1.旧「新新公司」は「先施公司」の開店5年後、高級幹部数人が経理(社長)との利益配分で造反して資本公募で隣地に設立した百貨店でした。
開店は1926年、併設された茶室、飯店、美容院、演芸場などが人気で、特にガラス張りのラジオ放送局が話題で毎日6時間の娯楽番組やCMを放送をしていました。
1941年にラジオ放送局は火災で焼失。日中戦争勝利後に再建「凱旋電台」と呼ばれました。
新中国成立前、ラジオ放送局は新新公司内の共産党地下党員による共産党の宣伝にも利用されていたとか。
アジア地区繁華街の最先端のデパートの一つでしたが1952年に閉店。
2.第一食品は上海一の食品小売りの老舗で昨年末に店内の改装が終わり、売り場が2階にも広がり、買い物客の混雑が緩和されました。
3.第一食品の商品は安全な食品ということで、上海土産のお菓子や、地元上海人の日常の買い物にも利用されているようです。
4.1階奥に上海ブランドの土産物が売っていますので、ご覧ください。
5.改装後3階4階までエスカレーターが設置され、食堂街となっています。
日本の永谷園が中国の牛乳メーカーと共同出資してラーメンチェーンの経営に乗り出しました。
6.上海では日本食は人気のようで、隣に回転寿司が開店するようです。
4大百貨店の中では一番小さな建物ですが、食堂街にはちょうど良い広さかもしれませんね。
撮影:1.~4.CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
5.-6.CANON Powershot S100
開店は1926年、併設された茶室、飯店、美容院、演芸場などが人気で、特にガラス張りのラジオ放送局が話題で毎日6時間の娯楽番組やCMを放送をしていました。
1941年にラジオ放送局は火災で焼失。日中戦争勝利後に再建「凱旋電台」と呼ばれました。
新中国成立前、ラジオ放送局は新新公司内の共産党地下党員による共産党の宣伝にも利用されていたとか。
アジア地区繁華街の最先端のデパートの一つでしたが1952年に閉店。
2.第一食品は上海一の食品小売りの老舗で昨年末に店内の改装が終わり、売り場が2階にも広がり、買い物客の混雑が緩和されました。
3.第一食品の商品は安全な食品ということで、上海土産のお菓子や、地元上海人の日常の買い物にも利用されているようです。
4.1階奥に上海ブランドの土産物が売っていますので、ご覧ください。
5.改装後3階4階までエスカレーターが設置され、食堂街となっています。
日本の永谷園が中国の牛乳メーカーと共同出資してラーメンチェーンの経営に乗り出しました。
6.上海では日本食は人気のようで、隣に回転寿司が開店するようです。
4大百貨店の中では一番小さな建物ですが、食堂街にはちょうど良い広さかもしれませんね。
撮影:1.~4.CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
5.-6.CANON Powershot S100