沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

祝20年をかける旅@広島 (上)

2024年10月19日 | 県外 8 Scene

 8郎夫妻の結婚20周年を記念した旅行から家族3人、無事帰ってまいりました。目的地は広島県です。世界遺産の厳島神社⛩がある宮島と、昭和の街並みが残り映画のロケ地としても有名な尾道という、2大観光地を中心に巡ってきました。家族3人で長時間電車、バスに揺られ、そして足が痛くなるまで歩き回ってきました。急ぎ組んだ旅程だったため、目的地の大きな勘違い(帰宅後判明。泣)やコスパが悪い面も多々ありながら、「家族3人での最後の旅になるかもしれない」という覚悟もあってか、とても思い出に残る3泊4日(実質2泊3日)になったので、当ブログにて記録として残させていただきます(呉、鞆の浦、しまなみ海道は行けませんでした。泣)。では上、中、下の3回に分けて報告していくじゃけん、楽しんでいっておくんじゃけぇ!(誤用乱用ご勘弁)。

 下写真は宮島の瀬戸内海ブルーにそびえ立つ朱色鮮やかな大鳥居。平清盛が建立してから850年の歴史と世界に誇る日本の美を感じました。沖縄生まれ沖縄育ちの生粋のウチナンチュ8郎が体感したことのない、神宿る古くて美しい日本が、広島には燦然と息づいていました! 愛息10郎も目にスマホに(後記)しっかりと焼き付けてくれました。

 20周年の節目として広島を選んだことに特に理由はありません。前回も書いたように8郎は20年来ハワイを希望してきました。しかし歴史的な円安もあって断念。数ある国内観光地から、「10郎と行く最後の旅になるかもしれない。有名温泉や美食にこだわるのはやめて、成長期の最終段階に入った10郎の目線を大事にしよう」という観点を優先し、反戦の思いを強くする歴史的建造物があり、同時に日本の歴史、伝統文化を直に体感できる場所として広島(宮島&尾道)が残ったのです(尾道に関しては8郎のちょっとした思い入れもありました)。

 本題に入る前に、広島について簡単に紹介させてください。

 広島は、マツダに代表される自動車産業を始め、製鉄、造船などが発展し、言わずと知れた瀬戸内海工業地域の中心部です。県都の広島市は人口131万人(沖縄県144万人に近い!)の政令指定都市であり、中国・四国地方最大の都市となっています。

 広島出身者には有名タレントも多く、今やテレビ界の司会として大物三本指に入る有吉弘行さん(その子分アンガールズ田中さんも)、国民的女優の綾瀬はるかさん、故・西城秀樹さん、僕らは自由を~♪の奥田民生さん、10郎憧れのソフバン柳田選手などそうそうたるメンバーです。あ、「増税ク●メガネ」こと岸田前首相もそうですね。総理経験者で言えば池田隼人や宮澤喜一も広島県民だそうです。

 広島出身の作家としては故・那須正幹さんが挙げられます! ご存知の方も多いと思いますが、国内児童文学史上最大のベストセラー『ズッコケ3人組シリーズ』の著者です。第2次ベビーブームの8郎世代にとって小学校図書館の必須読み物でした。ハチベエ、ハカセ、モーちゃんの3人が生き生きと暴れまわった世界観は、まさに日本の縮図である広島が舞台だったのですね。40年の時を超えてそれを知り、なんだか涙腺を刺激されたおじさんです。

 そうです。「日本の縮図」と形容されるほど、広島は日本そのものをイメージしやすい県でもあります。理由はいろいろありますが、まず地形性です。山と海があり平野が少なく、またその地形性がもたらす寒暖の差(スキーから海水浴まで楽しめる)が〝日本〟をイメージさせるのです。また、所得、持ち家率、年齢構成など、全国平均とほぼ等しいそうです(なので全国展開を目指す企業が新商品のテストをする際にもサンプル市場としてよく利用するようです)。沖縄で言うと、戦跡や島自治体という理由から「沖縄の縮図」とされる伊江村みたいな感じでしょうか。厳島神社を始めとする日本古来の歴史伝統、尾道に代表される昭和の風景が残っていることも、それを後押しするでしょう(8郎もここに感化されています)。

