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全日本選手権2015,バラード第一番で見せた羽生選手の安定感

2015-12-26 | 羽生選手の素晴らしさ

全日本フィギュアスケート選手権2015が始まり、男子のSPが終了しました。

 

さすがに連戦で、かなりお疲れなんじゃないかと想像できるわけですが、事前報道によれば、安定しているとの情報と、ちょっと疲労気味なのではとの、2種類に分かれていた印象でしたが、演技を見て思ったのは、なるほど、その両方なのだな、と。

 

6分間練習では、抜群の精度で、完成度の高いジャンプを、安定感と共に見せてくれていました。

NHK杯、グランプリファイナル、全日本選手権という、この過密スケジュール気味の流れは毎年、トップ選手たちに負担が重く見え、ただブログでこうして追うだけでも私まで過労になりかかるくらいだから、相当に本当はキツイのではないかと想像されます。

羽生選手はそれでも今回、それらの情況を含めて、

「どんな中でもノーミス出来るように」という課題を自分に課して前向きに取り組んできたようです。

 

本番では、最初演技前がちょっと、いつもより気が焦っているように見えた気がしました。落ち着き切れていないような印象がありました。

最初の4回転サルコウが、ちょっと軸がぶれてしまい、着氷に失敗して転倒したのですが、直ちに立ち上がって立て直し、イーグルに繋げるという、ある意味では逆に凄いなというフォローを見せて、その後の演技では、難易度の高いジャンプもスピンも、ミスなく安定感を発揮してくれました。

 

羽生選手の技の完成度の高さや余裕から、もはや大変なことをやっているように全然見えなくなってしまっているところが、大したことをやっていないかに感じさせてマイナスの影響さえ見えてくるほどにレベルが上がった昨今の羽生選手ですが、

一つ失敗したらリスクの大きいショートで、2種類の4回転とトリプルアクセルを跳べるということ。

しかも4回転の一つはコンビネーションにして、残り二つは「超」のつく難易度の前後でこなし、それをあたかも余裕に見せて、抜群の完成度と美しさでこなす、そのことはやはりそれだけでそもそも「頭一つ抜けている」証拠です。

ステップは今回、レベル4に認定され、良かったですね!

 

神演技だの、神の領域だのと呼ばれるものというのは、自分が全く神ではないことを痛感出来ている時にこそ、そしてそのような心の状態でこそ、むしろ可能となるものだと、私は思います。

 

羽生選手はそれを、誰よりもわかっているからこそ、ここまで出来ているわけですが、

周りが色んなことを言い、煽り、期待し過ぎるからこそ、どうすれば良いのか。

ここからは、それが一番難しい闘いかなと、思います。

でも、きっと羽生選手はこれを、乗り越えていけるだろうと信じています!

 

疲労続きの中、また、羽生選手の長所を攻撃したような妨害の力が働いた中でも、きちんと演技をまとめられるほどの冷静さと謙虚さと強さを持ち、悔しさの中でも見せてくれた穏やかな笑顔や、直ちに反省して絶えず自分を見つめ直す態度も、一つ一つが、羽生選手がずっと目指してきた「本当の強さ」に、きちんと近づいている証拠じゃないかなと、私は思いました。

良い集中が出来ますように。

フリーは、明るい晴れやかな気持ちで終えられますように!

心から、お祈りしています!

 

 


東日本大震災から4年 困難の中でさらに輝いた花―― 羽生選手の「花になれ」「花は咲く」

2015-03-11 | 羽生選手の素晴らしさ

あの東日本大震災と、続く原発事故から、丸4年。

 

羽生選手がこのたび、日本赤十字社の東日本大震災・被災地復興関連の、広報に起用されたようです。

HPは、こちら ⇒ http://jrc-shinsai2011.jp/  (東日本大震災特設サイト)

 

羽生選手のメッセージ、インタビューも見られます。

 

寄付等の金銭支援については、この「日本赤十字社」に限らず、皆様お一人お一人が、

その団体は、そのお金を何にどのように使うのか、寄付金を実際にどのように使ってきたのか、など、

その組織の財務状況や収支報告等をきちんと調べ、寄付金の使用の仕方を確認・把握したうえで、納得してから行うべきだろうと、私は思っています。 

 

あの大震災直後は、実際、沢山の支援が集まったはずなのに、それがきちんと行き渡っていないことや、倉庫に積み上げられたまま等、様々な問題も報道されました。

 

あなたの貴重なお金や物資、そしてそれに込めた思いは、どのようなルートで、誰に、何のために、託すのか。 

それは「何をどのくらい」ということと同じくらい、非常に大事なことだと、2011年の経験からも、私は強く思います。

 

また、その報道や情報は、真実なのか―――― 矛盾点はないのか、もしあるとしたらなぜか。 

単に鵜呑みにするのではなく、そう問いかけながら見ていくことも、時に大事かと思います。

 

私の両親はかつて、比較的有名な、ある支援組織団体に、長きに渡って寄付をしていたのですが、実際にその支援となる現場に行ってみて、詳細をみてきた結果、強い疑問を感じたらしく、帰ってきてから、その組織団体への支援を打ち切ったという、やや苦い過去があります。

全く同じものを見ても、全ての人が同じように感じ・考えるわけではないと思いますし、難しい問題ですが、

そういった判断をし、責任を負うのは、お一人お一人です。

 

 

そして、いつ次の大災害が発生するかわからない地理的状況にある、日本という国では、絶えず災害のための備えや対策が必要になります。

再び同じようなことがどこかで起きた時、どうすれば良いのか。

 

災害対策品や食糧、水、等の期限は、大丈夫かどうか。 交換が必要ではないかどうか。

 

 

ヤフー・ニュースの、「東日本大震災と福島第一原発事故から、4年」 という特設HPが、こちら。 

→ http://news.yahoo.co.jp/closeup/sanrikuoki_earthquake

 

大災害時に必要な様々な知識等を集めた、ヤフーの「防災特集」 特設ページ 

→  http://emg.yahoo.co.jp/sokuho/column/

 

 

2011年、私の生活は大きく変わってしまい、本当に精一杯の日々で、正直、フィギュアスケートを見るような気分になれる状態ではありませんでした。

だから、羽生選手が「続けても良いのか」と、当時真剣に悩んだという気持ちは、当然のものだと思うし、すごくよく解ります。

 

でも、そんな気分のただ中で、テレビをつけた時に見た羽生選手の姿は――― 私よりさらに大きな被害を受けていたはずの彼が、一人の高校生として、悩みながらも、物事に真剣に向き合おうとする、その真摯で誠実な姿は、他のどんなことよりも、なぜか私の胸を打ちました。

 

そして、私も頑張らねば、と 強く、無理なく、思えたのです。

 

悲惨な現実を沢山見てしまったであろう、繊細な感受性をもった羽生選手が、

その年のシーズンから披露してくれたその演技は、傷ついてなお、逆に驚くほどの力と輝きを放っており、

本当に心に訴え、胸に響いてきたり、あるいは楽しくなって、ワクワクさせてくれるような、素敵なものばかりで、

そのことにまた驚き、感動し、大きな希望を見出しました。

 

私はその前から、羽生選手のことを、フィギュアスケートの天才少年で、未来の金メダリストに絶対になる人だろうと思ってはいたのですが、

あの大震災からしばらくは、物流関係と医療、救急、消防・土木関係等の職業が、世の中で一番尊いかのようにさえ思えることがありました。

直接的に、何かを支援できる仕事だからです。

 

あれほどの緊急事態、未曾有の災害の時には、スポーツや芸術という分野は、何もなすすべがないかのようにも、思えてしまいます。

しかし、自分自身で立ち向かわなければならない数々の困難を前に立ちすくみかけていた時、私自身は、一見すると災害と全然関係がないように思えたフィギュアスケートから、驚くほど沢山の勇気と励ましと、希望を受け取ることが出来ました。

困難な状況を逆に感謝に変えて、もともとあったその凄い才能を、以前にも増して惜しみなく発揮している羽生選手を見ていると、本当に楽しくて仕方がなかった。

楽しい気持ちを忘れかけていたその時の私には、それは本当に、とても幸せに感じられた瞬間でした。

 

転んでも全然めげずに立ち上がって、渾身の演技を続けてみせる羽生選手をみていると、

「あ、そうだ。 転んでもへばっても、ただ単に、立ち上がればいいだけじゃない」と、気が付いて、心から晴れやかな笑顔になれました。

 

ちょっとした失敗を繰り返しても、カラッとした表情で、失敗の原因を冷静に自分で分析しながら、全然めげずに前を向いている羽生選手のインタビューを聞いていると、希望しか感じられなくなり、笑ってしまうほどでした。

 

魂のこもった美しい演技からは、なんともいえない感動や喜びをいつも感じられました。

 

だから、私から見ると羽生選手は、成功した時や会心の出来だった時はもちろんのこと、演技で転んでも、あるいは失敗しても失速してもなお、逆に大いに励まされる存在であり、楽しみな存在でもあり、そういうところにこそ、本当の強さが光って見えてくる、本当に稀に見るほどに有難い、凄い選手でした。

 

 

お金や物資、食糧、直接的な支援は、もちろん必要で重要です。

 

でも、たとえ間接的な励ましや支援であっても、そういった、励まされて「内から湧き出る力」というものは、

時に、ただのお金が生み出す、何倍もの価値と力に変わるのではないかと、私は羽生選手を見ながら、強く思わされてきました。

 

 

そんな羽生選手へのお礼と応援の意味を込めつつ、羽生選手の演技を見ることで、同じように感動したり、励まされるであろう、羽生ファン、潜在的なファン層や、未来のファン層のためにも、このブログを書いてきたつもりです。

 

