波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

戦前の名建築(白黒茶々さんどこ行くの? in 東京その1)

2016-02-27 00:26:18 | お出かけ
こんばんは、箔ですワン。
先日はおれっちの誕生日を祝ってくれて、ありがとうございますなのだ。 その日は例年どおりケーキで祝ってもらったのですけど、お父さんは仕事関係の用事でその前日から東京に行っていて、おれっちの誕生日の夜に帰ってきたのだ。それだけではなく、なぜか感傷的になって「はくぅ~、逢いたかったョ 」と、おれっちを抱き締めてきましたし。 もしかして、泣いてる?



とにかく、そこに至るまでの経緯を説明しますワン。 誕生日の前日となる17日の朝に、お父さんはネクタイを締めて正装で東京に向かっていったのだ。 港区にあるホテルで用事を済ませてから一泊し、その翌日の18日はまる一日フリーとなったのですけど、そのような状況に置かれてお父さんのテンションが上がらないワケはないのだ。 田舎者が、平日の東京をどのように廻ったのか?今回はその様子を追跡していくのだ。たぶん気が済むまで観光しまくったと思うのですけど、お父さんそちらの様子はどうですかワン?



はい、白黒茶々です。
私は、ホテルの近くにある増上寺の前に来ております。 日の出が始まる頃からの朝散歩で、まずはこちらのお寺を散策したいと思います。道路の反対側まで渡らないとフレームに納まらないほど大きくて立派なこちらの建物は、三解脱門(さんげだつもん)といいます。元和8年(1622年)に建立された朱色の二重門で、戦災からも焼け残り、国の重要文化財に指定されています。 その門をくぐっていくと………



真正面に大殿(本堂)がでで~んと構えられています。 ちなみに、こちらは昭和49年(1974年)の再建。素材はたぶん、鉄筋コンクリートにございます。
増上寺は、東京都港区芝にある浄土宗のお寺です。弘法大師こと空海の弟子だった宗叡が、武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町)に創建した光明寺が前身とされています。明徳4年(1393年)に聖聡が浄土宗に改宗。その後お寺は移転を繰り返し、徳川家康による江戸の町造りが始まった16世紀末に現在地に落ち着きました。



大殿の後方には、徳川家の廟所があります。増上寺は徳川家の菩提寺ということもあって、将軍家の霊廟や墓所が現在の東京タワーザ・プリンスパークタワー東京、芝公園のあたりまで広がっていたのですけど、戦災によってそのほとんどが焼失してしまいました。 戦後になってから、それらはこの場所に集められたのでした。



それから、かつて増上寺の敷地だった芝公園内には、芝東照宮もあります。 こちらの東照宮は徳川家康が亡くなった翌年の元和3年(1617年)に創建され、さらに寛永10年(1633年)に3代将軍家光によって大造営がおこなわれました。それらの建物は、やはり戦災によって焼失。昭和44年(1969年)になって、現在の社殿が再建されました。



あと、2代将軍秀忠の墓所だった台徳院霊廟の惣門が、芝公園の東側に曳屋で移されています。こちらの建物は寛永9年(1632年)に建立され、戦災からはまぬがれ、現在は国の重要文化財に指定されています。



増上寺に関しては、以上です。そのあと、私はホテルで朝食をいただき、身支度をしてから地下鉄の東京メトロ南北線に乗り込みました。 東京の地下鉄は、都内の至るところまで張り巡らされていて、ひっきりなしに列車がやって来るので便利ですね。ただし、ホームに至るまでの道が長いうえに3D的に入り組んでいて、その移動には列車に乗っている以上に時間と体力を要してしまいます。 とかなんとか言っているうちに、私は永田町駅に到着。永田町にあるものといえば………



やはり、国会議事堂ですよ 私は以前からこちらの建物の内部を観てみたいと思っていたのですよ。国会議事堂は、いうまでもなくこの国の政治がおこなわれる場所であります。ほら、日本国憲法第44条にも「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と、規定されているでしょ。
それだけではなく、その建物は大正9年(1920年)に着工され、材料はすべて国産のものを使い、当時の建築技術の粋を集めて建設され、約17年もの年月をかけて昭和11年(1936年)にようやく竣工しました。歴史のある建築物で、なかなか近寄りがたいところでもあるのですけど、議会で使用していないときは、1時間おきに見学ツアーがおこなわれているのですよ。 しかも、無料で。ということで、さっそく見学の受け付けをしてきます。



