こんばんは、白黒茶々です。
箔日記を読んでいると、たまに出てくる歴史のお話。
その中でも今回はある人物について触れてみようと思います。………とはいっても、すでにタイトルにその名前を出してしまいましたけど。
ということで、前回の築山殿に引き続いて、第二弾の今回は徳川信康に焦点を当ててみようと思います。
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このような感じで彼の肖像画が残されているのですけど、こうして見ると、切れ目でなかなかのイケメンですね。
信康は、家康と築山殿の長男として、永禄2年(1559年)に生まれました。また、彼は生涯の後半は岡崎城の城主だったということもあって、岡崎三郎信康とも呼ばれていました。
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またまた出ました!岡崎城
築山殿のところでも触れましたけど、彼は後に織田信長の娘の徳姫を妻として迎え入れました。将来は徳川家の跡取りとして期待されていたのですけど……… 徳姫が父信長に宛てて出した「信長の十二箇条」によっていろいろと疑われ、21歳の若さで二俣城で自害させられてしまうのです。
徳姫が姑・築山殿と夫・信康に対しての不平不満を綴ったというその書状の内容はというと………
○信康は気性が荒く、日頃から乱暴であるということから始まって………
○領内の盆踊りで、踊りの下手な領民を弓矢で射殺した。
○鷹狩りの場で、うっかりそこに踏み入ってしまった僧侶に縄を付けて、なぶり殺した。
○徳姫の生んだ子が二人とも姫だったことに腹を立て、夫婦の仲が冷え切った。
………などなど。
さらに築山殿との関連で、甲斐(山梨県)の武田氏と内通していたという疑いがかけられたのですけど、どうもこの説はウソくさいです。
徳姫の書状を読んだ信長は、家康に信康の処分を申し渡したのです。結局、家康は信長の意向に従い、それによって信康は自害して果ててしまいました。その後、信康の亡き骸は二俣城の近くの清滝寺に葬られ、現在に至ります。
では、今回も彼にまつわる名所旧跡を廻ってみることにしましょう。
信康は、信長からの命令を受けた家康の手によって、岡崎城を追われ、大浜に追放されてしまいます。
さらに彼は、堀江(現在、遊園地浜名湖パルパルがあるところ)などの地を転々とし、二俣城に行き着くのですけど、………
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私は、その二俣城に来ています。
このお城は、浜松市内でも山間部の天竜区にあって、その眼下には天竜川が流れています。市の中心部から離れたところにひっそりと存在しているということもあって、その日も静寂に包まれていました。
徳川幕府が開かれる頃には廃城になり、現在城跡には写真で見られるような天守台や石垣などが残っています。
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おれっち、そろそろ出てきてもいいですかワン?
なんか、一緒に白いものも写っていますけど、そちらのお話は次回にするということでご了承くださいませ~
話は元に戻って、信康は今から430年前の天正7年(1579年)の9月に、このお城で切腹させられてしまいました。その際、天竜川の流れに乗って逃げるという手もあったのですけど、彼は堂々と自害して果てたそうです。その史実があった場所に立つと、彼の無念さが伝わってくるようです。
また彼の廟所は、その近くの清滝寺にあります。せっかくなので、そちらのほうにも行ってみますね。
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お寺の崖の上には、二俣城にかつてあったという井戸櫓が再現されています。それを眺めながら坂道を上っていくと………
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山門が見えてきました。さらにその奥に進んでいくと………
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信康廟(お墓)がありました。静かなところで安らかに眠っているみたいですね。そういえば関が原の合戦で、秀忠が遅参したときに家康は「信康がいれば、こんな思いをしなくて済んだのに
とぼやいたという話を聞いたことがあります。築山殿のときとは違って、家康は彼の死をとても惜しんでいたみたいです。
しかし、なぜ彼は死に追い込まれなければならなかったのでしょうか?例の「信長の十二箇条」だけでは納得できないのですけど………
できることなら信長殿に直接聞いてみたいのですけど、そのようなことをしたらお手打ちは免れそうにないからなぁ
あと一つ、信康が信長の嫡男の信忠より優れていて、将来彼を脅かす存在になることを信長が恐れたという説もあります。信康の顔立ちを見ていると、そちらのほうが有力に思えてきて仕方がありません。
そのことに関連して、信長への忠誠心を家康に試したという説も浮かび上がってきました。
晩年の信長は「余を神として崇めよ」と唯我独尊状態で、誰も彼に逆らうことはできませんでした。
それに加えて疑心暗鬼に陥り、少しでも疑いのある者は、たとえ古くからの重臣でも、情け容赦なく処分するようになりました。
そのことに危機感を覚えた明智光秀は、本能寺の変を起こすことになったと思われるのですけど………
気が付いたら、信康の話が少々飛躍してしまいましたね。
前回に引き続いて今回も信長を悪役に回してしまいましたけど、またこの手の話を書く機会があったら、その時には彼をカッコイイ役にするつもりなので、どうかお許しくださいませ。
信康は、地元の二俣地区では現在でも多くの人に親しまれ、それは毎年秋の産業祭で信康の武者行列がおこわれるほどなのです。
戦国乱世の世の中に、短命のイケメン武将がいたことを覚えていていただけると、幸いです。
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信康にもっと長生きしてもらいたかったと思った方は、こちらに投票してやってください。
箔日記を読んでいると、たまに出てくる歴史のお話。
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このような感じで彼の肖像画が残されているのですけど、こうして見ると、切れ目でなかなかのイケメンですね。
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またまた出ました!岡崎城
築山殿のところでも触れましたけど、彼は後に織田信長の娘の徳姫を妻として迎え入れました。将来は徳川家の跡取りとして期待されていたのですけど……… 徳姫が父信長に宛てて出した「信長の十二箇条」によっていろいろと疑われ、21歳の若さで二俣城で自害させられてしまうのです。
徳姫が姑・築山殿と夫・信康に対しての不平不満を綴ったというその書状の内容はというと………
○信康は気性が荒く、日頃から乱暴であるということから始まって………
○領内の盆踊りで、踊りの下手な領民を弓矢で射殺した。
○鷹狩りの場で、うっかりそこに踏み入ってしまった僧侶に縄を付けて、なぶり殺した。
○徳姫の生んだ子が二人とも姫だったことに腹を立て、夫婦の仲が冷え切った。
………などなど。
さらに築山殿との関連で、甲斐(山梨県)の武田氏と内通していたという疑いがかけられたのですけど、どうもこの説はウソくさいです。
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では、今回も彼にまつわる名所旧跡を廻ってみることにしましょう。
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私は、その二俣城に来ています。
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おれっち、そろそろ出てきてもいいですかワン?