一人一人が、内から出る力に支えられて、その能力や良さ、才能を最高に活かせるようになる時――― それがどのような「花」であっても、その人なりの美しい「花」を咲かせていくことができるなら、そういった「花」が集まった景色は、どんなにか素敵なものでしょう。

 

辛い試練はむしろ、キレイに花を咲かすための、栄養たっぷりの肥やしや水だったと思える日が来たら、どんなに幸せでしょう。

 

どうか、そんな羽生選手が、心からの笑顔で、喜びにあふれて、希望をもちながら、未来へ向かって自分の花を咲かせ続けていけますように…

 

 

震災に絡んで、羽生選手が心を込めて演技してきた、二つの演技を、ここに載せたいと思います。

 

一つ目は、「花になれ」。  

最高おススメでも紹介してありますが、この回の羽生選手は、非常に丁寧に演じていて、優しさと希望に溢れています。

そして躍動感が素晴らしい。 (パリの散歩道のアンコールつきです。)

 

「僕たちも花になれる」――― ラストに響くこの言葉が、強く印象に残る演技です。

 

 

そしてもう一つは、「花は咲く」 です。  

この演技は実際には2つしかまだ披露されていないく、どちらも既に紹介済みですので、今回は、二つの演技を、並列してある動画をご紹介してみます。  

並べると、表現の細かい違い、やっていることやタイミングの違いに、気が付けると思います。 

あるいは、両方の演技から、総合的に何かを受け取ってみるのも、また楽しいかもしれません。

 

羽生選手は、その時その時の思いを真っ直ぐに込めながら滑っているようで、決まった範囲内で自由度を謳歌しつつ、

全身全霊で、表したいものを躊躇なく伝えてきます。

 

 

 

誰よりもまず、羽生選手自身が、自分らしい花でいられますように・・・

そして、無理なく、心置きなく、大輪の花を咲かせられますように・・・!!

 

 健康と安全を、お祈りしています。

 

 

 


羽生選手の強さ、町田選手の思い、二人への期待

2014-10-31 | 羽生選手の素晴らしさ

最初に、羽生選手が中国杯に出る見通しだとの 最新ニュースです。 ↓

http://www.excite.co.jp/News/sports_g/20141031/Kyodo_BR_MN2014103101001323.html

 

オーサーコーチが、羽生選手は中国杯に出るつもりで準備を進めている、と明かしました。

現在のところ、出場する予定とのことです。

町田選手の演技を見てから、羽生選手の演技が恋しくなってしまっていた私としては、とても嬉しく思える反面、本当に無理のないように・・・と願うばかりです。

 

ご存知の方も多いとは思いますが、羽生選手の怪我の状態についての最新情報としては、スケートアメリカ(10月26日終了)の会場で、World Figure Skating Japanの担当者さん が、羽生選手のコーチであるオーサー氏に聞いて下さったのが公開されていました。 

ツイッターで、以下のように流されています。

ツイッターはこちら。 → https://twitter.com/WFS_JP

 

以下、その内容です。

『 スケートアメリカで、ナム・グエン選手に帯同しているブライアン・オーサーコーチに、羽生結弦選手の体調についても取材しました。

腰の状態は大分よくなった。必要なのは時間。

まだ多少痛みはあるが、結弦は賢いのでうまく管理している。

練習と休息・マッサージを組み合わせ、常に注意を払っていく」 』

 

World figure skating Japan のツイッター担当者様、ありがとうございます!!

 

これを見ると、羽生選手は何とかお元気そうですが、万全というわけでもなく、まだ少し時間が必要なようです・・・

油断大敵。

羽生選手、どうかお大事に…!!

お祈りしております。 

(それ以上のコメントは、今は控えます。 )

 

ちなみに、『World Figure Skating 』の最新号は、こちらです。 ↓

ワールド・フィギュアスケート 66
 
新書館

 ついでに、今週のアエラは羽生選手が表紙だそうで。↓ 

AERA (アエラ) 2014年 11/10号 [雑誌]
 
朝日新聞出版

 

さて、選手の名前コール後、1分以内にスタート地点に着くルールが、今シーズンから、「コール後、30秒以内」に短縮されたことについて、

女性週刊誌で、羽生選手がその時間短縮の対応に苦労している、と書かれています。 →http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141028-00010002-jisin-ent

私は、全員が短くなるのだし、他にも時間一杯使っていた選手は沢山いるので、30秒以内に収めるのに苦労している選手は沢山いるだろうと思います。そういう意味では、ここに書かれているように、特に羽生選手への嫌がらせだ、などとまでは思わないです。

むしろ全体の時間短縮を狙った、商業的かつ興行的な理由が主だろうと想像しますが、精神面への対応で選手たちが大変になるのは間違いないでしょうから、いいルール変更だとは全然思えないです。

あの時間の選手たちの様子、特にその「目」を見ていると、色々なことが解るので、選手たちには最も緊張する瞬間だと思うけど、観る側の私としては、結構好きな時間でした。羽生選手は最初から、あの登場してからの1分間の「目」が、全然他の人とは違っていたので、強く私の目を引きました。

「何があっても、影響しないようにしてみせる!」というのが、きっと今の羽生選手の本音でしょうね。

五輪チャンピョンになるよりずっと前から、ルール改正でその才能を狙い撃ちされてしまう選手さえいます。 

まして、3冠まで一気にとった羽生選手は、あらゆる点で標的になるのは、当然のように予想できたことで、色々と覚悟の上だとは思います。それを乗り越える強さを見せたいのが、羽生選手でしょう。

 

誰かの圧勝を防ぐためのルール変更、というのは、ある意味では本当に馬鹿らしいですけど、五輪の冬の競技では、ずっと繰り返されています。

それでよく解るのは、「採点」「評価」というのは、その時代の人間が作ったルールの中で決められる、所詮は『相対的なもの』、だということ。

 

評価されることはとても大事だし、誰でも嬉しいことだけれども、誰かの評価だけを基準にして自己評価までもを確立しようなどとすると、コロコロ変わる他人に依存していくようなものだから、最後には己を見失うことになる、と私は思っています。

昨シーズン、羽生選手と浅田選手が本当の意味で「強い人」だと私が思っていたのは、実際に最高レベルのものをやるだけではなくて、自分の中で絶対的な基準を持ち、そこが揺るがなかったから。 

あの若さで、お二人は本当にカッコよかったです。 審判が何点つけるかに、関係なく。

政治や権力に左右されないほどの、公平な採点が可能なら、本当はそれが一番理想です。

 

人間である以上、主観からは誰も逃れられないし、政治や権力の影響を、一切なくすことなどはできないかもしれないけれども・・・

政治や権力、審判にさえ、自分の心や演技が「支配されない」ことを自分で選択することは出来ます。

 

2010年に、インタビューで、「プルシェンコ選手とジョニー・ウィアー選手」を尊敬していると、堂々と答えた、わずか15歳の少年がいました。

この年、プルシェンコ選手は、バンクーバー五輪での採点をした審判に疑問を呈して抗議し、表向きは関係ない全然別の理由でしたが、つまらない理由で、ちょうど半年くらいの「出場資格停止処分」になっていた時期でした。 私はプルシェンコ選手がそうなったニュースを聞いたとき、かなりのショックを受けました。

ジョニー・ウィアー選手は、ある時期から、(ファンでもなかった私から見ても、)冷遇されていると見られることが増え、ファンがブーイングすることが何度もあった選手です。その年にあったバンクーバー五輪でも、本人も会心のガッツポーズで終えるほどの演技をしながら、これまた他選手と比べても明らかに低すぎる点数をつけられてしまい、観客からかなりのブーイングが出る中、達観したように穏やかな顔で、両手で、観客を鎮める動作をしながら、その場を収めつつ、耐えた選手です。 (この時の採点には色々一筋縄でない理由があると私は思っていますが、その辺は割愛。)

この二人の選手は、演技や性格は完全に対極のタイプながら、この時期、「実力は凄いのに採点では冷遇された」、という点では同じ。

どちらも、形は全然違うけれども、所詮は人に過ぎない「審判」を神のごとく絶対視したりせず、支配されず、己の信念を貫いてみせた選手として、その年のバンクーバー五輪での態度が、私の印象に深く刻まれていた二人。 (この大会での高橋選手も、4回転なしにすればむしろ優勝や銀メダルになる可能性があったとも言われながら、迷いなく果敢に4回転に挑んだところが、とてもカッコよかったです。)

シニアデビューしたての時期で、審判に悪い印象を与えたくなければ、避けたかもしれないこの二人の名前を、よりにもよってこの時期に、「尊敬する人」として、しっかりと公の前で挙げみせた少年。

私は、このわずか15歳の少年 = 羽生結弦選手 を「驚くほど骨のある選手!」だと思い、驚嘆の眼差しで見つめていました。

並外れた才能だけじゃない。 この毅然とした強さはもう、本物だわ、と。

 

羽生選手が、この二人を尊敬していたのは、何年も前からでしょうから、そういうことに関係なく、そもそも演技が好きだったのだろうとは思います。

でも、羽生選手が、この二人の置かれていた状況を、知らないはずがない。

私の想像では、この二人の先輩は、フィギュアスケート人生の中でも、それぞれ、最も失意の状態にあった時期なのではないかと、そう思えました。

(事実、ジョニー選手は、のちにこの時のことが非常にショックだったと述べています。)

だからこそ私は、この15歳の少年を尊敬しました。 まー、カッコイイ選手が出てきたわ、と。

 

当時の羽生選手の写真 ↓ (日本郵政・ 羽生選手のフレーム切手集 :締め切りは11月16日(日)まで )  

← 若干恥ずかしい、とコメントしながらも、この瞬間の写真を選んじゃった羽生選手。面白すぎます!(笑)

 ← 初めての4大陸選手権大会で、4回転Tを成功させ、銀メダルをとった時。演技終了後の笑顔。

 

さらに私が、羽生選手や浅田選手をカッコイイと思うのは、どのような時でも、(本当は山ほど思うことがあるだろうに、)誰かに負け惜しみも、侮辱的な言葉も、嫌味も、そういうことを一切言わないところ。 (チクリチクリと言ってみるような選手は、結構いるにも関わらず。)

私は、そこに真の強さを見るし、心から尊敬します。 アスリートとしては、この上ない強さ。

 

この強さは、点数には反映されませんし、むしろマイナスになりやすいけど、総合的な、あるいは人間としての姿勢や美しさとして、観る側には伝わってくるんです。

表現や芸術的側面も、一応点数化されて、採点では評価されていることになっています。  

でも、フィギュアスケートを本当に芸術として観る時、その本当の価値は、観る人が感じる、”演技の存在価値そのもの”や、観る人にとっての、”選手の存在そのもの”に移っていきます。 

誰か一人でも、その心を震わせ、本当に動かした演技ならば、それはその「心を動かされた人」「観る者」にとって、最高に価値があるもの。

それは決して、他人に侵害できるものではないのです。

 

 ← 私は、ストレートに思いを伝えてくるような、こういう演技の出来る、羽生選手がものすごく好きです。(笑) エキシビションに点数はつかない!