 沖縄と共通点が2つあります。一つはもちろん、世界史上で初めて原子爆弾を投下されたことなど先の戦争で甚大な被害を受けたということです。ゆえに反戦意識の高い県民性とされています(那須先生もそうでした)。もう一つ(意外でした)は海外移民です。全国一移民が多かったそうです(ずっと沖縄だと思っていました)。ウチナンチュでいう「万国津梁」のマインドがあったのでしょうね。それによって広島弁が世界に広まり、外国人からの日本人のイメージが広島人そのものになっていたという影響も大きそうです。ただし、そういう「外に出ることを恐れない」県民気質からか、近年は若者(特に女性)の流出が全国一多いという悲しいギャップもあるそうです。

 以上、ウィキ頼り8郎先生のサクっとし過ぎる広島紹介でした。

 

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 お待たせしました。珍道中、いや旅行記を始めさせていただきます。今回の(上)では、初日から2日目午前の原爆ドーム、広島平和記念資料館(のはずだった・・・)までをお届けします。被爆地である広島を観光するには避けて通れない戦跡スポットです。

 出発当日に全裸監督状態(もちろん自宅)で乗った体重計。70㌔台どころか81㌔もオーバーしていました。70㌔台の世界いずこ~。恥ずかしい限りです。旅から戻ってきたときに83㌔だけは超えないぞ、と固く誓った51歳の出っ腹おじさんです。

 広島への便は1日1便しかないので旅程にも大きな影響を与えました(泣)。しかも今回はチケットの手配が間に合わず、お隣山口県の岩国空港を経由します。金曜日は有休を取らせていただきました。職場の仲間たちに感謝です。1年ぶりの那覇空港は3連休前だけあって混んでいました。写真では閑散に見えますけど、修学旅行生もたくさんいましたよ(旅が修学目的と言うなら平日にしてくれないか!)。

 那覇空港での10郎御用達「TULLY’S COFFEE」さんです。旅の時には必ず飲みたくなるドリンクがあるそうです。

 ドリンクを飲んでもまだ時間があったので、王様ならぬ庶民のブランチを取ることに。空港内ビアホール「キリンビア&スナック」に入りました。世界のKIRINプロデュースということで8郎も仕方なく(嘘)一番搾り黒ビールのハーフを頼みました。10郎に「昼からビール飲んでいいの?」と冷たい視線を投げられましたが「旅のビールに時間は関係ない」と飲んべぇおじさんの身勝手理論を返球! タコス(2個924円)は妻子のものだけ注文。グルメの街、広島でたくさん食べるために沖縄ではカロリーを控える決意です。

 10郎が頼んだ「タルトフランベ」。8郎も2枚いただきました(食ってるあらに)。おいしゅうございました。

 いざ搭乗。そしてスリーショット。妻子からは、8郎の顔が怖い上にでかくて邪魔だと言われました(泣)。たしかに怖かった。

 2時間かけて山口県の岩国空港到着。この空港は正式には「岩国錦帯橋(きんたいきょう)空港」と言います。近くにある錦帯橋という有名な観光スポットにちなんだようです。ところでこの空港は日米共同軍事利用となっているので、撮影の制限があります。往路の8郎家は写真を撮る余裕などなかったのですが、帰路時に撮影できたので、空港の様子は「祝20年をかける旅@広島(下)」で載せる予定です。

 駅までのバスと電車(約1時間)を乗り継いで、午後5時半ごろに広島駅に到着。3連休の花金だけあってとても混んでいました。

 ナカユクイ(休憩)のネタをひとつ。初広島で最初に感じたことがあります。広島県民って身長低くね? ということです(笑)。全国一平均身長が低い沖縄県民が言うと失礼かもしれませんが、本当に感じたのです。沖縄県民ながら約180㌢はある8郎ですが、東京はじめほとんどの県外に行くたびに「ナイチャーはウチナンチュと比べて2㌢は背が高い」というのを実感してきました。自分がちょっと小さくなった感じを受けるのです。しかし今回の広島で初めて「あれ?沖縄と変わんね」と思ったのです。お土産を買っている妻子を待つ間に、スマホで調べてみると間違いではありませんでした! 何と広島県は全国で下から4番目に平均身長が低いのだそう。理由はあきらかではありませんが、寒い地域の人ほど背が高くなる(つまり温かい地域の人ほど背は低くなる)という「ベルクマンの法則」がベースにあるんでしょうね。はい、どうでもいい話ですいませんが、個人的にびっくりしたので書かせていただきました。