なんか、一緒に白いものも写っていますけど、そちらのお話は次回にするということでご了承くださいませ~
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話は元に戻って、信康は今から430年前の天正7年(1579年)の9月に、このお城で切腹させられてしまいました。その際、天竜川の流れに乗って逃げるという手もあったのですけど、彼は堂々と自害して果てたそうです。その史実があった場所に立つと、彼の無念さが伝わってくるようです。
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また彼の廟所は、その近くの清滝寺にあります。せっかくなので、そちらのほうにも行ってみますね。
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お寺の崖の上には、二俣城にかつてあったという井戸櫓が再現されています。それを眺めながら坂道を上っていくと………
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山門が見えてきました。さらにその奥に進んでいくと………
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信康廟(お墓)がありました。静かなところで安らかに眠っているみたいですね。そういえば関が原の合戦で、秀忠が遅参したときに家康は「信康がいれば、こんな思いをしなくて済んだのに
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あと一つ、信康が信長の嫡男の信忠より優れていて、将来彼を脅かす存在になることを信長が恐れたという説もあります。信康の顔立ちを見ていると、そちらのほうが有力に思えてきて仕方がありません。
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晩年の信長は「余を神として崇めよ」と唯我独尊状態で、誰も彼に逆らうことはできませんでした。
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気が付いたら、信康の話が少々飛躍してしまいましたね。
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前回に引き続いて今回も信長を悪役に回してしまいましたけど、またこの手の話を書く機会があったら、その時には彼をカッコイイ役にするつもりなので、どうかお許しくださいませ。
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信康は、地元の二俣地区では現在でも多くの人に親しまれ、それは毎年秋の産業祭で信康の武者行列がおこわれるほどなのです。
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大人になるとなぜ おもしろくなるんでしょうね。
白黒茶々さんみたいな感じで 子供に話してやると
子供も興味を持って 楽しく歴史を学べるかもしれないですね。
白黒茶々さんの大歴史紀行!
毎回楽しみにしてますよ~(^^v
今回は信康のついてのレポ。
長文力作を一気に読まさせていただきました。
学校では習わなかったお話だけにとっても興味深かったです。
いまだに信康を称えた行事があるってことは「信長の12か条」とは違った立派な殿様だったのかもしれませんね。
信康が2代将軍になっていたら歴史は変わっていたでしょうか?
分からない事が多いだけに、つい考え込んじゃいますね。
それが歴史の面白いところですね~♪
次回も期待してますよ~!
日本史は大好きで専攻していたけど、あれれ?
なんか覚えていないゾ(^_^;)
たくさんの知識があって、お城めぐりをすると、より一層楽しめるんでしょうね♪
今回も白黒茶々せんせいの歴史授業はとってもわかりやすかったです!
こういう風に楽しく授業してもらったらなー、もっと成績も上がったであろう
いろいろあった信康さんですが、今こうして地元の方に親しまれて、安堵の思いでしょう
それにしても信長さん、今後いい話はまわってくるのでしょうか!?
巧妙が辻の信長さん、舘さんけっこうよかったです。
それでも、彼には今後も歴史に関するいろいろなところに連れて行ってみるつもりです。
武田信玄の長男の義信もそうだったのですけど、信康は歴史の隅に追いやられ、あまり脚光を浴びることのない悲劇の人物でした。
それから、第三弾は長篠の合戦のあたり………って、もうすでに書く気満々じゃないですか~
私の場合は、一点に集中しているので、無駄なことからもしもの世界まで、一度火がついたら止まりません。そのようなお話にお付き合いしてくださり、ありがとうございます。
そのような感じで、事前調査をやってからお城等に行くと、さらに楽しさがアップします。
今回も歴史の脇役に焦点を当ててみましたけど、いかがだったでしょうか?それから、信康殿のイメージアップに貢献することはできたでしょうか?
そういえば、大河ドラマではたくさんの信長が出てきましたね。役所公司、五木ひろし、渡哲也、舘ひろし、………などなど。次回は再来年の「江~姫たちの戦国~」に出てくると思われるのですけど、やはり「ドクロの盃」は避けては通れないのでしょうか?