しかし、その日はいくつかの小学校が社会見学に来ていることもあって「説明しながらのご案内はできないので、ただ歩いて回るだけとなってしまうのですけど、よろしいでしょうか?」ということになりました。もちろん、見させてさえもらえれば、それくらい構いませんよ。
受け付けと手荷物検査が終わったあとには、参議院の裏側にあるこちらの広間に通されました。 こちらには、議員バッジや天皇陛下の御椅子、議事堂の模型といった展示物の他にも………



議席のレプリカもあるのですよ 議員札の名前は「参議院太郎」となっているのですけど、これに座って採決ボタンを押せば、国会議員の気分を味わうことができます。
とかなんとかやっているうちに見学の時間となりました。それとともに、小学生の列がぞろぞろと動き出したのですけど、私はどのタイミングで入っていったらいいのでしょうか? その説明や案内はなかったですし。迷った末に、学校と学校の間に割り込んで、その流れに付いていくことにしました。



ここから先は撮影禁止となっているので、参議院のHPから主な画像を転用させていただきます。 まずは3階までいっきに階段を上り、そのフロアにある傍聴席から参議院議場を眺めました。3階まで吹き抜けた空間はかなり広く、彫刻が施された木目の壁などが豪華さを引き立ていました。 しかし、ベルトコンベアー式の見学だったので、立ち止まらることなく次に行かなければなりません。そんな感じで、赤い絨毯が続く廊下を歩いていったら………



広いのに加えて、壁は「時鳥」、床は大理石のモザイク、ステンドグラスの天窓のがはめ込まれた天井などがあって、また違った意味で豪華な御休所前広間に出ました。 その後方には………



天皇陛下の御休所があるのですよ 格天井からはシャンデリアがぶら下がっていて、本漆塗りの檜の部材、細やかな彫刻や壁画……… ずっと見ていても飽きないのですけど、やはり流れ作業で一瞬しか拝見できませんでした。



そのまま一行は、通路を歩きながら中央広間を眺めていきました。 こちらは中央塔の天井まで吹き抜けた広い空間で、さらにそこからは中央階段が続いています。広間の四隅には伊藤博文、大隈重信、板垣退助、空席の台座……… って、これはいったい……… 4人目を誰にするのか決められなかったとも、「政治に完成はなく、未完の象徴にする」とも云われています。



見学の列は、その脇の通路から前庭に出ていきました。ようやく撮影が解禁となったので、ここで一枚。 こうして見ると、けっこう重厚感がありますね。



そして、見学ツアーは議事堂の真っ正面の撮影スポットで記念撮影をして、終了となりました。 ちなみにここまでの所要時間は40分。そういえば、たつぴも小学校の修学旅行でこちらを見学し、全体写真を撮ったと言っていました。
国会議事堂は、「白亜の殿堂」と呼ぶにふさわしい、すばらしい建物でした。そうしたら代議士の皆さんは、文化的にも歴史的にも価値のあるこの建物に恥じない政治をしてくださいませ。
議事堂の見学を終えた私は、さらに地下鉄に乗っていきました。 永田町から1駅先の、四ッ谷駅で降りて向かった先は………



迎賓館赤坂離宮(赤坂迎賓館)であります。正門の門扉からして立派ですね。 こちらの施設はこの日まで特別公開がおこなわれていて、その日は入口前で、建物内部と主庭の見学に必要な整理券が配られていました。先着3000人だったのですけど、私はなんとか滑り込むことができました。



それでも、こちらの前庭は整理券や時間制限なしで見ることができましたよ。 ただし、見学するには手荷物や身体の検査を通らなければなりませんでした。それだけではなく、飲み物を持っていたら、その場で一口飲んで見せることにもなっていました。これは、毒見みたいなものでしょうか?