以上、写真全て :  羽生選手の切手集 ツイッターページより →https://twitter.com/yuzustamp

 

 

自分が本当に、特別に大切に思うもの、素晴らしいと思うものを侮辱されて、嬉しい人は一人もいないと思います。  

全員が同じなどという世の中ほど、気持ち悪いものはない。

 

羽生ファンの人たちには、他選手のファンの人たちに、間違っても、同じような目に遭わすようなことをしないでほしい、決してしないでほしい、と私は思っています。 (自分の意見を冷静に伝えるのと、侮辱し罵倒するのは、違います。)

 

フィギュアスケートを見ていて一番思うのは、人間がどれほど多様で変化に富んだ存在なのかということ。

好みが、どれほど様々かということ。

地球上で、フィギュアスケートの選手としてトップにあがってこれる人なんて、ほんの一握りの、スケートが得意という共通性をもったはずの、特殊な人達です。

その中でも、こんなに多様だということ。 誰一人、同じ存在はいないのだという奇跡。

 

フィギュアスケートを見ていて、点数や順位や、時には自分の好みまでもを超えた、各選手の個性あふれる素晴らしい演技が続くと、時に、大自然の雄大で美しい、稀有な景色を見ているのと同じくらいの、壮大な感動に包まれることがあります。

その中でも、最も心に残る「特別な景色」を見つけた時と同じような喜びを感じられるのが、自分が好きな選手が、最高の演技をしてくれた時です。

それまであまり興味のなかった選手が、素晴らしい演技をしてくれて感動する時も、同じように素敵な瞬間です。

 

 

そういう感動の価値は、得点では到底測れないのです。

勝ち負けでも、測れない。

スポーツ性と同時に、他のスポーツにはなかなかない、そういう部分にも目を向けていくと、フィギュアスケートはきっと、見ていてすごく楽しいです。

 

 

今年は、どんな新しい景色をみることが出来るのか・・・

楽しみにしています。 

 

 

ところで、町田選手は、スケートアメリカで圧勝の優勝でした。 

結果については完全に予想通りで、私としては全然驚くことではなく、問題なく順調だったという印象です。

フリー終了後、ちょっと腰あたりが痛そうに見えたというか、珍しく力尽き果てていて・・・ 数年前の、羽生選手を思い出してしまいました。

つなぎがちょっとせわしなく見えたけど、余裕が出てきたらさらに激変するだろうし、昨年に引き続き、背水の陣を敷いたがごとくの全力投球ぶりは凄かったですね。

でも、お二方とも、どうぞお身体をお大事になさって下さい・・・!!そこだけは、本当に。

やっぱり最後は自分の身体の限界との戦いなんですね・・・。 

 

ソチ五輪銅メダリストだったデニス・テン選手は、あまり調子が良くなかったようですが、あれが完成に近づいたら相当良い、名プログラムになる予感がしました。

 

町田選手のショートは、ちょっと「エデンの東」に似たイメージがありました。初戦・・・じゃなくて町田選手には「初演」だそうですが、(言いたいことはわかります!)、今後さらにこれを詰めてくれることでしょう。

フリーは、音楽の使い方が、想像よりも良かったです。 出だしのタイミングも良かった。私の印象では、第九ってあの最も有名な合唱部分を使うと、盛り上がるようでいてそうではないことも多く、使い方は難しいだろうと思っていたのですが、そこは使われていなくて、歌が特に邪魔に感じられることもなく、かなり工夫されていたと思います。

動きが徹底してバレエ的でした。 「これぞ町田樹の世界」というのを目指すのでしょうから、演技中にたとえチラリとでも、羽生選手のことも、高橋選手(引退表明)のことも、誰のことも全くイメージできないような個性にまで、最後は到達してほしいと思います。

SPもFPも同じ振付師で、町田選手の目指すカラーそのものは、かなりハッキリしてきた印象です。

まだまだ最初だし、町田選手はもっとさらなる洗練や完成度、スケートととしての美しさをも目指せる方だと思うので、今後を楽しみにしています。

 

参考: スケートにバレエ要素を大胆に取り入れて有名になった、1994年リレハンメル五輪金メダリストの、オクサナ・バイウル選手。 リレハンメル五輪時のエキシビション「瀕死の白鳥」の動画。  衣装がバレリーナそのもの!→    https://www.youtube.com/watch?v=3bH0CAPzef8  

(当時、スケートにバレエ的な美しさが欠けているところが、少しだけ不満だった私は、これを見て感動して、すごく好きでした。でも一方で、スケートで滑っている時間が少ない、などという人もいました。 バレエの専門家から見れば、まだ甘いと思うかもしれません。 いつの誰のどんな演技でも、何を重視するか、好み、感性の違いなどで、本当に色んな意見が出てきます。 羽生選手はこの年に生まれていますけど、この五輪時はまだ生まれていません。)

町田選手は、こういうのの男性版の革新的な演技をしたいのかな、とも思いました。 私の考え過ぎでなければ・・・!(笑)

 

 

羽生ファンの私が、町田選手にも期待する理由・・・ 

町田選手の昨シーズンの演技がとても良かったのももちろんですが、それ以外にもあります。

その一つを、ちょっとだけ、ここに書いてみたいと思います。 

 

昨年末の全日本選手権、エキシビションの時に、選手たちの控室の様子がテレビに映りました。(覚えている方も多いかも?)

羽生選手がちょうど、「花になれ」を演じている真っ最中で、他の選手たちの集まっていたその控室のモニター画面に、羽生選手が映し出されていました。

(羽生選手はリンクで演技中だから、当然その場にはいないです。)

殆どの選手がホッとして和気あいあいとしながら、ふざけたりして会話している中で、唯一町田選手だけは、モニター画面上の羽生選手をじーっと真剣に見つめていました。

 

途中で、羽生選手の演技をネタにしだした他の選手たちに、町田選手は一応笑顔を向けつつも、

「彼(羽生選手のこと)、これ、本気だから・・・ 本気でやっている時に茶化すと、彼、本気で怒るから 」(←セリフ不正確です、記憶ではだいたいこんな感じだったかと。)と、柔らかく諌めるように、数回、言ってくれたのです。

そしてまた、モニター上の羽生選手の姿を、一人で真剣に、黙って見つめ続けました。

 

羽生ファンの私から見れば、羽生選手の「花になれ」が目の前で行われているのに、真剣に見ないというのは、「何があっても絶対にあり得ない!」ことなんです。高いお金を払っても観に行きたい。でも、諸事情でそれさえもかなわない羽生ファンが日本中に(世界中にも)沢山いるわけです。

 

選手たちは観客とは違うし、裏でリラックスしているのは普通のこと。 その時の他の選手たちを、どうこう言いたいのではないです。

しかし、特に「花になれ」を、本当に特別なプログラムだと思っている私には、あの町田選手の態度と言葉は、とてもとても嬉しかったし、

羽生選手のあの感性や思い、本気度を理解でき、大切にする気持ちがあり、このプログラムの凄さや良さを本当に一番解ってくれているのは、「町田選手なのだな」と、その時に私は思いました。

町田選手はきっと、自分が同じくらい真剣にやる大切な演技を、決して茶化されたくはないのだろう・・・ そうも思いました。

町田選手も、本気で全力だからこそ。

 

じっと見つめる町田選手の姿は、同時に、「いつかこのプログラムを超えるほどの演技を自分もしたい」と強く思い、実現を決意しながら見ているかのようにも見え、その態度を見ていて、

次に、頭角を現してくるのは、間違いなく町田選手だ」と、私は確信しました。

だって、羽生選手のあの真剣さ、あの良さを本当に理解して尊重するような選手が、素晴らしい演技をできないはずがありませんから・・・! と、羽生ファンの私としては、どうしても、そう思うわけです。(笑)

 

 

今、羽生選手の切手集のフェイスブックページで、羽生選手本人の過去の各演技に対するコメントが公開されていますが、そこに書かれた「花になれ」への羽生選手のコメントは、次のようなものでした。


「僕の親友である、指田郁也さんとのコラボレーションのプログラムです。この曲で郁也さんに出会えました。

生きていく勇気をもらいました。いつも皆さんにも届けられるように滑っています。

 

 

 

・・・そう、そうなんですよ! 誰よりもまず、羽生選手自身が、生きていく勇気をもらった歌なのだとハッキリわかる、そういう演技なのです、これは!!

それをまた、みんなに、真剣に届けてくれようとしているんです、この演技の時の羽生選手は!! 

