波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

今年最初のお城探訪は、吉田城ナリ

2015-01-31 00:04:06 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記で、私は箔や波とともに愛知県豊橋市の瓜郷遺跡に行き、そのついでに……… いや、瓜郷遺跡のほうがついでだったのかも知れませんけど……… と、とにかく同市内にある吉田城に向かいました。 西のほうから市の中心部を目指していくと………



豊川沿いにそのお城が見えてきました。 その吉田城は………



明治初期には、このような姿をしておりました。 豊川側は幾重もの石垣でかため、その上には三層の川手櫓や長屋状の多聞櫓が聳え立っていて、とても壮観ですね。 江戸時代に東海道を往来する際に、豊川を吉田大橋で渡っていったら、その当時から吉田城がバババ~ン と迫ってきたと思われます。



その吉田城は平地に築かれた平城なのですけど、かつては三重のお堀に囲まれていて、背後は豊川の流れに守られるという、鉄壁の守りでした。



今回はわかりやすいように、城下町側の正面から入っていくようにします。 吉田城の跡は現在は豊橋公園となっていて、市民やワンコの憩いの場として開放されています。
しかし、お城が廃城となった明治4年(1871年)以降はその敷地は兵部省の管轄となり、同6年には失火で多くの建物を焼失してしまいました。さらに明治8年(1875年)には大日本帝国陸軍省歩兵第18連隊(※ひと息で噛まずに言えましたか? )が置かれ、それは昭和20年(1945年)の終戦まで存続しました。現在公園の正門となっている場所は、その18連隊の営門があったところで、表札以外のところにその名残りを感じます。



さらにその脇には、守衛が入っていたであろう哨舎が残っていました。 現在ではその中に、犬のおまわりさん……… ではなく、箔と波が入っております。



そうしたら公園内を散策しながら、お城の主要部を目指しますよ 今は見ごろの時季ではないのですけど、こちらは桜の名所にもなっていて、2年ほど前に白黒茶々家は箔を連れて夜桜見物に来たことがあるのですよ。



三の丸跡には、こちらの豊橋市美術博物館があります。そこには瓜郷遺跡の出土品も含めた考古・民族・歴史・陶磁器・美術資料などが展示されています。常設展は入場無料なのですけど、ワンコ連れでは入れないので、どうかご承知くださいませ。



不完全ではあるのですけど、二の丸跡を囲うようにして土塁(土を盛って造った土手)や空堀が残っていました。



16世紀初頭に牧野古白によって築かれた今橋城が、このお城の前身とされています。その中心は、本丸の西側にあるこちらの金柑丸にあったと云われています。 その後の永禄8年(1565年)に徳川家康によって三河(愛知県東部の旧国名)が攻略されると、家臣の酒井忠次が吉田城の城代となりました。



本丸の正面入り口となるこちらの南御多聞は、立派な石垣で固められていますね。



それだけではなく、本丸は深い空堀で守られています。



その内側の石垣も、見事ですね。 そのときには見過ごしたのですけど、そのあたりの石垣にはいくつかの刻印が彫られているそうです。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって家康が関東に移封されると、池田輝政が15万2千石で吉田城の城主となりました。輝政は在城中に、城と城下町を整備しました。しかし、関ヶ原合戦後の慶長6年(1601年)に輝政は姫路に移封され、のちの世に世界遺産となる姫路城を築くことに。一方の吉田城は、江戸時代を通して城主が目まぐるしく代わったこともあって、未完成に終わりました。



そんな吉田城の中心(本丸跡のど真ん中)で、記念撮影をしておきましょう ここで、箔と波の後方に見えている建物が気になるという方もいると思うので………



説明しよう こちらは昭和29年(1954年)に建てられた模擬鉄櫓(くろがねやぐら)にございます。吉田城には天守がなく、こちらの櫓は城内で最大規模ということもあって、実質的には天守の役割を果たしていたそうです。戦後間もない頃に建てられてから、このお城のシンボル的存在となっていたのですけど、入口が厳重に封鎖されていて、長い間その内部に入ることはできませんでした。
それが数年前から公開されるようになり、日曜祝日の10時~15時にその内部を見ることができます。せっかくなので、そちらのほうもご案内します。あ、ワンコは入れないので、箔と波は車の中で待機していてくださいませ。



内部は地下1階を含めて4階建てとなっています。昭和の復興建築ということもあって、鉄筋コンクリート製であります。吉田城関連の資料が展示されているのですけど、入場無料というのは嬉しいですね。



そして最上階からは、豊橋市内を一望……… とはいかないのですけど、本丸跡やお城の周辺の風景を眺めることができます。



その反対側からは、豊川の流れや国道1号線を往来する車の様子がいい感じで見えますよ。 確かに、天守と名乗ってもいいぐらいですね。



本丸跡からは、こちらから豊川の河畔に降りていくことができるのですよ。 もちろん、今度は箔や波と一緒にそちらのほうにも行っておきます。



その下には腰曲輪(こしくるわ)という石垣で囲まれた空間があり、豊川に沿った水の手が厳重に守られていました。さらにこちらには、先ほどの古写真に写っていた川手櫓があったのですよ。



そこから見上げる鉄櫓の姿も、壮観ですね。 その櫓が建っている石垣は池田輝政が築いたもので、一度も崩れることもなく残っていることから、輝政の創建期を伝える貴重な遺構となっております。



帰るには、先ほど降りてきた石段を再び登っていかなければなりません。とはいっても、かなり急ですよ。 波は最初はビビっていたのですけど、私が「大丈夫だよ」と言ったからなのか、箔がひょいひょい上がっていったからなのか、なんとか付いていくようになりました。

池田輝政が造りかけて、戦時中の遺構も残っている吉田城。路面電車の停車場が近くにあるだけではなく、無料の駐車場も備えているので、気軽に行くことができます。このお城のことが気になられた方は、ぜひ一度お立ち寄りくださいませ。


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コメント (4)
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