 ところで、広島に着いた10月11日、広島に関する世界的なビッグニュースが飛び込んできました。 「日本被団協にノーベル平和賞🥇」です。広島の夕方のニュースはそれ一色でした。日本のノーベル平和賞受賞は同じく「非核政策推進」を推進したとされる佐藤栄作首相(1974年)以来とのことです。中国地方のブロック紙「中國新聞」が号外を出していました(下写真)。原爆の愚かさ、それは人間の愚かさを意味します。その過ちに対する反省を世界中が共通認識として持つ大きなきっかけになってほしいですね。翌日予定している原爆ドーム、平和祈念資料館の訪問にエネルギーが増しました。

 駅に着くころには日も落ちていました。駅構内で旅行最初のディナーを取ります。広島に来たからにはまずはお好み焼きじゃけん!(誤用ご勘弁)ということで、構内施設「ekie(エキエ)の「廣島ぶちうま通り」にある「麗ちゃん」さんを利用しました。ネット評価がダントツ高かったのと、実際にのれん越しにソースの香りとジュウジュウという焼く音が辺りに拡散していたので、もう即決でしたね。

 店前には行列がU字を描いていましたが、家族3人「ここにしよう」と決意。これは歴史的なことです。そうです、並ばない沖縄県民の中でも最も並ぶことを拒否る8郎が並んだのです! しかも大きなトランクを持ったまま。この店はのれんにもあるように創業1957年の老舗。ふっくら系だとか。歴史ある味に期待も高まります。

 30分くらい待たされたあとに入店。店内はソースの香りが漂っており、空腹にガツンときて、食欲をそそります。喧騒の中で食べるっていうのも食欲を刺激しますね。競争意欲がわくからでしょうか。

 愛息10郎が頼んだのは「モッツァレラチーズ」(1,050円)。旅行雑誌で最初から決めていたそうです。おいしそう! 雑誌の写真よりはチーズの量が少ないですが、優しい10郎は「味は全然モッツァレラだったよ」とのこと。

 8郎が頼んだのは「スペシャル」(1,350円)

 中はこんな感じ。広島お好み焼きのメーンである焼きそばのほかに豚肉、イカ、タコ、海老、キャベツ、モヤシが入っており、熱々であることはもちろん、ジューシーかつシャキシャキ感も失わないクオリティでした。8郎がこれまで食べたお好み焼きでもちろんナンバーワン。大満足です。

 ほんでもってYEBISU

 「麗ちゃん」さんへの勝手な評価としては、星☆3つです(いきなり堺雅八登場)。

 広島に行かれる予定のある方はご参考までに。

お好み焼きは広島の麗ちゃん 広島駅ekie1F 50年以上の老舗

 満腹に満たされながら駅を出ます。沖縄にはない路面電車も撮影。明日はこの「宮島口行き」で向かいます。

 駅からはタクシーを利用。運転手は強面のおっちゃんでしたが、話かけてみると、いろいろ情報を教えてくれました。当然ながら広島カープファンらしく、近年の成績を嘆き、新井監督の手腕に喝を入れていました(笑)。沖縄から来た8郎一家として、昨年ドラフト4位で入団した仲田侑仁君(沖縄尚学卒)を推しておきましたよ(笑)。

 変速的な今回の旅で、初日と最終日に利用するのは「広島オ●エンタルホテル」です。ネットでの評価はまぁまぁ高そうです。しかし、部屋に入ってみて驚愕! ご覧ください。本来ならあるはずの部屋の余裕スペースが、臨時ベッドが増設されたために埋まっているではありませんか。どこでトランク開けばいいんじゃい! 結果ご覧のように臨時ベッドの上で開きました。

 臨時ベッドのおかげで鏡台の椅子も引けず、冷蔵庫もちょっとしか開けない状態です。オンシーズンの3連休とは言え、ここまでやらなくても! これで3人分の正規な宿泊料金というならば明らかにおかしいです。

