こんばんは、白黒茶々です。
住んでいる地元がドラマなどの舞台になると、テンションが上がりますよね。 さらにそれが大河ドラマだったりすると、自治体が大河ドラマ館を造ってより盛り上げようとするのがお約束となっています。
正確には私たちの隣町になるのですけど、「どうする家康」の放送に合わせて、そのような施設が浜松市の浜松城の隣接地に建てられました。
私は最初から行く気満々で、その前売り券を買っていました。
ただし正式なオープンは、ドラマの中で徳川家康(松本潤)が浜松に移り住むのに合わせて3月18日なのですけど、1月22日から2月いっぱいまでの間はプレオープンとして、前段階の内容を見ることができるようになりました。 しかも前売り券を持っていけば、プレオープン期間中は1回無料で入れるというではありませんか
1粒で2度美味しいというか……… これは見逃すワケにはいきません
………ということで、プレオープン真っ只中となる2月5日にやって来ましたよ 大河ドラマ館……… ではなく、その近くにある浜松城ですけど。
それから、今回私は2シーターのFR車で来たので、波と狛は乗せることができなくて、やむを得ず家に置いてきました。
ただし、皆さまが想像されるような(?)スポーツカーの類ではなく、軽トラックです。
私は愛車のMPVが故障してから車無しの生活が続き、実家でこの日借りられるのはその車しかなかったのですよ。
こうなったら、代わりの足があるだけでもありがたくて、今回は波や狛に気兼ねすることなく見学できると思うことにしましょう。
ただし、大河ドラマ館が開くまでまだ1時間以上もあるので………
市内の中区元浜町にある、椿姫観音まで歩いていきました。 こちらは前回の日記の最後に触れた、「家康の散歩道」のコースの1つでもあります。
街角にある小さなお堂ですけど………
まずはお詣りしましょう。 ちなみに「椿姫」とは………
「どうする家康」で、関水渚さんが演じているお田鶴(の方)のことです。 彼女は築山殿(瀬名、有村架純)と母同士が義理の姉妹ということもあって、お互いに深く関わっていました。
ドラマのネタバレになってしまいますけど、のちに彼女は亡き夫・飯尾(豊前守)連龍に代わって、引馬城の女城主となりました。
しかし、遠江に進攻してきた徳川家康と対決することに。
家康は助命を条件にしてお城を明け渡すことを求めたのですけど、お田鶴の方は断固拒否
その戦いによって、18人の侍女とともに命を落としてしまいました。
築山殿はお田鶴の方の死を悼み、彼女を葬った塚に100株もの椿を植えました。 それらの椿は毎年美しい花を咲かせ、椿の塚から椿姫と呼ばれるようになりました。
昭和19年(1944年)に、現在地に塚に代わる観音堂が建てられたのですけど、翌年の空襲で焼失。 昭和27年(1932年)に再建され、現在に至ります。
ちなみにお田鶴の方については、波狛日記の人物伝で採り挙げたことがあります。ドラマで関水渚さんのお田鶴が討ち死にしたら、訪問者が泣きながらこちらに殺到するかも知れませんね。
そんなお田鶴の方たちのことを偲んでから、さらに私は南に10分ほど歩いていき………
遠鉄の遠州病院駅の脇にある、徳川秀忠公誕生の井戸というところに行き着きました。 秀忠は徳川幕府の2代目の将軍となる人物で、家康の3男。家康の側室の西郷の局(お愛の方)がこの付近の屋敷で秀忠を産んだとされています。
なので、近年になって産湯に使われた井戸がモニュメント的に造られました。
実は私もこの近くにあった病院で生まれたので、このあたりは「茶々さん出生の地」でもあるのですよ。
それはさておき、「家康の散歩道」では起点となる徳川秀忠公誕生の井戸をもって、私の中ではそのコースを完結することができました。 昨年のクリスマスに犀ヶ崖や夏目次郎左衛門吉信の碑を訪れるところから初めて、1月半ばに寄ったお寺では愛車が走行不能となるトラブルに遭いました。
そして今回、私のゴールを祝ってくれる(?)波と狛はいないのですけど、3回に分けてようやく揃いました。
静かな終わり方となってしまいましたけど、そうしたらそろそろこの日のメインとなるどうする家康浜松大河ドラマ館に向かうことにしましょう。
その敷地の前には、すでにたくさんの人が集まっていました。 とはいっても、開館前から並んだほうがより混雑を避けられるので、私は6年前の「おんな城主直虎」の大河ドラマ館でも同じようにしました。
そして、開館10分前になったら門が開けられ、さらに10時には入場の受け付けが始まりました。
その入口には、プレオープンのタイトルが。
戦国時代の砦を思わせる木柵を突破すると………
これまでに放送されてきたすべての大河ドラマの概要が、パネルで展示されていました。 題字のロゴも忠実に再現されていますね。
さらにその先には、歴代の大河ドラマで徳川家康が出てきた作品が集められていました。
それらの中で、昭和58年(1983年)に放送された「徳川家康」が、私は最も好きで印象深いものとなりました。 この作品から大河ドラマを観るようになり、前回の日記では三方ヶ原の戦いのあとにあった脱糞のシーンを振り返ってしまいました。
それから、織田信長役を役所広司さん、豊臣秀吉を武田鉄矢さん、本多作左衛門を長門裕之さん、築山殿(瀬名)を池上季実子さん、西郷の局(お愛の方)を竹下景子さん、淀殿を夏目雅子さんがやっていたなんて、豪華だと思いませんか?
