知り、
何事も決して他人事でないと痛感した暮れの一日でした。
今日の絵手紙です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/7a/b9d5150ab5e9143e5d942385cfeb36c1.jpg)
今日は、阪神淡路の震災から24年目の日です。
私の今までの人生の中で一番、心と体に恐ろしさがしみ込んだ出来事でした。
聞いていると、そうそうとうなずきながらも
先生のお話が上手なんでしょうね、面白くなりますね。
ほんと今老々介護が多くて身につまされますね。
他人事ではありません、明日は我が身ですね。
阪神淡路大震災は今日で24年目ですか。
経ってみれば早いですが被害に遭われて、又怖さが
よみがえって事でしょうね。
まぁなんてリンゴの色合いのいい事!
かぶりたくなりました。
24年前の今頃は、家の中は暗くてタンスが倒れ、食器棚から食器が飛び足の踏み場もなく、暖も取れず、
冷え込みが厳しい中、
車の中に避難しました。
カーラジオから聞こえた(高速道路が落ちた)という言葉が理解できず、家族で顔を見合わせたことが想いだされます。
心も体も震えが止まらない日々でした。
この講演を聴いて、
すべて明日はわが身を思い知りました。
まぁ、リンゴ褒めていただき<m(__)m>
パステルで気楽に(笑)指でクルクル塗っただけです^^
今朝はいつもより早く起き西の方に向って5時47分手を合わすことが出来ました。
阪神淡路大震災のことを知らない人が半数近くになったと昨日伝えていました。
あの時のことは今でも忘れられません。ここ滋賀の地でも大変な揺れでベッドの上で身動きも出来ずにいました。まだ結婚していなかった娘は怖さで私のこえかけにも答えられずにいました。ニュースが伝える情報に涙が止まりまらず、暫くは欝状態でした。離れた土地でもこんな揺れでしたから現地の方々の怖さは言葉では言い表せないくらいだったと思います。間じかに起こるであろうといわれている地震。しっかりと伝え今をどう生きるかを考える時だと思います。
ミステリードラマのようなタイトルですね^^
阪神大震災は、こちらでもかなりの揺れでした
漁師町の実家にいた私は、津波が来るんじゃないかと
飛び起きて、TVをつけて震源を確認した
しばらくすると、横の部屋で寝ていた今は亡き祖母が
このくらいじゃ、津波は来ないと言いました
南海地震を経験していたからです
父は船乗りでいなかったし、母は、弟のところへ行っていなかった
両親の最後を看取れた事は良かったと思っています。
同居の辛さもありましたが。
もう24年になるんですね。
阪神高速道路が倒れている映像がまず最初の驚きでした。
今日の新聞の一面ですが、
他にも稀勢の里やがん新患者99万人にも
恐怖と驚きを感じます。
ベッドの上で手を合わせました。
あの朝、ガス炊飯器の火を止めないと!
とキッチンに走りました(後から知ったことでしたが、
ガスは揺れで自動的に切れるそうですが)
その時、信じられない光景を見ました。
真っ暗に近い室内で、
あの大きくて重い冷蔵庫が、右、左、右、左と動いてこちらに動いてきているのです。
大きなロボットのようでした。
数か月は、自分でも驚くほど動きまわりました。
むしろ、東日本の時の方がTVで見るだけで、
気持ちが落ち込んで苦しかったのです。
今朝からニュースでも阪神淡路大震災のことをやっています。
美智子様のスイセンのお花の話をしていました。
涙がこみ上げました。
朝5時46分に黙祷しました。
セミナーのお話は重いテーマでしたが
先生の穏やかな語りやユーモアなど、
お話が体にすっと入ってきたようですね。
私も人ごとではありません。
いつ何があるかわからない世の中ですから
もしも母が倒れたら…私は何もできないので、AIスピーカーを使って姉に連絡するしかありません。
AIスピーカーが壊れていたら連絡も出来ません。
姉から連絡してくれない限りはそのままです。
大体毎日夕方には来るので、数日間放置にはならないと思いますが…。
林檎が美味しそうだわ〜♪
アップルパイも食べたいなぁ^_^
インフルエンザがはやっていますね。
マスクをして予防したいと思います。
TVのサスペンスドラマで扱われている、解剖医はまったくデタラメで、もう少し調べてから脚本を書いてほしい物だといつも思います。と言われていました。
私は、ドラマを殆ど見ないのですが、
まさに、現実は小説より奇なり~ですね。
震源に寄るのでしょうが、
あのように大きな地震でも津波はきませんでしたね。
せめてもの救いです。
お互いに親を無事に送れた今、
心配は自分の番です(笑)
本当に数十年の人生の中では、いろんなことが起こりますね。
翌日、冷え込んだ小学校の校庭に並んで、やっとコップ一杯の水しかもらえなかったときは、
不安が重なり涙があふれて仕方がありませんでした。
あの震災が、災害元年であり、ボランティア元年。。。
あれから、自治体も民間人も意識が高くなり、
対策が少しはマシになりましたし、
ボランティアも各地で大活躍ですものね。
これからはボランティアが活躍しなくてすむ世の中を望みますね。
心打つものでしたね。
被災地を回られ、避難されている体育館で、
膝まづいて、被災者にお声掛けされておられるお姿には、自分がかけてもらえたような感動を覚えたことが甦ってきます。
数か月たち、周りが少し落ち着いてきたら、
激震地にボランティアに行きました。
身寄りのないシニア住宅へのヘルパー。。。
これは3年続けました。
私も40歳代、若かったです(笑