だからこそ、特別なんです。

で、ファンには確かに届いているのです・・・ 届きすぎるほど!! (笑)

あの演技には、羽生選手の ”命の輝き” ”心からの喜び” が強く見られるんです。

 

私は、2012年に羽生選手がこれを演じるのを見て、感動で涙がこぼれると同時に、心の底から安心しました。

・・・こんな演技が出来る羽生選手は、何があっても大丈夫だ、と。   羽生選手の試練や苦しみは、この演技に最高の形で昇華されていました。

男子選手では、見たことのないほどの希望に満ちた、優しく暖かい、美しい演技。

それを見て、どれほど多くの人が、どれほど深く慰められ、どれほど沢山の勇気を、同時にもらえることか。

 

そういうことを、わかっているであろう、町田選手が・・・

この演技を、そして羽生選手の気持ちを、そのように尊重してくれる町田選手が、羽生選手のライバル1番手に躍り出てくることは、私には必然だと思えるし、とても嬉しいことです。

 

報道によれば、町田選手はこの昨年の全日本選手権の始まる時に実は精神的にボロボロだったそうで、その時にテレビで観た、被災地の人たちが歌う「第九」に、感銘を受けたそうです。

その結果、昨年の全日本では羽生選手に次いで2位につけて、ソチ五輪への切符を確実にしたわけですが。

今年は、なんとかこれをやれるほどの自信もついた・・・ それで、今回これを持ってきた、と。 

そうだったんだ、なるほど・・・と思いました。

あの時の町田選手は、最も、あの「花になれ」を演じている羽生選手の気持ちを理解できる状態にあったのかもしれません。

町田選手の「第九」への思いも、特別なものがあるようです。

 

 

いつも、どんな小さな大会でも、軽んじずに大切に演技し全力を尽くしてきた羽生選手はその典型でしたけれども、町田選手もそう。

一つ一つに真摯に向き合う姿。

感謝して、忘れない姿。

「小事に忠実な者は大事にも忠実である」。 真実な言葉だと思います。

私は、羽生選手のそういうところを、少しでも見習おうと思うようになってから、小さなことの一つ一つが、なぜかすごく楽しくなりました。

 

 

演技後の町田選手のインタビューは、なかなか良かったです。

 http://mainichi.jp/sponichi/news/20141027spn00m050009000c.html

「ボールを投げることが出来た。羽生選手らが、どう打ち返し、僕に投げ返してくるのか。

勝負を受けてやる、という強い気持ちがある。」 (一応、穏やかな口調で。) だそうです。

 

それに対して、町田選手のお母様が、「場外ホームラン打たれるのでは」と、息子さんの発言を心配されたとか。(笑)

http://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/p-sp-tp0-141029-0005.html

麗しき親子愛ですね。 確かに、羽生選手は場外ホームランを打てると思います。 でも、羽生選手に打たれたら町田選手もホームランを打てばいいのよ、羽生選手とは違う方向へ向けて。(笑) 

ホームランがガンガン飛んできたら、観客は喜ぶだけですから。(笑)

 

町田選手のキス&クライの時の顔、「挑戦的すぎる」(笑)ようにも見えていましたが、実は疲れすぎて吐きそうだったんだとか…

そこまで頑張ったというのも、凄いですね。

 

素晴らしいラリー(ボールのやりとり)になることを願うと同時に、

私としては、お二人ともが、”最良の体調”で臨めることを強く願っています。 

 

次にこの投げられたボールを受け取めるのは、日本人だと、小塚選手と、無良選手ですね!(今週末、お二人の登場ですね。)

昨シーズン不調や体調不良で苦しんだこのお二人にも、今シーズンは期待しています!!

 

かつてのヤグディン選手とプルシェンコ選手は、闘争心&ライバル心がむき出しで、リンク外ではすごく険悪なピリピリムードでしたけど、

今の羽生選手と町田選手は、それとはまた全然違っていて、ライバル心は互いにありつつも、でも決して礼を失せず、尊重して称えあおうとする関係でいられる、その強さが、素晴らしいです。 

 

私の親友の一人は、今回の町田選手の演技と、そこで見られた本気度を見て、もの凄ーく感動したそうです。 

 

一方、私はといえば、町田選手が凄い演技をしてくればしてくるほど、逆に自分がどれだけ羽生選手の演技を、本当に好きなのか・・・ 

それをさらに自覚することにもなってしまい、ちょっと困っています。(笑) 

どうしてくれるんですか~、羽生選手の演技が恋しくなっちゃったじゃないですか!(笑) ( ま、羽生ファンだから許してね。)

 

 

最近出されてくるニュースでの羽生選手の映像は、全部数か月以上前のものばかり。

 

 

羽生選手の最善を祈りつつ、じっと、時を待ち続けたいと思います。

 

羽生選手!! 焦らず着実に、回復させて下さい!!

 

どうか、後悔のないシーズンが送れますように。

何があっても、応援していきます!!

 

輝く笑顔が見られる日が来るのを、楽しみにしています♪

 

すっかり見慣れました(笑)

 


羽生結弦選手の表現力と、ルノワールの絵画に見られる共通性

2014-09-18 | 羽生選手の素晴らしさ

 技術力で現在トップの羽生選手ですが、今回は羽生選手の「芸術性」「表現面」に見られる特徴の一つについて、私が思っていることを書きたいと思います。

 

私が、以前から感じてきた羽生選手の魅力の一つに、

表面は完全に透き通った美しい氷に覆われていながら、中で激しく燃え盛る炎がクッキリと見えている」・・・

ようなところ、がありました。

 

 

実に不思議なのですが、しっかりと氷と炎が共存していて、他では決して見られないような美しさと、興味深いという意味での面白さがある。

思わず、「これ、どうなってるの?!」と目を奪われてしまい、そのまま目を離せなくなるのです。(笑)

本来なら氷とは同居しえないような「超高温度の青い炎」(←赤を通り越して青になるほどの高温)が、

ドゴゴゴゴゴ…!!と、氷の内側で、その燃え盛る姿を惜しげもなくさらしながら、轟音を立てて燃え続けている・・・

それなのに、表面の氷は透き通ったまま、決して融けないという不思議・・・ そんな演技をしてくれたことも度々ありました。(笑)

羽生選手の最初の本、「蒼い炎」のタイトルをつけた方は、本当にピッタリなタイトルをつけられたと思います。

理性と豊かな感性の見事なバランス、冷静さと激情との不思議な共存、は羽生選手の演技の特徴でもあり、最大の魅力です。

 

しかし最近は、そういう演技とは違って、氷も炎も見えない代わりに 

花か鳥のように可憐に軽やかに、同時に力強く舞い、それでいて内側から周囲全体を照らすほどの強い光を放っているかのような演技  を見せてくれることも、増えてきたように思います。

 

典型的なのは、「花になれ」や「花は咲く」で魅せてくれるような演技です。

 NHKのHPより

この印象はかなり強烈なもので、単に「魅了」とか、「魅せる」演技であることとも少し違う、独特の個性か、稀有な才能の一つのように私には思えます。

 

この点は、絵画で例えると、印象派の代表とも言われる、ルノワールの絵画に近いというか。

ルノワールの最も有名な絵画群(作品群)が、明らかに他の画家たちの作品と比べても「光」の強さが強く、数多く展示されている絵画の中でも、その明るさだけで遠くから見てもパッと目立つように・・・ 羽生選手も、他選手たちと同じリンクで滑っていると、明らかに内側から放っている「光」とでも呼ぶべきものが、それも「桁違いに」強いように私は思っています。

この「光」とでも呼ぶべきものは、映像を通してみた時よりも生で見た時のほうがより強力であり、これは、有名な他選手たちや他のベテラン・プロスケーターたちとも全然違う、羽生選手が、特に際立っている点のように私には思えます。

そこにいるべくしている・・・  羽生選手は「自分は、ここにいるべくしている」と、リンクの上で演技している時、そう信じていて疑わない・・・  そんな風に見えるのです。

 

ルノワールの絵画も、複製や写真等でももちろん光が印象的ですが、それよりも、はるかに実物のほうがその「光」、明るさ、迫力が強く感じられ、他の画家たちの絵画と比べると、よりその明るさは際立って特徴的で、言葉にしがたいほどの強い印象を残します。

 

私は、特別にルノワールのファンだったわけではありません。

でも、世界三大美術館などと称される場所で、沢山の素晴らしい絵画を見て歩いていた時に、ルノワールの有名な複数の絵画に目が止まり、そこから溢れ出るような光の多さ、明るさを見ていた時に、「あ!」と・・・ 羽生選手の演技を見たときの印象と重なるものがあってピンと来たのです。

それまで、考えてもみなかった、「羽生選手の演技とルノワールの絵画の共通性」・・・

 

個人的な感想ですので、中には、「は?」という方や、「いやいや、他の画家の方が…」という方もいらっしゃるかもしれませんが。(笑)

 

「光の強さ」だけでなく、そこに見られる独特の柔らかさ、観る者を包み込むような優しさ・・・あるいは、観る者を巻き込んでそのまま連れ去っていくかというほどの包容力と勢いのようなものが、羽生選手の最近の演技にも、そして、ルノワールの「有名な」絵画にも強く見られるところも、似ているように思いました。

 

羽生選手から感じ取れる、この「光」の強さを、オーラだの、カリスマ性だのという言葉で片付けてしまってよいのかは、私にはわかりません。 

それらは、人によって感じたり感じなかったりすることも多いので、私はあまり使わないようにしてきたつもりです。

 

でも、元祖絶対王者・プルシェンコ選手は、羽生選手のことを、「カリスマ性があり、それは誰にも奪えないものだ」などと表現していて、まだ羽生選手が今ほどの実績を出していない頃から、その際立った才能を特別視していたように思います。