 しかもこの臨時ベッド、野戦病院(行ったことないけど)みたいな簡易なやつで、寝にくいったらありゃしない。音もぎしぎし鳴りまくります。腰痛再発の可能性もあって終始、寝相を変える始末。8郎はほとんど眠れませんでした(はず・・・)。

 

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 朝が来ました。なかなか眠れず午前4時半には起きていた8郎(老人か)、午後6時にはカーテンを開けます。ご覧ください。爽快な秋晴れです。5年前に一人旅で行ったお隣の岡山県同様、瀬戸内海に接する県はみな晴れの国なのでしょうか。

 秋晴れにも関わらず、寝起きの悪い10郎。何だかもの言いたげな表情で動きません。数分後に起きました。父ちゃんよりいいベッドに寝たんじゃないのか!? 

 ホテルでの朝食です。8郎一家は午前7時前に行ったので座れましたが、数分後には行列が出来ていました。

 広島らしく一口サイズのお好み焼きもありました。朝食にお好み焼きなんて広島の旅でしか食いませんから、入れておきました。広島名物の魚のすり身揚げ「がんす」も中央にあります。ブッフェ厳禁であるはずのカレー(笑)は、8郎家御用達で市販の「100時間かけたビーフカレー」に味が激似している気がしたのはご愛敬ということで(まさかね・・・)。満足度の高い朝食でした。写真を見て「51歳がベーコン摂りすぎだろ」と反省したものです。

 旅行の安全祈願をかねて乾杯。

 ホテルを出ます。ただし、今回の超変則的な旅行日程上、明日はまたこのホテルに戻ってきて泊まらなければなりません。フロントのお兄さんに「あのベッドはきついし、部屋が狭くなりすぎてトランクも開けられない。明日泊まる際には別の部屋に替えてほしい」と伝えました。青年は「あの部屋は確かに・・・。分かりました。できる限り改善します」と言ってくれました。青年を信じてチェックアウト。

※今回の旅の最大の失敗は「宿泊地の選択」ですね。ホテルの質ではなく場所という意味です。最終3日目は尾道に泊まればよかったんですよ。妻によるとパック?の都合で尾道の宿はなかったようです。。。

 非戦を願う世界遺産、原爆ドームには路面電車で向かいました。到着すると厳かな雰囲気が漂っていました。

 40年前に教科書で見て強いインパクトを受けた建物がそこにありました。

 原爆ドームを初見した人たちからは「思っていたより小さい」という反応が多いようですが、8郎は大きく感じましたね。圧倒的存在感から「お金をかけてでも絶対に後世に残すべき戦跡」という思いを痛感したものです。

 今から79年前の1945年8月6日午前8時15分。人類史上、最も押してはいけないボタンが押されたのです。「広島の空に太陽が2個できた。その後一瞬にしてすべてが焼き尽くされた」という証言も残っています。

 間近で見られた本当によかったです。原爆ドームについてはこちらのサイトが詳しいです。

 

【広島の世界遺産】原爆ドーム

広島の世界遺産「原爆ドームの基本情報」のアクセスや観光情報についてご紹介しています。

【公式】広島の観光・旅行情報サイト Dive! Hiroshima

 

 隣接する「折り鶴タワー」も行く予定だったのですが、開館が午前10時ということで断念。今回の旅はホント時間がないので。「広島平和記念資料館」に向けて徒歩で移動します。

 途中で白くて横長の大きな建物が見えたので、妻に「あれ、何だろうね」と聞きました。妻は次の乗り継ぎ方法をスマホ検索していたのか、「何だろうね・・・」と薄い反応。白い横長の建物はどう見てもこの界隈の中心的存在感を醸し出していましたが。。。オバマ元大統領が来日した際のニュースでも写っていた記憶があるので、政府機関の重要施設なんだろうか?と思ったり。でも、右手にビデオカメラ、左手で10㌔超の大型トランクを引きずっている8郎に、スマホで検索するすべはありませんでした。

