こんばんは、白黒茶々です。
今回は、久しぶりに人物伝をばやってみようと思います。
できたら郷土が生んだ英雄で、皆さんが知っているような人がいいですね。それに加えてイケメンなら、いうことなしなのですけど。そのような人は……… いました
今回の日記のタイトルにも出ていますけど、井伊直政公を採り挙げさせていただきます。
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こちらは、今に生きる井伊直政殿……… というより、岡崎城を活動の拠点にしている、グレート家康公と葵武将隊のメンバーの一人の、井伊直政です。歴史のなかで実在した直政公は、その生きざまだけではなく容姿のほうもカッコよかったに違いありません。
とにかく、ここからは私と箔が、直政公が生まれ育った地を巡りながら、彼の生涯を見ていこうと思います。
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徳川四天王の一人で、井伊の赤備えとしても有名な井伊直政は、永禄4年(1561年)に、浜名湖の北部、浜松市北区引佐(いなさ)町の井伊谷(いいのや)で、その地の国人領主だった井伊直親の嫡男として生まれました。ちなみに幼名を虎松といいます。それから、向こうに見える山が、当時井伊氏が本拠としていた井伊谷城があったところです。今回は時間があまりないので、登らずに次に行かせていただきます。
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こちらは、井伊谷の守り神の井伊谷宮にございます。明治初期に井伊家の子孫が、後醍醐天皇の皇子の宗良親王を祀るために創建したそうです。
虎松の先々代の直盛は桶狭間の戦いで討ち死にし、父の直親は虎松が2歳のときに謀反の疑いをかけられ、今川氏真に誅殺されてしまいました。さらに追い討ちをかけるように、井伊谷の領地は没収されてしまったのです。
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拝殿に着いたら、参拝しておきましょう。箔も一緒に。
(かしわ手のつもり)
身寄りがいなくなった虎松はその後、はとこの祐圓尼に育てられます。祐圓尼は女性なのですけど、まわりにナメられないようにというか、スキを見せないように名前をいかにも男というような「直虎」と改めました。
その頃、各地にいた女城主ってヤツですね。ただし、彼女たちはお城も領地も失っていましたけど。
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さらに私たちは、井伊家発祥の地とされている、井伊共保公出生の井戸に行ってみました。
田んぼのど真ん中にあるその名跡は、なんかドラクエ(ドラゴンクエスト)に出てくる、湖に浮かぶ神殿を彷彿させますね。
不遇な少年時代を過ごした虎松ですけど、天正3年(1575年)彼が15歳のときに徳川家康に見出だされ、井伊家に復します。その際に、名前を万千代と改めました。家康が初めて彼と会ったときに、その目の輝きから「コイツは将来大物になる」と直感したとされていますけど……… 「それはあまりに出来すぎた話だ、家臣や直虎の根回しがあったからでは?」と、先日私とたつぴが行った講演会で、小和田哲男氏は仰っていました。
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せっかくなので、井伊家の聖地の様子も見ておきますね。井戸のほうは、このようになっております。井伊家の始祖の共保は、この井戸の水を産湯に使ったそうです。または、この井戸から発生したという説もあるのですが。
そうそう、話は万千代が家康と出会ったところでしたね。その万千代は小姓として家康に取り立てられ、旧領も与えられます。
直虎亡きあとの天正10年(1582年)には、正式に井伊家の当主となり、その年に元服して直政と名乗りました。
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そして、私たちは奥浜名湖の名所の、龍潭寺(りょうたんじ)にたどり着きました。こちらは井伊家の菩提寺でもあります。
直政は戦に際して、井伊の赤備えを結成しました。その軍は戦国屈指の精鋭部隊として有名で、具足や旗差物などの武具をすべて朱塗りにしていました。その色は、戦場ではかなり目立ち、直政は「井伊の赤鬼」とも呼ばれました。
ひこにゃんの兜が赤いのは、このことにあやかっているのです。
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赤備えの軍を率いた直政は、家康のもとで武功を重ね、出世もしていって、慶長3年(1598年)には高崎城を築き、一国一城の主となりました。
そして、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの軍功により、敵将石田三成が治めていた近江佐和山に封じられることに。しかし、それから間もない慶長7年(1602年)に直政は42歳(これまでの年齢は、すべて数え年)で亡くなってしまいました。関ヶ原で負った手傷が悪化(破傷風)したとも、過労だったともいわれています。
その後、彼の遺志を受け継いだ直継が彦根城を築き、以後彦根藩35万石は代々井伊家が引き継いでいき、江戸時代末期には大老井伊直弼を輩出しました。
先ほどからの画像は、龍潭寺の本堂です。これから皆さんに、その内部にある鶯張りの廊下や、お寺に伝わる井伊共保・直盛・直政の木座像、小堀遠州作の庭を案内して今回の話を締めたかったのですけど………
私たちが訪れるのが遅かったこともあって、拝観時間が終わってしまいました。それらはまたの機会ということで、お許しくださいませ。
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そうそう、直政が移封されてやって来た彦根にも、龍潭寺があるのですよ。
こちらのお寺は、彼が遠江の本家本元からから分寺して創建したそうです。以後、井伊家の菩提寺となりました。また、こちらも庭が有名なのですよ。
