こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私・波・狛の白黒茶々家の1人と2頭は浜松市の「家康の散歩道」をたどっています。 しかも、逆方向から。
浜松市博物館で徳川家康のリアルしかみ像を凝視してから、私は再び波&狛を伴って、博物館からは東に1,6kmほど行ったところにある………
宗源院さんにやって来ました こちらまで歩いてきたような感じになっているのですけど、実はここだけの話、車を使ったのですよ。
こちらの寺院は住宅地の中にあるのですけど、広い境内は樹木に覆われていて、静かで厳かな雰囲気が漂っていました。
そうしたら、参道を上っていってその境内を巡りましょう。
本堂は大きくて立派ですね。
宗源院さんは山号を宝蔵山といい、普済寺13派のうちに数えられる曹洞宗の寺院です。 応永23年(1416年)に在天弘雲和尚によって開創されました。
室町後期には、今川義元の庇護を受けました。
さらに、徳川家康が浜松に在城している間、彼は境内の東南一帯にあった的場で、弓の稽古に励んでいたそうです。
案内板がなかったらわかりにくいのですけど、檀信徒会館の庭の塀に沿った細道を、奥まで進んでいくと………
一般とは違う墓所に至ります。 その中には………
三方ヶ原の戦いで家康を逃がすために討ち死にした、家臣の成瀬正義のお墓があります。 私がここに来たのは23年ぶりで、その時と同じように手を合わせてから、次の目的地に向かいました。
ということで、宗源院さんからは東に400mほど行ったら………
西来院さんに行き着きました。 歩いていっても5分程度なのですけど、今回は車で来ていたので。
それはさておき、こちらも住宅地にありながらも、木々に囲まれていて落ち着いた雰囲気の中にありました。
参道をずいずいと進んでいくと………
かつては木造の立派な本堂があったのですけど、昭和20年(1945年)の空襲で焼失してしまい………
現在は、鉄筋コンクリートのモダンな建物となっています。
西来院さんは、山号を高松山という曹洞宗の寺院です。 正長元年(1428年)に月窓義運禅師が開山しました。
さらに、本堂の西には………
前の日記でも触れたのですけど、佐鳴湖畔で不遇の死を遂げた築山殿(瀬名)の霊廟の月窟廟がありました。 殺害されたあと、彼女は西来院に葬られたのです。
この建物も本堂とともに戦災で失われたのですけど………
築山殿の400年忌となる、昭和53年(1978年)に復元されました。
「どうする家康」はまだその段階までいっていないのですけど、この日こちらには築山殿を偲んで来る人がいくらかいました。 有村架純さんが演じる瀬名には死んでもらいたくないのですけど、そのあたりのことがどのように描かれるのか、とても気になります。
その頃になったら、泣きながら参拝に来る人が殺到するかも知れませんね。
さらに私たちは、そこからは東に370mほどで、余裕で歩いていけるのですけど、またしても車に乗って………
普済寺さんに来ましたよ こちらには立派な山門がありますね。
あとになって知ったのですけど、この建物は市内の北区引佐町にあった金指陣屋から移されたそうです。
ただし、この門は通れないようになっているので、脇に設けられた通路から入っていくと………
総門が見えてきました。 こちらの門は江戸時代初期に建てられ、現存しています。
しかし柵で丁重に囲まれているので、こちらも潜ることはできないのですよ。
さらに山門、総門と連なるようにして………
雲夢橋(うんぼきょう)という、古そうな石造りの橋があります。 こちらは江戸時代中期に造られたもので、県内最古。
普済寺さんは正長元年(1427年)に華蔵義曇(けぞうぎどん)和尚が、現在の同市中区寺島町に随縁寺を建立したのが最初となります。 その後、永享4年(1432年)に現在の場所に移され、広沢山(こうたくさん)普済寺と称するようになりました。
その頃、普済寺さんは遠江一帯における曹洞宗の拠点となって、禅宗が広められました。
かつての普済寺さんは「広沢」の名にふさわしく水の澄んだ池があって、月の名所としても知られていました。 しかし、現在はその面影はほとんど見られず、わずかに雲夢橋が残るのみです。
その雲夢橋の後方には、昭和39年(1964年)に鉄筋コンクリートで再建された本堂があります。
普門寺さんは元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いの際に、浜松城が炎上したと見せかけて武田軍を油断させるために、焼き払われました。 それに先立ってご本尊や寺宝を運び出したり、再建の約束をしておいたと思われるのですけど、このような形で徳川家康と関わっていたのですね。
そんなちょっと気の毒なお寺の歴史を偲びつつ、次の目的地に向かうために車に乗り込んだら………
あれっ、エンジンがかからない。 何回やっても動かなかったのですけど、実はその10日前にも同じようなことがありました。
その時は、一晩放っておいたら復活し、その後は普通に乗れたので、今回もきっと大丈夫でしょう。
そうしたら、しばらくお寺に車を置かせてもらって、その間に近いといえなくもないところにある、次の目的地まで歩いていくことにしましょう。
(続く)