波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

上野公園をいざ出発!(谷根千お散歩オフ会その2)

2019-04-20 01:35:42 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記は、白黒茶々家がお散歩オフ会の集合場所となる上野の西郷さんの像の前にたどり着き、そこで東京にお住まいの福太郎さん家ゆきさん家と合流したところで終わったので、今回はその続きからとなります。 といったトコで、まずはその参加メンバーを紹介いたします。



福太郎さん家は、小太郎君(右)と梅太郎君(左)の2スピです。 小太郎君は箔とも面識があり、今回の参加犬の中では最年長の13歳。持病を抱えていながらも、まだまだ元気でした。 梅太郎君は、私は以前から存じていたのですけど、この日が初対面でした。



もう1組のゆきさん家は、雪丸君(右)と卯辰君(左)の、こちらも2スピ。 雪丸君はスピッツクラブ展覧会に出陳したこともあって、私は彼とは何回か逢ったことがあります。それから、昨年ゆきさん家にいた小辰君が12歳で亡くなり、そのあとにその家にやって来たのが卯辰君であります。 彼のことは、昨秋のスピクラ展でゆきさんから聞いていたのですけど、その頃はまだ生後2ヶ月で、まだその会場に連れてくることはできない状況でした。それが今では7ヶ月にもなって。 がウチに来たのもそのぐらいの頃で、まだかろうじて仔犬に分類されてはいるのですけど、大人っぽさも感じられました。 一方の、現在10ヶ月の狛は………



なんか、あぐらをかいていますね。 皆さんから「毛のボリュームがスゴい 」と言われ、確かに少し前よりその密度が増したように思えます。 ちなみに白黒茶々家は、たつぴの2人と1頭での参加となります。



顔合わせが済んだら、いよいよ谷根千(谷中・根津・千駄木)方面の散策に入りますよ この日の上野公園は桜が満開で、その下には大勢の人が集まっていたのですけど、それでも普通にワンコを連れて歩けるぐらいのレベルでした。 そのような中で「これから寄りたいところがあったら、仰ってください」と言ってくださったので、そうしたら遠慮なく このようにして、私が最初にリクエストしたところは………



大きな顔だけのこちらの仏像は……… 上野大仏にございます。 かつて上野公園一帯は広大な寛永寺の境内となっていて、その中に17世紀半ばに大仏が建立されました。幕末には大仏殿を伴った高さ6mほどの金銅仏となったのですけど、明治初期になって上野公園を開設するために、その母屋は撤去され、露座に。 さらに大正12年(1923年)の関東大震災で、頭部が落下してしまいました。 その後、大仏の胴体などは保管されていたのですけど、第二次世界大戦中に金属供出に遭い、現在は顔面の部分のみレリーフの状態で残っています。
また、こちらは「落ちない大仏」として受験生に崇拝されているそうです。



さらに白ふわ一行は、上野公園を縦断していきました。 混んでいる恩賜上野動物園をやり過ごし……… って、この1年の間にその正門は改修されたみたいで、ガラッと雰囲気が変わりましたね。



私たちは、旧東京音楽学校奏楽堂に行き着きました。 こちらは、明治23年(1890年)に東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)の校舎として建造されました。以来、日本における音楽教育の中心的な役割を担ってきました。 2階の音楽ホールは、かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台であります。
昨年の11月に改修工事を終えたばかりということもあって、古い重厚感を維持しつつも、綺麗に仕上がっていました。 ここで、福太郎さんたちは「私たちは外で待っているので、中を見学してみてはいかがでしょうか?」と仰ったのですけど、私とたつぴは有料ゾーンに入る手前の、敷地内のみ見てくることにしました。 そうしたら………



「M義兄さん 」
私は思わずそう言ってしまいました。 銅像のモデルは、「荒城の月」や「花」、「箱根八里」などを作曲したことで知られている音楽家の瀧廉太郎なのですけど、箔母さんの実兄のMさんにあまりにもソックリだったのです。ちなみに彼は現在、農業を営んでいます。 そうしたら、この画像を箔母さんに送ってみることにしましょう それから間もなくして「本当にそっくり~\(^o^)/で、どこの誰?(原文ママ)」という返信がありました。 それだけではなく「その本人にも送ってやろう」とも言っていたのですけど、もし私にも同じようにして自分ソックリの銅像の写真が送られてきたとしたら、やはり照れ笑いをしてしまいます。 さらにそれ以来、私は「1万円札がムリなら、千円札でもいい。新しい紙幣の肖像画が、瀧廉太郎だったらなぁ………」と思うようになりました。
奏楽堂では、私たちにとっては予想外のモノが待ち受けていたのですけど、落ち着きを取り戻してから白ふわの輪に戻りました。



交差点の向こうに見える歴史的っぽい建物は、地下鉄ではないのに地下を走る、京成電鉄旧博物館動物園駅です。 昭和8年(1933年)の京成本線開通に合わせて開業し、平成16年(2004年)に廃止されました。現在は、たまに何かのイベントで内部が公開されるみたいで、洞穴や戦前の建造物などが好きな私はとても気になっています。



そこからほど近いところには、国立国会図書館・国際子ども図書館の巨大な建物が聳え立っています。 こちらは旧帝国図書館として、明治39年(1906年)と昭和4年(1929年)の二次にわたって建てられ、現在は東京都選定歴史的建造物に指定されています。国立国会図書館の支部図書館で、児童書を専門に扱っているのですけど、もちろん大人も利用することはできます。



さらに私たちは、寛永寺の根本中堂に。 かつての寛永寺は、その伽藍が現在の上野公園全体に及んでいたのですけど、慶応4年(1868年)5月の上野戦争で一部の建物を残して焼失してしまいました。 ちなみに今日見られる根本中堂は、寛永寺の子院・大慈院のあった敷地に、明治12年(1879年)に川越喜多院の本地堂を移築したものです。 寛永寺の中心はかなり隅のほうに追いやられてしまいましたけど、新たな根本中堂は近くで見ると、かなり大きくて立派で風格のある建物です。
私たちは、かつて京成電鉄の寛永寺坂駅があった場所で営業しているコンビニをやり過ごし………



谷中霊園に続く桜のトンネルを潜っていきました。 上野公園のものに負けるとも劣らない見事な桜の並木が続いているのですけど、こちらは人が少ないのでゆったりと堪能することができます。 そうしていたら、桜吹雪の花びらがワンコたちの頭に……… と、またしてもいいところ(?)なのですけど、お散歩オフ会の話は次回で程よく完結させたいので、今回はこのあたりでよかろうかの?(なんか、懐かしい)狛どん、ちぇすとー きばりや。


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