 しばらく歩いていると、人気のないところにひっそりとたたずむ施設にたどり着きました。看板を見ると、やたら長い名前ではありますが、最後のほうに「平和祈念館」と書いてあります。同公園内に「平和記念資料館」(しかも「国立」)が2つもあるはずがありません。「ここに違いない。やっと着いた~」と安堵しました。「でも思っていたより、こじんまりとしているなぁ」といぶかしがりながら入館。旅行雑誌では「入館料200円」とあったような気がしたのですが、入場無料でした。昨日の「ノーベル平和賞受賞」効果で無料にしたのだろうと思い込んでしまいました。1人しかいない受付の女性は8郎一家のトランクを2台とも預かってくれました。団体旅行客の場合も預かってくれるのだろうかと不思議に思いながら…。

 それにしても人が少ない。。。見学者は日本人老夫婦と外国人数人しかいません。ノーベル賞効果が出るまでには数日タイムラグがあるのでしょうか。でも、施設内の迫力は十分。水上特攻隊が使った「マルレ」という木製の爆弾搭載船(帰りの燃料すらなかったことはあまりに有名)があり、命の尊厳などなかった当時を思うと心が重くなりました。原爆投下直後の写真も壁面パネルとなって展示されていました(下写真)。ニュースで見るウクライナ、ガザ地区と似た光景がありました。人類は人種を問わず本当に愚かです。

 被爆者の写真と氏名も映像で流れる展示物もありましたが、そこだけ撮影禁止でした。個人情報保護の観点からでしょうね。

 当時の体験者の証言を残した映像も衝撃的でした。被爆地に救助に向かった兵隊が見た地獄の光景。「黒焦げで全身の肌がただれた人間の群れが、あー、うー、わめきながら助けを求めてきた。今で言うゾンビ映画だった」「死んだ母親の傍らで立ちすくむ男の子の目の前だったが、上官に言われ母の死体を荷台に投げ込むしかなかった」「処理のために何万という死体を焼いているとどうやったら効率的に焼けるかと考えるようになる。頭がおかしくなっていく」などなど。

 同館の公式サイトをリンクしておきます。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

 施設見学によって家族3人、反戦の思いを新たにしました。8郎が亡きテルおばぁから受け継いだ「命どぅ宝」の信念をひ孫である10郎にも受け継ぎたいと思っています。この思い忘れまじと原爆ドームを背に記念撮影。

※上の家族写真を見てちょっと反省したことがあります。悲惨な戦跡の地で軽く笑顔を見せた右端のおじさんのことではありません(もはや観光地なので許容範囲でしょう)。それではなく、両親にガチっと挟まれ棒立ち(笑)の一人息子を見てです。ちょっと「子はかすがい」を期待しすぎかなぁと反省もありました。両親の愛情は時に一人息子にはプレッシャーかもしれません。わが家に大人は2人いますが、こどもは1人だけなのですから。もう少し、自由気ままに放っておいてやったほうがいいのかもしれないと思ったり。。。思春期かつ反抗期真っ盛りにも関わらず両親の記念旅に同行し、写真を撮ってくれたりボケをかましてくれたりと、よく頑張ってくれました。感謝です。とにもかくにも、親離れの時が年々近づいていることを感じました。さみしい限りですっ。

 話を戻すと同時に、ここで読者の皆様に正直に報告をさせてください。そうです。8郎一家は訪ねる施設を間違っていたのです。上記にある施設は、目指していた広島平和念資料館ではなく、近くにある広島原爆死没者追悼平和念館だったのです! ブログを書くために旅行雑誌を見返しているときに気づきました。時すでに遅し。自らの事前調査不足を恥じ入るばかりです(でもなぜ、あの白い横長の建物の圧倒的存在感をスルーできた!?)。でも、ホント悔しいです。見学したかったなぁ~。右方下がりの会社勤めのサラリーマンにとってもう一度行くお金なんてありません。10郎、いつか自分で働いたお金で見てきてください。一応、広島平和記念資料館の公式サイトをリンクしておきます。これを見て行った気になっておきます。

広島平和記念資料館

 

 ということで、平和記念資料館館をスルーしてしまうという大チョンボ💀があったものの、県外の被爆地跡で非戦の誓いを新たにすることができました。さて、いよいよ今回の旅のメーンと言える世界遺産、厳島神社⛩がある宮島に向かいます。古き日本の美を伝える景色がそこにありました! それを伝える続編(中)をなるはやで更新しますので、乞うご期待。


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