徳川家康といえば、「独眼竜政宗」や「葵 徳川三代」でその役を演じた津川雅彦さんが有名ですよね。 しかし彼の家康はクセが強くて、好き嫌いが分かれると思います。
そういえば、郷ひろみさんも家康の役をやっていましたね。 ちなみに彼が出ていたのは、緒形直人さんが主演を務めた「信長 KING OF ZIPANG」にございます。
あと「真田丸」では、内野聖陽さんが家康を演じていました。 しかし、そのドラマでは主役の真田信繁(幸村、堺雅人)にとっては家康は悪役で、三谷幸喜さんの脚本が絶妙なうえに内野さんの演技もそれに忠実だったこともあって、大河ドラマ史上最も憎ったらしい家康となりました。
私は家康のことはずっと応援してきたのですけど、内野家康には石をぶつけたくなりました。
館内にはパネルだけではなく、歴代大河に出てきた徳川家康の一部の衣裳も展示してありました。 渋沢栄一(吉沢亮)を採り挙げた「青天を衝け」は近代史なのに、北大路欣也さんが「こんばんは、徳川家康です」とか言ってそのドラマのコーディネーターをやったのには、度肝を抜かれました。
その彼が実際に身につけた衣裳が、私の目の前に
徳川家康といえば、全身金ピカの金陀美具足が有名ですよね ドラマの大部分が浜松が舞台となった「おんな城主直虎」では阿部サダヲさんが家康を演じて、この具足も着用しました。
大河ドラマ館の出口付近には、松潤家康と有村瀬名のパネルが置かれています。彼らの間に割り入って3ショットを撮ったりするフォトスポットとなっているのですけど、スマホスタンドなどは設けられていません。 この日私は単独で来たので、残念ながら一緒に写ることはできませんでした。
その建物の隣は、チケット売場と発掘された浜松城の本丸の隅の石垣を保存&展示する施設となっています。 その石材として、天守曲輪と同じ珪岩(チャート)が使われています。
浜松城の本丸はこの位置まであったのですけど、明治以降に半分ほど削られてしまったのですよ。
あと、インフォメーションと家康ショップが一体となった施設もあります。 こちらでは、「どうする家康」のグッズだけではなく、うなぎパイなどのご当地の名物も買うことができます。
その外にはたくさんの「徳川家康公ゆかりの地」ののぼりが立っていて、さらにその中には私の地元の湖西市のものがありましたよ いちおう徳川と今川の攻防戦がおこなわれた宇津山城跡がありますし、彼の側室となった西郡の方や於万の方にもゆかりがあるのですけど。
それらを撮っていたら、スマホの画面に「QRコードの読み取り成功」と出てきました。 面白そうなので、さっそくタップしてみます
※茶々さん、おやめください!思いっきり怪しいですし、何が出てくるかわかりませんよ。(編集部・警告)
そうしたら、このようなものが出てきました。 モノタロウの替コテ先って、徳川家康や「どうする家康」とどういう関係があるのでしょうか?
それはさておき、ドラマの舞台が浜松に移ったら、地元だけではなく私のテンションもさらに上がりそうです。
大河ドラマ館がグランドオープンしたら、また見に来ます。
旅行先のグッズといえば……… ノリで買ってしまった木刀の活用法を、いまだに模索されている方は、こちらに投票してやってください。