プルシェンコ選手は、ヤグディン選手の引退以来、今まで誰も事実上自分のライバルになり得るなどとは考えてこなかったように見えますし(過去の発言からも)、2番手以下の選手にも、全くといって良いほど、脅威を感じてはいなかったように見えていました。

しかし、羽生選手に対してだけは、違いました。 むしろ自分を超えて欲しいというような、すごい期待をかけていました。

その大きな要因の一つは―――羽生選手が明確に自分に憧れていたことや、技術面で突出している才能を評価しているのはもちろんなのですが、むしろプルシェンコ選手が表現するところの、「カリスマ性」にあるのではないかと、私には思えます。

 

私が見ていて感じるのは、この「光」とも呼ぶべきものは、羽生選手が以前から度々口にしてきた、「たとえ骨が折れても~」とか、「魂を削って滑る」「命を削るような思いで滑る」とか、「魂を削る覚悟で~」 などという、一見すると非常に激しい言葉で表現されてきた、並々ならぬ覚悟や情熱に起因する、精神面と、深くリンクしているのではないかと・・・。

このような思いを抱きながら滑っていた選手が過去にいたかどうか・・・ 当てはまった選手がいたかと問われれば、やはり真っ先に思い浮かぶのは、プルシェンコ選手だろうと、私は思うのです。

 

これらは、言葉を変えれば、「自分は、スケートに自分の人生を捧げる!」とか、「どんなリスクを負おうとも、自分はこれで決して後悔しない」 あるいは、 「スケートのために、自分の命を燃やし尽くす覚悟がある」 と言っているようなもの。

自分の命を使う目的 ・・・ すなわち、自分の「使命」は、スケートにこそある、と、宣言している言葉だと、私は思っています。

しかも、決して「悲痛な思いで仕方なくそうしている」のではなくて、むしろ大きな喜びをもって、自ら進んで宣言しているように私には見えます。

だから、周りがどんなに何を言っても・・・ 恐らくはそのリスクを、世界中の誰よりもよくわかっているはずのお二人ですから、その内から溢れ出てくるほどの意欲と情熱が、そうさせるのだろうな、と・・・私には、そのように見えます。 

 プルシェンコ選手にも、羽生選手にも、「命を削って欲しい」「文字通り骨折してまで滑って欲しい」なんて、過去に誰も、そんなことを頼んだ人はいないと思います。むしろ、ファンであればあるほど、逆の心配をしてきた人は大勢いたと思いますけれども・・・。

 

羽生選手は、氷の上に立った時、あるいは演技する時に透けて見え、伝わってくる、「溢れ出るような喜びの強さ」が、他の人とはかなり違うのではないかと、思える時がよくあります。この点は最近に限らず、何年も前からです。

特に羽生選手の顔が「ニコニコ」していなかったとしても、羽生選手の演技からは、すごい気迫と、積極的な意志、喜びを感じ取れます。

ルノワールの(人気のある)絵画はほぼ、「心の底から喜びに溢れて描かなければ、こんな明るい光に満ちた絵は到底描けない!」と私は強く感じるのですが、羽生選手の演技にも、似たようなものをよく感じてきました。

感じ取れる「希望の強さ」、あるいは、そこに込められた「思いの強さ」、「魂から放たれるエネルギー」 とも言いかえられるのかもしれませんが…。

 

ルノワールは”影”をかなり大胆にしっかりと描いており、それが作品の光の強さと明るさをより際立たせています。

近くで細かいところまでじっくり見てみると、グレー(灰色)が驚くほど目立ち、それが鮮やかな白を浮き立たせています。

羽生選手も、本人が望んだわけではなくとも、様々な困難や悲しみを経ながら、今がある・・・

その分、演技に表出されてくる「喜びの強さ」「輝き」が強いのかもしれません。

 

それがまた、観る側に不思議な希望を与えてくれます。

 

ソチ五輪で金メダル獲得直後のインタビューの時の深刻な表情等、本当に真剣に悩んでいた羽生選手には申し訳ないのですが、その真摯な姿もまた、(この人はやはり、本物だ…!)と逆に思わせてくれるような、すごく強烈な印象を世間に残しているように思います。 

 

逆に、表彰式や、ショーでの終了後の挨拶等でリンク上に他スケーターたちと共に登場する時の羽生選手は、演技で登場する時と全然違って、私から見ると、本当に「普通の少年(青年)」のように見えます。

「あれあれ?羽生選手は、どこ?」と思って必死で探したら、真ん中で普通にニコニコしていたりするのですけど。(笑)

 

そういう時、他の選手やスケーターたちのほうが、よほど目立っていて、うんと華やかに見えることもしばしばです。

そのギャップに、思わず驚きます。

私が、「羽生選手が好きだから光っているように見えるだけ」―――なわけでは決してない、というのが、これで確かめられます。

 

羽生選手が、演技にすべてをかけているのが解る点でもあります。

 

場所と状況、やるべきことをわきまえた、その切り替えの凄さ、見事さ、真剣さは、羽生選手の突出した才能かもしれません。

「T.P.O.をわきまえる」という言葉がありますが、(Time,Place,Occasion,時と場所と機会をわきまえる、の意味です)

羽生選手はいつもそれが本当に徹底していて凄い。 本当に尊敬します!

 

 

また、羽生選手の全ての演技において、際立っていると感じる一つに、この「躍動感」「立体感」があります。

実際にジャンプの高さや飛距離が凄く、本当に動いて使っている空間がかなり大きいから「立体的」になっている、のは間違いないと思いますが、それだけでなく、リズム感がよく踊りが上手いことや、気持ちの持ち方の影響もあってか、「躍動感」があり、たとえその場で静止している時であっても、一つ一つの動作が、クッキリと浮き立って見え、動きの一つ一つが印象に残るのです。

特に、集団で群舞を踊っている時、羽生選手はすぐに解ります。

 

「動きが極めて美しい」「踊りが非常に上手い」「表現力がとてもある」等だけに注目するなら、男子はもちろん、女子までも含めれば他にもそういう点で優れている選手は複数いらっしゃると思います。

だけど、羽生選手ほど演技に「躍動感」と「立体感」があり、強い光を放っていて、さらにその演技に、言葉にし難いド迫力のある選手を見つけるのは、なかなか難しいように思います。

 

 

私はずっと、羽生選手からは技術的な凄さや完璧さなどだけではない、遥かに異なる次元の「魂に訴える何か」を演技から強く感じてきたので、羽生選手の演技を見ながら、いつも「人を本当に感動させ、心を揺さぶらせているものは一体何なのか」を考えさせられてきたように思います。

 

今の採点法は、演技をかなり細分化して点数化して積み重ねる方式をとっていますが、それによって逆に総合的な芸術性が失われたり、あるいは「没・個性」になっていく危険性を併せ持っているように、私には時々思えます。

旧・採点法は、本人が得意なものを中心に披露することが可能だったからなのか、あるいは今ほど細かすぎる細分化判定がなかったので各選手が大胆に演技できたからなのか、各選手ごとの個性が出しやすかったようにも思えるのです。 

(この辺のことは、ちょうど過渡期を過ごされた荒川静香さんの過去のインタビューが、選手目線からの意見としても色々参考になるかと思います。)

 

一方で、今の採点法には、一つ一つの要素が極めて「見た目に」美しくなる、という素晴らしい長所があります。

しかし、今年のソチ五輪での、女子シングルを見ていて感じたのですが、トップ層ではなくて、特に中間層の選手たちの演技に似たような演技がいくつも続いた印象がありました。

みんなキレイで素敵でレベルアップしているとは思うのですが、同じような演技が多くて、個性があまり見えず、記憶に残りにくくなっているのです。だからこそより一層、その人の個性や良さが問われてくるように思います。

 

しかし、そういった採点法の中でも、技術でも頭角を現してきただけでなく、ひときわ、『 印象的な 』演技をして、観客を魅了してきた羽生選手。

 

本当に「印象的な」・・・という言葉がぴったりの演技だと、私はいつも思います。

 

ここでも、ルノワールが「印象派」と呼ばれる画家の代表的な一人であることとも、何か共通しています。

 

要求される細かな要素を一つ一つクリアして対応してきた羽生選手は凄いのですが、

もっと凄かったと思うのは、そんな細かい点をも吹っ飛ばすほどの、総合的な威力をもつ、人間にしかできないような、内側から溢れる「魂に訴えかける」、「表現」としての情熱を顕著に見せてきてくれたところです。

 

恐らく、どんなに機械が正確で精密に技術を「判定」できるような日が来ても、決して「人間には代えられない」と思える部分は、この、まさに「魂と魂」「心と心」でやりとりされ、伝達されていく部分・・・ 

一番、人の胸を打っているはやはり、こういった部分なのだろうな、と思います。

 

それを、フィギュアスケートという分野で、顕著に示してくれてきたのが、羽生選手だと、私は思っています。

 

私は羽生選手に感謝したい点はたくさんたくさんあるのですが、特にこの「人を本当に感動させているモノは何なのか」について、

演技を見ているだけで絶えず考えさせられてきたこと、そして、

特には、観ているだけで楽しくなったり、深い感動のある幸せな演技を沢山披露してきてくれたのは、

羽生選手に最も感謝したいことの一つです!!

 

羽生選手は、まさに、「まるで魂を削るかのようにして」「全身全霊で表現するスケーター」という言葉が、ピッタリきます。

 

でも、決して、「魂が磨り減っている」ようには見えません。 

削って放出すればするほど、ますます天から補充されて、よりパワフルになっている・・・ようにさえ、見えます。

 

今シーズンの羽生選手・・・ 今までの「炎が透けて見える氷」型と、「強い光を放つ優雅な花」型が、合わさってくるかもしれません。

 

今後も、羽生選手の演技が、ますます素晴らしいものとなっていくことをお祈りしております!

