波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

八柱神社にありました。

2023-02-22 02:19:51 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

サモエドのお友達に声をかけていただいて、1月最後の日曜日となる29日に岡崎市の岡崎公園で集まることになりました。 その頃はウチのMPVは走行不能の状態だったので、実家の車を借りてそいつにを乗せて行くようにしました。 しかし、まっすぐ目的地に行くのもナンなので………

私は朝から家を出て、豊橋市民病院の近くにあるミックスベリーさんというお店に寄っていきました。 こちらでの目的は……… もう謎かけ(?)する必要もないかも知れませんけど、もちろんモーニングですよ

きれいでモダンなその店内は、お年寄りや家族連れなど、年齢層を問わずたくさんのお客で賑わっていました。

そうしたら、メニューを決めなければ ドリンク代のみで食べられるレギュラーモーニングだけでも、内容は充実していますね。 それから間もなくして………

モーニングのセットが運ばれてきましたよ 半トーストにゆで玉子、サラダが乗った皿はレギュラーモーニングで、ブレンド珈琲(440円)に付いてきました。 それらに私は、単品のおにぎり(100円)をチョイスしました それらの中では特におにぎりが美味しくて、米の味はもちろんのこと、程よい柔らかさで握られていて、具の鮭との相性もバッチリ その食感は食べたあとも心に残り続けました。 ミックスベリーさんはカレーのお店でもあるので、今度はお昼以降に行って、そちらのメニューも食べてみたいです。 お腹も心も満たされた私は、波と狛が待っている車に乗り込み、そのまま岡崎市内に入ったのですけど………

まだ岡崎公園には到達していません。 道の駅藤川でトイレ休憩していき、その近くにある徳川家康公の石像で記念撮影をしておきました。鷹狩りの時の姿を刻み込んでいるのですけど、足がないところからモビルスーツのジオングを連想したのは、私だけでしょうか?

さらに私たちは、こちらも岡崎市内となる東公園に寄っていきました。 ちなみに後方に見えるのは、本多(平八郎)忠勝の子孫の忠次氏が昭和初期に東京の世田谷に建てた邸宅(旧本多忠次邸)です。 あとで時間に余裕があったら、その内部も見ておきたいですね。 私たちはそこから近いといえなくもないところにある………

八柱(やはしら)神社まで歩いていきました。 鳥居をくぐった先には石段が続いていて、厳かな雰囲気があります。 創建した年は不明なのですけど、伊勢神宮の系列とのことです。

私たちはその拝殿を参拝してから、記念撮影をしました。 画像からはわかりにくいのですけど、この建物の瓦や破風飾りなどには、徳川家の家紋の三つ葉葵が飾られています。

せっかくなので、久しぶりに「狛(犬)と狛」をやっておきました。 なんか、だんだんと似てきていると思いませんか?

その拝殿や本殿の西側の森に至る道には、このような案内看板が立てられていました。 実は、私たちはこの「築山御前塚」を目当てにして、こちらの神社に来たのですよ。 その案内に従って歩いていったら………

「築山御前塚」と呼ばれる築山殿瀬名)の首塚がありました。

徳川家康は元亀元年(1570年)に築山殿と長男の信康を岡崎城に残して、浜松に移り住みました。 信康は織田信長の娘の徳姫五徳)と結婚したのですけど、のちに彼女と築山殿との間で嫁姑戦争が勃発したと云われています。 信康と徳姫との間にはなかなか世継ぎが生まれなかったことから、築山殿は信康の側室の選定を始めました。 それによって、信康と徳姫夫婦も不仲になったとも。 それらのことに堪えかねた徳姫は、父の信長に彼らへの恨み辛みを綴った十二ヶ条の訴状を送りました。
その内容は、築山殿の陰謀で自分たち夫婦は不和にさせられた。築山殿は医師と密通している。築山殿は武田と通じている。信康は徳姫の侍女・小侍従を殺した。信康は踊り子の衣装が悪いと踊り子を殺した。信康は僧侶を殺した。………などといったものでした。

その結果信長は家康に、築山殿と信康を処分することを命じたというのですけど……… いくら「魔王」と呼ばれた信長でも、同盟関係にある家康にそこまで踏み込んだことをするのでしょうか? いや「どうする家康」では、信長は家康にかなり無茶ぶりをしているので、そのドラマではこの路線でいくかも知れません。 ただし、十二ヶ条の訴状は後世の創作だということが判明しているので、築山殿と信康は岡崎派と浜松派の対立の犠牲になったという説が有力です。

浜松の佐鳴湖畔で家康の家臣たちによって殺害された築山殿の首は、安土の信長のもとに届けられ、検視されてから岡崎市内にある祐傳寺に埋葬されました。さらに八柱神社に改葬され、現在に至ります。
そういえば、私たちはほんの2週間前に西来院の築山殿のお墓(霊廟)をお参りしたばかりでした。ちなみに徳川(松平)信康のほうの首塚は、八柱神社から近いといえなくもない若宮八幡宮に、お墓は浜松市天竜区の清瀧寺にあります。 できたらそれぞれの場所をセットで訪れておきたいです。

ハ柱神社のお参りを済ませてから、私たちは東公園に戻ったのですけど、時間に余裕がなかったので、旧本多忠次邸の見学は泣く泣く断念することにしました。 そのようにして、この日の目的地となる岡崎公園の来訪者用にもなっている、岡崎市図書館交流プラザりぶらの駐車場に至りました。 そうしたら………

すでにその場所で、サモエドのお仲間がわちゃわちゃしていました。 「はっ、写真を撮らなければ 」と私が我に返った時には、かなりバラけてしまいましたけど、みんなして本来の集合場所に向かうことになりました。 そこに現れる子もいるので、サモエドの群れがどこまで膨れ上がるのか楽しみですね ということで、次回はお城での白ふわ祭りの様子をお伝えします。



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