こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記のラストで、私たちが乗ってきた車が動かなくなりました。 しばらく置いておいたら直ったこともあったので今回もそうなることを信じて、その間に逆方向から攻めていった「家康の散歩道」の散策の続きをすることにしましょう。
私たちが戻ってきた頃には、どうか動いてくれ~
………と願いつつ、向かったところは浜松城でした。 年を跨いだ3週間前に来たばかりなのですけど、実は今回はこちらで試してみたいことがあったのですよ
それは何かといいますと………
テレビCMや新聞記事に出ていたのですけど、T社のアプリをダウンロードして、それに登録してあるお城に直接行ってスマホをかざすと、VRで昔の姿を見ることができるのですよ 徳川家康が在城していた頃の、まだ石垣や瓦葺きの建物がなかった頃の浜松城をじっくりと見てみたいですね。
では、今から皆さまをその世界に誘います
家康時代の浜松城は、現在天守曲輪となっているあたりは詰の曲輪とか呼ばれていました。その頃から、天守門と同じ場所に櫓門があったみたいです。
さらに、その曲輪を俯瞰してみました。 そこには御殿のような建物があって、実際に家康が住んでいたと思われます。
………と、そのアプリには静止画と解説は出てくるのですけど、CMのように好きな角度から眺めることはできませんでした。 やり方がよくわからないので、どなたか時空を越えて、その時の私に教えてやってください。
そうしたら、そろそろ愛車を置いてきた普門寺さんに戻ることにしましょう。 私たちは行きとは違うルートを辿って、浜松城公園の北西にある亀山トンネルをくぐっていくようにしました。
こちらは昭和39年(1964年)まで走っていた軽便鉄道の奥山線の軌道だったところで………
現在はレンガのトンネルを徒歩や自転車で通ることができます。 けっこう長いのですけど、綺麗でおしゃれで照明で明るくなっているので、霊的な怖さは感じられません。
とかなんとか言っているうちに、出てきてしまいました。 この日の散策は、これにて終了となります。
………ということで、再び普門寺さんにやって来ました。 どうか愛車のMPVが、再稼働しますように~
………と願いつつ、スイッチを入れてみた結果……… 動きませんでした。 ギアを動かしたり、念じ方を変えてみたり、………と、いろいろと試してみたのですけど、ダメでした。
だんだんと暗くなってきたので、こうなったら明日の朝まで車中泊を……… なんてことをしたら、お寺に迷惑がかかるので賢明な処置をしなければなりません。
まずは、この車の整備や車検を任せている、私の親戚が営むモータースに電話をかけてみました。 ところが、日曜日で休みだったので出てくれませんでした。
それならば、近くのマツダのディーラーに助けを求めてみましょう。
その結果は「レッカーなどで店まで運んできてくれないと、対処できない」とのことでした。
そういうことならやむを得ません。 このままここで車中泊を……… じゃなくて、このような緊急事態に対応してくれる業者を、スマホで検索してみましょう。
そうしたら「出張費無料」を謳うところが出てきましたよ
さっそくそのフリーダイヤルにアクセスしたら、すぐに駆けつけてもらえることになりました。
まずはバッテリー切れと読んで、ブースターに繋げる処置をすることになったのですけど……… 「○万○千円を現金でいただきます」と言うではありませんか
バッテリーに繋ぐだけで、そんなに取るなんて。
それよりも、今の私はそんなに持ち合わせていませんよ。
その旨を業者に伝えたら、今の話はなかったことにされてしまいました。
スマホのバッテリーも切れかけてきましたし、万策尽きてしまったのか
考えた末、私はお寺の方に事情を話して車を一晩置かせてもらい、この日は箔母さんに迎えに来てもらうことにしました。 この日は一旦引き上げ、翌日になれば何らかの対応ができると思ったのです。
幸い、お寺さんは了解してくださいました。
あとは箔母さんのほうですけど、普門寺さんは住宅地の入り組んだところにあって、初めて来たら迷う恐れがあるので、もっとわかりやすい場所で合流することにしました。
その際には波と狛だけではなく、彼女らを入れてきたクレートも持っていかなければなりません。
箔母さんが到着するまでまだ時間がありますし、トイレにも行きたかったので………
私たちは再び浜松城公園に行きました。 その頃には雨が降ってきたのですけど、ライトアップされた模擬天守を見ることができました。
ちなみに箔母さんと待ち合わせるのは、公園を出たところの交差点付近。
そのままその場所に向かったら、すぐに見覚えのある車が入ってきました。
なんと、両者とも同時にその場所に到着したのです
これは仏様のお力によるものでしょうか?
その翌日、MPVは保険を使ってレッカーで私の親戚のモータースまで運び、修理できるか見てもらうことになりました。 検査の機器が届くまで数日かかり、それまで待たなければならないことに。
今回の歴史散策は思いもよらない結末となってしまいましたけど、また今までのようにMPVで巡れるようになることを願っています。