 

 

 

 


羽生選手の自己分析、ソチ五輪「ロミオ」の長所と広東語解説

2014-05-30 | 羽生選手の素晴らしさ

Number という雑誌で答えているインタビューでの、現時点での羽生選手のシーズンを通した詳細な自己分析に、注目してみました。

http://number.bunshun.jp/articles/-/816469 ← こちらから引用させてもらっています。

以下、羽生選手の言葉の部分だけを抜粋しました。(下線は私が勝手に引きました。)

 

「 先に言っておきますが、五輪で金を獲ったからといって、僕の気持ちが変わる事はありません。五輪は、今の僕にとって単に2つ前の試合で優勝したなあというだけです。今年は今年。来年になれば、違う場所で、違う演技を、違うお客さんの前でするだけです。

 3冠についても同じです。達成したから次に目指すものが無くなる訳ではありません。記録はあくまでも記録。僕は記録を残すより、自分自身が成長したいんです。現役を続けるということは、僕が競技者であり続けたいと思っているということ。そして競技者であるからには、もっと強くなって試合で戦いたいということです。 

 パトリックとの3戦は、僕のスケート人生において濃縮された時間でした。もっと精神面で強くなろうと考え抜いて、色々なメンタルの本を読み、理論を学びました。それを自分の心に当てはめて、自分なりの気持ちの持って行き方を探し、試合をやり、また探す、というのを繰り返しました。自分の心を脳で理解することで、心を理論でコントロール出来るようにしたんです。

 '13年10月のスケートカナダではパトリックに勝ちたいと思いすぎて、かえってミスをしました。そこから「自分に集中する」という理論を取り入れ、11月のフランス杯のショートでは、自分の演技ができた。でもフリーはまたパトリックが気になってダメ。さらに自分の心の奥、脳の奥まで落ち着かせてみたのがグランプリファイナルでした。結果、この試合は自分のベストに近い綺麗な動きができたと思います。

 パトリックから何かを学ぶのではなく、パトリックを前に自分がどうなるか、ということを追求した期間でした。

 ソチ五輪のあと、3月の世界選手権が終わってから気づいたのは、理論だけじゃダメだったということ。

 五輪のとき、理論と自分の気持ちの間には、誤差があった。自分としては、「そもそも理論に則らなきゃいけないのか」というストレスがあり、その誤差のために五輪では自分に負けました。五輪という大舞台に行った時に、理論で押さえ込んでいたけれど自分の心の奥底には弱い所があって、その自分に負けたんです。理論だけに頼ったがために、“ライバルへの感情を抑える”という本心とは違う気持ちを作っていたんです。

 五輪のあと、自分の戦い方はこんなんじゃない、って悩みました。そして、“ライバルへの気持ちを抑える平常心”と“勝ちたい気持ち”の誤差。それが五輪のフリーでミスをした理由だったのだろうなと、今のところ分析しています。グランプリファイナルまでは理論だけで通用したけど、本を読んで自分にあてはめて試合に臨んだのは、付け焼き刃だった。やはり理論って統計ですから、多くの場合あてはまっても、偏りがあるんですね。

 (世界選手権の)ショートのミスについては、ちょっとした過信とか気の緩みがあったと思います。今季、練習でもショートはミスなく来ていたので。五輪王者だからといって過信しないと頭では考えてましたが、心とほんのちょっと誤差があったのだろうと。

 フリーは、とにかく「勝ちたい」しか頭にありませんでした。そして自分に対する怒り。追いかける立場になって、久しぶりにアドレナリンを出し切れたと思います。あれくらい自分の中でフツフツと燃え上がる感じは楽しいですね。」

 

まだ続きがあるようですが、続きは、雑誌「Number」852号、もしくはNumberモバイルでお読みください。 だそうです。(笑)↓ 

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 5/15号 [雑誌]
 
文藝春秋

 

・・・で、私、続きも読みました。

最後まで読むと、上の文章の終わり方で受ける印象とは、少し印象が変わります。 

上の部分は、なんか攻撃的なイメージの終わり方で切れていますけど、最後まで読むとやはり羽生選手は終始冷静で、面白かったです。

 

細かく語ってくれるのが、本当に羽生選手らしい。(笑)ありがとうございます。

 

下線を引いた、グランプリファイナルは、私にも一番強く印象に残っている試合で、「これぞ羽生結弦!これが羽生結弦!」と呼べるほどの会心の演技でした。「脳の奥まで落ち着かせてみた」結果だったとは…それは凄い。(笑)

いい意味でリラックス出来ているのか、柔軟度抜群で、これと比べたら全日本選手権やソチ五輪の羽生選手は、ノーミスで本当に凄かったけど、緊張して少し硬くなっているのが、見ていてよくわかりました。

ソチ五輪では、驚異のスコアを出したにも関わらず、「自分のベストにはまだ程遠い」発言をしたせいで、マスコミの方々が猛烈に驚いていましたけど、グランプリファイナルを見ていた羽生ファンの方々にはすぐに羽生選手の言う「ベスト」がどんなのを指しているのか、わかったのではないかと思います。

あの羽生選手は完全に、「無欲無心」になれている印象で、いい意味で「他選手たちなんか目じゃない」状態でしたから、本当の意味での「無敵」だったんだと思います。

(↓ この羽生選手ですね。 非常にいい表情!この表紙、素晴らしいです。)

ワールド・フィギュアスケート 62
 2013グランプリファイナル号
新書館

 

だから、私がソチ五輪で羽生選手に期待していたのは、(4回転サルコー成功ももちろんですが)、この上で、さらに「ロミオっぽい表現力」を見せてくれること!でした。

 

羽生選手は、ソチ五輪のフリー演技は、「自分に負けた」と言っているんですけれども、(ご本人的にはそうなんでしょうけれども、)

私は、今ではちょっと違った見方をしています。

 

確かにジャンプは失敗したし、技術面では羽生選手のベストには程遠かったのかもしれないのですが、表現面の、ロミオらしさという点においては、「シーズン中でベストだった」と思っています。

 

世界選手権後のインタビューで、羽生選手がウィルソンさんのこのプログラムの振り付けが難しかったと言っていました。私が思ったのは、それは多分、羽生選手の本当の姿が、激情に溺れていくタイプのロミオとは、遠いタイプだからじゃないのかなと。

(そもそも、日本人の10代男性で、原作ロミオに心底共感できるような人は、かなり「稀」かと思います ・・・イタリア人ならともかく。(笑) )

 

本当のロミオって、「心を理論でなんかコントロールできなかったからこそ」、ああいう展開になっていくので・・・。

 

羽生選手は、最初のジャンプ群で2度の失敗が出たからこそ、動揺して頭真っ白になって、「完全に途中から記憶がない」状態(羽生選手談)になったんだろうと思うんですが・・・

そのおかげか、見ている側からすると、羽生選手が、本当にロミオになっちゃった!のが、あの演技だったかと。 

ロミオの「切なさ」は、シーズン中の全演技の中では、ピカイチに出ています。「自分に負けて」、ロミオになって、試合で勝った、印象。

 

ロミオは、劇的な恋に落ちて結婚直後に、いきなりその死に直面させられるわけですから、人間として体験し得る動揺の中でも、究極の動揺です。 最高の期待を目の前にして、突然、奈落の底に落とされる・・・・そういうロミオの心境は、あの時の羽生選手が、「不覚にも」(笑)一番近づけたのかな、と。

もちろん、感情的な動揺からくる弱弱しさというのは、スケーティング技術では、ひたすらマイナス要素になると思いますが、そういう状況がオリンピックで起こりうることも見越して、それを表現面でプラスに転じさせる可能性をも考慮したうえでの、コーチ陣のあのプログラム戦略だったのではないかと最初から思っていたんですけど・・・ 違うのでしょうか?(笑)

 

もう、ハッとするほど美しい、苦しそうで本当に切ない、素晴らしい”ロミオな表情”や”ロミオな瞬間”が、あの演技にはいくつもありました。音楽が変わる中盤と、特にラストのほう、イナバウアー後が素晴らしい!! 

羽生選手の記憶がなかったとしても、見ている側の記憶にはきちんと残っています。

 

「ロミオが(墓で横たわる)ジュリエットに頬ずりした」ように見える瞬間、「ロミオが泣いている」ように見える瞬間、「ナイフで自分を刺そうとしたか」のように見える瞬間、「絶望的に頭を抱えて悲嘆している」ように見える瞬間、「ロミオが、天を仰いで叫んだ」ように見える瞬間・・・

それまでは、ジュリエットを切なく追い求め、嘆き悲しんでいるという”イメージ”以外には、具体的に何の場面かまではあまりわからなかったのですが、あの「ソチ五輪」の時だけは、それが何の場面か、見ているだけで次々にひらめくように、イメージできていったんです!

つまり、そういう演技になっていたということです。

(もちろん、それが振付師ウィルソンさんの本来の意図と合っていたのかどうかは、私は知りませんけど。)

 

一番最後のスピン、私はなぜか、当初からずっとあれだけが気に入りませんでした。理由は解らなかったけど、嫌だった。羽生選手のスピン、すごく好きなはずなのに。

でもあの日、あれが「ロミオが、ジュリエットを強く追い求めて毒を一気に飲み干し、息が止まって倒れこんだ瞬間を表したもの」だったのかと・・・ ソチのあの日に、初めて明確にそうイメージできて、思わず涙が出そうになりました。

ソチ五輪の時には、羽生選手がそれまでと違って、「本当に苦しそうな表情で」、片手を喉下に、もう片手を天に差し出しながらもがき苦しむかのように回転して見えました。(それは羽生選手の言葉から、実際に苦しかったのだと判明したので、間違いなかったわけですが。)

その姿が、ジュリエットを思いながら、毒を飲み干して息を引き取るロミオの姿と初めて重なって見えたし、あの、一気に「がくんと」倒れ込んで決めたフィニッシュポーズこそが、ロミオの呼吸が永遠に止まった象徴だったのだと思ったら・・・  

まさに息を呑む、息が詰まるようなラスト! ロミオとジュリエットのシーンそのもの!  