それだけではなく彦根駅前には、井伊直政の騎馬像があります。そちらのほうにお越しになる機会があったら、ぜひこちらもご覧くださいませ。
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赤備えの甲冑を装備してみたい方は、こちらに投票してやってください。
今回は、久しぶりに人物伝をばやってみようと思います。
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こちらは、今に生きる井伊直政殿……… というより、岡崎城を活動の拠点にしている、グレート家康公と葵武将隊のメンバーの一人の、井伊直政です。歴史のなかで実在した直政公は、その生きざまだけではなく容姿のほうもカッコよかったに違いありません。
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徳川四天王の一人で、井伊の赤備えとしても有名な井伊直政は、永禄4年(1561年)に、浜名湖の北部、浜松市北区引佐(いなさ)町の井伊谷(いいのや)で、その地の国人領主だった井伊直親の嫡男として生まれました。ちなみに幼名を虎松といいます。それから、向こうに見える山が、当時井伊氏が本拠としていた井伊谷城があったところです。今回は時間があまりないので、登らずに次に行かせていただきます。
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こちらは、井伊谷の守り神の井伊谷宮にございます。明治初期に井伊家の子孫が、後醍醐天皇の皇子の宗良親王を祀るために創建したそうです。
虎松の先々代の直盛は桶狭間の戦いで討ち死にし、父の直親は虎松が2歳のときに謀反の疑いをかけられ、今川氏真に誅殺されてしまいました。さらに追い討ちをかけるように、井伊谷の領地は没収されてしまったのです。
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拝殿に着いたら、参拝しておきましょう。箔も一緒に。
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身寄りがいなくなった虎松はその後、はとこの祐圓尼に育てられます。祐圓尼は女性なのですけど、まわりにナメられないようにというか、スキを見せないように名前をいかにも男というような「直虎」と改めました。
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さらに私たちは、井伊家発祥の地とされている、井伊共保公出生の井戸に行ってみました。
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不遇な少年時代を過ごした虎松ですけど、天正3年(1575年)彼が15歳のときに徳川家康に見出だされ、井伊家に復します。その際に、名前を万千代と改めました。家康が初めて彼と会ったときに、その目の輝きから「コイツは将来大物になる」と直感したとされていますけど……… 「それはあまりに出来すぎた話だ、家臣や直虎の根回しがあったからでは?」と、先日私とたつぴが行った講演会で、小和田哲男氏は仰っていました。
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せっかくなので、井伊家の聖地の様子も見ておきますね。井戸のほうは、このようになっております。井伊家の始祖の共保は、この井戸の水を産湯に使ったそうです。または、この井戸から発生したという説もあるのですが。
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そうそう、話は万千代が家康と出会ったところでしたね。その万千代は小姓として家康に取り立てられ、旧領も与えられます。
直虎亡きあとの天正10年(1582年)には、正式に井伊家の当主となり、その年に元服して直政と名乗りました。
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そして、私たちは奥浜名湖の名所の、龍潭寺(りょうたんじ)にたどり着きました。こちらは井伊家の菩提寺でもあります。
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直政は戦に際して、井伊の赤備えを結成しました。その軍は戦国屈指の精鋭部隊として有名で、具足や旗差物などの武具をすべて朱塗りにしていました。その色は、戦場ではかなり目立ち、直政は「井伊の赤鬼」とも呼ばれました。
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赤備えの軍を率いた直政は、家康のもとで武功を重ね、出世もしていって、慶長3年(1598年)には高崎城を築き、一国一城の主となりました。
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その後、彼の遺志を受け継いだ直継が彦根城を築き、以後彦根藩35万石は代々井伊家が引き継いでいき、江戸時代末期には大老井伊直弼を輩出しました。
先ほどからの画像は、龍潭寺の本堂です。これから皆さんに、その内部にある鶯張りの廊下や、お寺に伝わる井伊共保・直盛・直政の木座像、小堀遠州作の庭を案内して今回の話を締めたかったのですけど………
私たちが訪れるのが遅かったこともあって、拝観時間が終わってしまいました。それらはまたの機会ということで、お許しくださいませ。
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そうそう、直政が移封されてやって来た彦根にも、龍潭寺があるのですよ。
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それだけではなく彦根駅前には、井伊直政の騎馬像があります。そちらのほうにお越しになる機会があったら、ぜひこちらもご覧くださいませ。
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