それらの禊(みそぎ)が済んだら、こちらの施設を思う存分ご堪能くださいませ 赤坂迎賓館は、明治42年(1909年)に東宮御所として建設されました。のちに赤坂離宮となったこの建物は、鉄骨補強煉瓦造りで、地上2階地下1階。建築家の片山東熊の総指揮のもと、当時の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した、日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築であります。



昭和天皇や今上天皇がお住まいになった時期もあったのですけど、東宮御所としてはあまり使用されず、戦後「旧赤坂離宮」は紆余曲折の末に、国の迎賓施設として改修されることになりました。そして昭和49年(1974年)にその工事は完了。さらに平成に入ってからも手を加えられ、平成21年(2009年)から迎賓館としての運用が再開されました。



こちらの建物は、西洋にあるものをそのまま真似して建てたように思われがちなのですけど、よく見ると屋根の上などに鎧武者のような装飾が乗っかっていたりします。 前庭からのレポートは、以上です。現在の時刻は11時13分。私が手にした整理券の見学時間は15時からとなっているのですけど、編集の都合と待ちきれない方のためにも、その時間にワープさせていただきます。



ということで、今度は西門から敷地内に進入し、またしても手荷物と身体検査、それに飲み物を一口グビッとやって、見学コースに入りました。 あ、よろしかったら重い荷物等は無料のロッカーにお入れくださいませ。



迎賓館の内部はやはり撮影禁止なので、ここから先はパンフレットの写真を使わせていただきます。 まず私たち見学者は、天井や壁が真っ白に塗られた廊下を歩いていき、こちらの彩鸞(さいらん)の間に通されました。ただでさえ広いのに、10枚の大きな鏡が壁にはめ込まれていることもあって、さらに奥行きを感じました。金箔が施された「鸞」という架空の鳥の浮彫りがあることから、この名となったそうです。



次は花鳥の間にございます。天井画や、壁に飾られた七宝に、花や鳥が描かれていることから、この名前となりました。 先ほどの彩鸞の間とはうって変わって、木目調の壁が印象的ですね。



こちらもまた、豪華ですね。天井に「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」が大々的に描かれていることから、朝日の間といいます。 洋風色が強いようですけど、壁には京都西陣の金華山職の美術織物が張られ、上部からはなぜか鎧武者にはさまれたライオンがこちらを睨んでおります。



最後は、羽衣の間です。この名は、天井に描かれた羽衣をモチーフにした大絵画に由来しています。天井にぶらさがっているシャンデリアは館内では最も豪華で、重さは約800kgと、軽自動車ぐらいあります。 また、中2階にオーケストラ・ボックスがあることから、かつて舞踏会の会場として造られたことがわかります。
こちらの内部見学は、自分のペースで進んでいくことができるので、そのきらびやかな造形美をしっかりと目の裏に焼き付けることができました。



屋外に出れば、写真を撮りまくってもいいのですよ ということで、こちらは前庭からは建物をはさんで反対側にある、主庭にございます。こちらからは迎賓館の雰囲気も何となく変わり………



さらに庭の中央には、こちらもまた大きくて豪華な噴水があります。



水を吐いている鳥獣は、麒麟でしょうか?赤坂迎賓館の本館や正門、それとこちらの主庭の噴水は文化的価値が高く、それらはすべて国宝に指定されています。
迎賓館は、今回までは見学する機会は限られていたのですけど、ここでいいお知らせがあります。そこを管理している内閣府によると、国外からのお客を迎るのに支障のない範囲で、今年の4月からより充実した公開が実施できるように、準備を進めていくとのことです。 その公開情報については詳細が決まり次第、内閣府のHPに載せられることになっています。

赤坂迎賓館(前半)を見学した私は、またしても地下鉄に乗り込み、今度は日本だけではなく世界的にも有名なワンコにまつわる場所となる大学に向かいました。 そのあるワンコとは、どの子のことをいっているのでしょうか?それにその大学はどこのことをいっているのでしょうか?さらに涙のワケは? それらに関しては、たぶんタイトルの段階でわかると思うのですけど、次回じっくりと語らせていただきます。


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