私は、前半はともかく、中盤から後半は追い詰められた羽生選手が、五輪の場で死力を尽くした迫真の演技だったんだと思っていました。 

 

ところが、後の番組やインタビュー記事で、羽生選手が、「ソチ五輪では、途中から意識が完全になくなっていて、記憶がない。最後、あのスピンの場面で呼吸が苦しくなって、そこでやっと、意識が戻った(我に帰った、だったかな?)」という内容の発言をされていたのを見て、本当に驚きました。

あの苦しむポーズが、演技じゃなくて、羽生選手が”本当に息ができずに”苦しんでいた瞬間だったとは!

しかも、羽生選手が「意識がない」と証言した間がまさに、私には「本当のロミオになったかのよう」に見えていたわけですから。

 

つまり、羽生選手はあの間、自分の意識によらずに、「ロミオにさせられていた」、と。 それもオリンピックという大舞台で。

前半で2度のジャンプの失敗がなかったら、決してああはならなかったのだろうから、あのロミオは見られなかったことになります。

あの時、多分、世界中で見ていた羽生ファンの大半は、一斉に必死に祈っただろうと思うんです。

もしかしたら、金メダルがかかっていたから、普段は羽生ファンじゃない日本人でも、思わず祈った人たちは多かったかも。

特に、東北地方で、羽生選手に希望と期待をかけていた人は格別に多かっただろうから、羽生選手はあの時、東北からも相当大勢に祈られたのではないでしょうか。

 

その瞬間から、羽生選手の意識がなくなって、結果、一番ロミオらしくなったのなら・・・ これって、一種の奇跡の演技ですよね?

あの時しかできなかった、唯一のロミオ。

 

金メダルの行方についても、あの時の「ジュリエット=金メダル」は、羽生ロミオの目の前で、悲しくもその手からすり抜けていってしまったかに見えて、実は原作と同じく、やはり一時的な「仮死状態」だっただけで、なんとあのあと、チャン選手の演技が終わったところで、突然、信じられない形で息を吹き返してきました。

この展開も、「ロミオとジュリエット」の話と同様に、誰もが驚く予測不能な展開だったので、見ていて、なんか怖いくらいでした。 

 

「実は意識がなかった」というインタビューを読んだ後に、唸りながら改めて感じました。 羽生選手は、やっぱり金メダリストになるべくして生まれてきたのかもしれない・・・って。

あの時は本当にロミオになるような「見えない力」が働いたのではないかと・・・。神様に、ロミオにさせられた、とでも言うべきか。

もちろん、稀有な才能があり、その上に不断の努力が積み重ねられていたことが、大前提です。その上でさらにそういうことが起こり、だからこそ出来た演技だったのではないかと・・・。

 

あの男子シングルフリーの試合は、羽生選手以外も、ほぼ全員が失敗続きになってしまった試合でしたから、明らかに選手達のメンタル以外の要因があったんじゃないかな、と私は思っていますし、多くの人が思っているでしょう。

前日からのスケジュールの強行さによる睡眠不足とか、氷の状況とか、色々言われていますが、団体戦の影響も絶対にあっただろうし、他にも色々。 男子シングルの選手たち、よく頑張ったと思います。

 

何が言いたいのかと言うと・・・ ソチ五輪の演技も、表現面やドラマティックさでは、凄かったよ、ということです。(笑)

だからこそ、あの切ないロミオ演技を見て、世界中に突如、ファンが急増したんじゃないでしょうか。ショートの影響だけじゃないと思います。あの後半の切ないロミオは非常に貴重です。

 

私のこの意見に同意してくれそうなのが、ソチ五輪の「広東語の解説者たち」です。↓ (広東語は 香港・マカオ・中国広東省 等が主)

 

ソチ五輪後、中国を始めアジア各地で羽生人気が爆発しているとの報道がありましたが、これを見ると、その理由も納得です。

震災を含めたこれまでの困難な道のりをきちんと説明し、演技中は冷静かつ丁寧に解説してくれているのに、終わった途端に皆でため息をつき、「うわ~、うっとりしました!」 、 その後、(動画主様の翻訳によれば、) 男性解説者が、

「表現者として、舞者として、アスリートとして氷上で演技していて、見る者を息詰まらせ、心拍数も上がり、息を呑み、目頭を熱くさせる何かがあります。」

とまで言っています。(その後も興奮した解説が続きます。)

なんと的を射た言葉! もし横にいたら、この解説者たちと握手したいくらいです。(笑)  興味のある方は、ご確認下さい。↓ 

 

ニコニコ動画・ ソチ五輪「ロミオとジュリエット」 (広東語解説 翻訳つき)   (動画主様、拝借します。翻訳どうもありがとうございます。)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm22967700

 

 

ついでに言うと、ソチ五輪における、私から見た羽生選手の「ベストな瞬間」は、実は、フリーの演技を終えた直後の羽生選手でした。

下を向いたまま羽生選手がしばらく動かなくって、それを世界中の人が多分”息を呑んで”見守っていたあの直後、きっぱりと覚悟を決めたかのように・・・あるいは、ある種の無念を抱えつつも、「それでも自分は全てをやりきった」というように顔を上げた瞬間の、あの羽生選手の、潔く(いさぎよく)て清清しい(すがすがしい)までの顔を見たときです!!

あれに、私は一番感動しました・・・ 

本当に全力を尽くしてきた人にしか出来ない顔。 ファンとしては、あの表情を見て、ものすごく救われました。  

アスリートとしての羽生選手の真の強さを見せられた気がしたし、たとえ結果がどうであろうと、「この選手を応援してきて本当に良かった」と、心からそう思えた瞬間でした。

それに、あー、羽生選手が生きてて良かった~って。(笑)  そこだけは、ロミオと一緒では困りますから。(笑)

 

自分の意思とは違った形であっても、羽生選手は「人間らしさ」をも見せつつ(笑)、「さすがオリンピック」な、大ドラマを見せてくれました。

オリンピックの試合の醍醐味は、結果だけじゃなくて、そこで見られる「選手の態度」や、闘い方、繰り広げられる予測不能なドラマにもあるのですから。

解説者たちは技術的な詳細を語らなければならないので、否定的な言葉が出ますけど、プログラムを作品として見るなら、私にはやっと「ロミオ」を見られたという満足感がありました。(笑) 心臓には悪すぎましたが。(笑)

 

羽生選手のソチ五輪ロミオが、たとえ一部の人たちの間だけであっても、その記憶の中にずっと「ロミオ」として残るのなら、長い目で見ると、きっとすごく幸せなことです。

 

「自分の力で抗いきれない不条理な波に呑まれ、我を忘れながらも、必死に死闘を繰り広げようとする、切実な姿」ーーー

そこに垣間見える美しさーーー それこそが、ソチ五輪で見せてくれた「ロミオ」の姿です。 

 

でも、それこそが、被災地の被災者を含む、世界中で見ていた多くの人を、かえって勇気付けたのではないでしょうか。

ショートもフリーも、文句なしのパーフェクト演技だったら、「あいつ(彼)は天才で特別だから。俺(私)とは違う。」で、単に別世界の天才を見て驚嘆するだけの視点で終わってしまった部分もあったかもしれません。

 

それに、原作ロミオはパーフェクトとは程遠い人物設定です。 

人は皆、パーフェクトじゃないからこそ、助け合う尊さが生まれる、とも言います。 弱さがあるからこそ感謝できるし、愛が見えてくる。

 

「パーフェクトなスケート技術」で「圧勝」した人が「金メダル」じゃないと納得しない人たちは、不満でしょうけれども、羽生選手が、決してパーフェクトではない、上記のような「ロミオ姿」を見せながら、なおかつ、結果として金メダルを獲得したことには、むしろ、深い意味があったような気がします。

 

羽生選手は、ショートで「パーフェクトな強さで圧倒する美」を見せ、フリーでは「弱さと儚さで翻弄される切ない美」、という、両極端の美を体現してくれました。 

すごいことです。やろうと思ってもできることじゃないだけに…。

 

羽生選手にかけられていた高すぎるほどの期待のために、技術的な失敗のほうが多く語られ、ソチ五輪の「ロミオとジュリエット」にこそあった素晴らしい点の数々に目を向けている人が、どうも少ないような気がしたので、個人的な思いとして、書いてみました。 

こういう見方をしている人間もいるよ、ということで。(笑)

 

 

それでも、満足せずに更なる高みを目指して、ベストな演技の「トリガー」を真摯に模索中だという、研究熱心な羽生選手の、今後の成長と新しい演技を楽しみにしています!

