奈良屋公民館の入り口をくぐり、正面に見える立派な建物が博多小学校です。

公民館入り口すぐにガラス張りの石塁遺構展示室入り口があります。土曜日のみの開館です。

ガラス扉を開け、地下へ降りていきます。

元(モンゴル帝国)の2度目の来襲(弘安の役:1281年)に備え鎌倉幕府は九州各地の御家人に命じ、博多湾沿岸に分担させ20kmにわたる石塁を築かせました。

JR博多駅より海側の那珂川と御笠川に挟まれた範囲を「博多遺跡群」と呼ぶそうで、ここは111箇所目の発掘調査に当たるとのことです。

防塁跡だけではなく、数々の遺物が出土し、博多と世界との交流の歴史が明らかになったそうです。

元寇の絵巻も展示されています。

ジオラマは博多の漁村風景でしょうか。

博多の町や福岡城ができる前の古地図ですが、内容文を読むと大内家や秀吉の朝鮮出兵時、黒田藩の出来事などが書かれています。

福岡市内には950ヵ所あまりの遺跡が分布しているそうで、考古学ファンは退屈しない街ですね。

公民館入り口すぐにガラス張りの石塁遺構展示室入り口があります。土曜日のみの開館です。

ガラス扉を開け、地下へ降りていきます。

元(モンゴル帝国)の2度目の来襲(弘安の役:1281年)に備え鎌倉幕府は九州各地の御家人に命じ、博多湾沿岸に分担させ20kmにわたる石塁を築かせました。

JR博多駅より海側の那珂川と御笠川に挟まれた範囲を「博多遺跡群」と呼ぶそうで、ここは111箇所目の発掘調査に当たるとのことです。

防塁跡だけではなく、数々の遺物が出土し、博多と世界との交流の歴史が明らかになったそうです。

元寇の絵巻も展示されています。

ジオラマは博多の漁村風景でしょうか。

博多の町や福岡城ができる前の古地図ですが、内容文を読むと大内家や秀吉の朝鮮出兵時、黒田藩の出来事などが書かれています。

福岡市内には950ヵ所あまりの遺跡が分布しているそうで、考古学ファンは退屈しない街ですね。