 

 

 

 

羽生結弦選手の、ソチ五輪「ロミオとジュリエット」を含む、多数の演技が収録される予定のDVDとブルーレイ  ↓

 DVD版 (2014年7月16日発売予定)

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羽生選手の新挑戦・4回転ループと、町田選手の面白い”羽生評”

2014-04-14 | 羽生選手の素晴らしさ

2014年の世界選手権後、 立て続けにアイスショーに出演して全国を回っている羽生選手。

なんと、札幌の地では、新しい大技・4回転ループに挑戦して披露してくれました!(4回転ループは、試合で成功させた選手はまだいないジャンプ。)

こちらです。http://www.youtube.com/watch?v=mUKeCF-8HVw

 

しかし、この時は転倒してしまいます。笑っていますけど。(笑)

3日連続となった札幌のアイスショーでは、成功させようと必死に練習する羽生選手の姿がテレビ番組で報告されたようです。羽生選手は、練習中に「絶対にできる!」と呟き続けていたとか…。

そして、3日目に観客の前でついに無事着氷、成功したそうです。 すごい! (直接見ていた知人情報です。)

 

この映像の「花になれ」の羽生選手、首周りの飾りを一切していなくて、さわやかで素敵です。

そのせいか、いつもより顔が少し明るく見えます。 和装ですし、襟周りには何もないほうが私には魅力的に見えます。  白、水色、ピンク、にラメという衣装の色彩の組み合わせから考えても、首には黒がないほうが良いと個人的には思いました。

 

札幌の前にあった大阪エキシビションでの、羽生選手の「花になれ」の動画はこちら。 ↓  貫禄が増しています。素晴らしいです。

大阪エキシビションでは、またもや4回転トーループ+3回転アクセル+3回転アクセル+3回転アクセル、という驚愕ジャンプを最後に披露しています。もう、何も言えません。(笑) 

http://www.youtube.com/watch?v=C8evU0Sw6N4 (花になれ)

 

ところで、この大阪エキシビションでは、町田選手が羽生選手について、非常に面白いことを言ってくれました。

(もう最近では、この二人が並んでインタビューに出てくると、今度は何を言うのかと期待してしまいます・・・(笑))

http://www.youtube.com/watch?v=bcAWLDdKnq0

 

羽生選手の強さについて、「自分にはない強さを沢山持っている」と言った町田選手。 

それを具体的に問われて、次のように答えてくれています。

 

「たとえば、羽生選手が「ネズミ」だとして・・・ 

ライオンが襲ってきても、(ネズミだからといって) なんら劣等感を覚えることなく、怖気づくことなく、勇敢に立ち向かって、ライオンを倒してしまう・・・ 

そういうような強さが、彼にはあると思うんですよ。」 (町田樹選手の言葉)

 

・・・面白いです!!町田選手、面白すぎる。(笑) 羽生選手をいきなりネズミにたとえて話し出しました。

ネ、ネズミ?って、羽生ファンの私には奇想天外過ぎて、私はこの段階で、思わず笑ってしまいました。 突然、何を言い出すか解らない面白さが、町田選手にはあります。 

途中で、アナウンサーが、「ネズミなのに!」と絶妙なタイミングで、突っ込みを入れています。(笑)

でも、町田選手が何が言いたいのかは、羽生ファンの多くの方は、よく解るだろうと思います。 そういう強さに惹かれている羽生ファンは非常に多いだろうと思いますし、私もそうですし。

ここで重要なのは、羽生選手が「本当にネズミなのか否か」とか「ネズミという例えが適切か否か」ではなくて、「仮に、ネズミだったとしたら」の例えで話している、ということです。

羽生選手には確かに、相手が誰であろうと、敵がどんなであろうと、壁がどんなに高そうに見えようとも、「なんら劣等感を覚えることなく、ひるまず、怖気づくこともなく、かえってやる気を出して勇敢に立ち向かっていく・・・」という強さ、姿勢が顕著に見られる、珍しい選手です。 

すごくカッコイイと思いますし、感動します。

こういうの、欧米だと「ダビデのような勇者」と言います。ダビデ(英語名:David デービッド)は、旧約聖書に出てくる勇敢な少年、巨人に臆することなく一人で立ち向かって、周囲の心配をよそに”知恵”をもって大勝利し、後に「王」となった有名な人物「ダビデ王」のことです。

・・・やっぱり、王になっていますね。(笑)

 

氷上で突然、何をやりだすかわからない面白さを持つ羽生選手 と、何をどう表現してくるかわからない面白さを見せる町田選手。

最高の組み合わせですね… 

引退して、お笑い路線で自虐ネタ連発、ショーでも大活躍中の織田信成さんといい… 高橋選手が、昨年末に、男子シングルの世界を、個性的過ぎて「動物園のような面白さ」と表現したのが、よく解ります。(笑)

演技力高いし技術力高いし、サービス精神旺盛で、皆さん、色んな才能が豊かで、日本の男子フィギュアは、今本当に凄いですね。 

 

当の羽生選手はと言えば、「今の自分には足りないものが多すぎる。」と、真面目に、最新の新聞インタビューで答えています。↓

私は「羽生語録」も以前から大好きです。興味深いことを沢山言ってくれるので。(笑) 型破りな天才の発想の片鱗がそこここに見られて面白いです。

インタビュー全文はこちら。   http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2014041002000111.html

  

ついに「バレエを習いたい」と表明した羽生選手! 表現力向上への意欲を高めています。

「見せる技術を何もやっていない」などという羽生選手ですが、バレエをやったこともなくて、それでもあれだけ柔軟でしなやかで、跳躍力があり、強力に魅せられる技術を(生まれながらに)もっているのは、常識を超えて本当にすごいだと思います。 とんでもない才能。

もともと、ダンス能力が相当高いレベルにある羽生選手。

既に取り組んでいるヒップホップだけでなく、羽生選手が本格的にバレエに始まり、タンゴ等、ダンス全般を習い出してその才能をさらに磨き上げ、本来の感性を爆発させて表現するようになったら、とんでもなく素晴らしいことになると思います。まさに文字通りの無敵になりそう!!

 

一方で、プルシェンコさんが、世界選手権の羽生選手を見て、羽生選手には「4回転+4回転+4回転」さえも可能、などと言い出したようです。(4回転トーループを3連続で跳ぶ、ということです。)

テレビでの電話インタビューで、そう言っていたのを見ました。驚いてしまいました。 3連続の4回転…? 驚異の世界ですね・・・ 

4回転を1プログラムに3回入れる、という意味ではありません。これは既にやっている選手もいますし、羽生選手にとってもちろん可能な範囲でしょう。

そうではなくて、3連続で跳ぶ4回転(コンビネーションジャンプ)のことを言っています。 これが、プルシェンコさんが言っていた、「自分が指導すればユヅルをあと頭二つ抜きん出た選手に出来る…」の具体的な内容の「一部」なのでしょうか? 

天才ジャンパーだったプルシェンコさんがそう思うのなら、羽生選手にはそういう可能性が確かにあるということなのでしょうね… 恐るべし。

しかも、プルシェンコさんはどうやら、徹底して羽生選手に、かつての自分の記録を塗り替えて欲しいようです。本物の王者気質のプルシェンコさん。すごいですね。

でも、ファンとしてはちょっと微妙です。すごいとも思うけど、それで体をダメにしたら…。 もう、凡人には理解不能な世界ですし、判断は天才同士にお任せして、こちらはもうただただ祈りつつ、見守るしかない心境です。

かつての絶対王者、伝説のお方をここまで期待させ、熱くさせる何かをもつ羽生選手。 なんとも罪な男ですね…(笑)

 

羽生選手本人は、このインタビューの中で、こうコメントしています。

まだ足りないものが多すぎる。今年20歳になってしまう。引退まで本当に数えられるくらいのシーズンしかないと思っている。けがしたら終わりなので、健康でいて、もっと未来の自分を広げられるように日々努力するだけだと思う。」

表現力重視に舵を切りそうな発言ですが、でも、4回転ループ跳んだくらいだし、絶対に技術的な挑戦はやめないようですね。今までよりもは少し慎重に取り組むって程度でしょうか。

「引退まで本当に数えられるくらいのシーズンしかない」という言葉・・・ ちょっとドッキリしました。  やだなあ。

 

さらに、詳細なインタビュー内容はこちら。 ↓

世界選手権後に、色々と心境の変化があったようです。 賢いし、頼もしい。感動しますね。

羽生選手のあの強さの秘密は、考え方というか、姿勢というか、心のあり方というか・・・やはり、精神的な部分がすごく大きい気がします。

 http://mainichi.jp/graph/2014/04/10/20140410mog00m050009000c/014.html

10年後には引退しているだろう、とも言っています。 まあ、それはさすがに仕方がないですね。(笑)

 

もう一つのインタビュー記事がこちら。

http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/sports/20140411k0000m050088000c.html

 

これらでは、今でも震災に対する「無力感」は変わっていないと述べています。どうやら、「直接的な支援」をしていないからのようですが。

今、羽生選手が今スケートでやっていることは、将来、直接「支援」をする力をもつためにも、重要なことだし、必ず大きな実を結ぶと思います! 応援します!

 

連日連夜のアイスショーめぐりの羽生選手ですが、その最初となった名古屋フィギュアスケートフェスティバルで、「白鳥の湖~ ホワイト・レジェンド」を披露してくれています。

これがまた、もう、本当に本当に素晴らしい!! 

http://www.youtube.com/watch?v=EkyJ5RmsjBM&feature=youtu.be

2014名古屋フィギュアスケートフェスティバル 羽生結弦 「白鳥の湖」+アンコール「パリの散歩道」

 

魅惑の白鳥再び!すごい!! 驚異的です!!体の痛みなんかないように見える「渾身の」演技です。 滑りが美しく、たくましくてしなやかで、力強くて、なおかつ優雅で柔軟で芸術的で哀愁漂う、文句なしの凄い演技です。

解説者の言葉通り、これは本当に王者の貫禄。  羽生選手を最初に見た頃の衝撃的な感動を思い出しました。 

羽生選手の白鳥は、やはり明るい照明の下で見たほうが良いです。全身から醸し出される気迫、連続した流れの美しさ、羽先を表しているような手先の微妙な表現までもを、見落とさずに明瞭に見られるから。

 

15,6歳の頃は、白鳥もオデット姫も王子も、一人で全部の役をこなせそうにさえ見えた羽生選手。 独り舞台「白鳥の湖」なんてものを、氷上でこなせるような可能性をもつ逸材は、恐らく後にも先にも、この人くらいだろうと思っていました。

でも、この後羽生選手は、白鳥衣装のままで、「パリの散歩道」を疾走する「謎の氷上の生物」に、鮮やかに変身してくれました!(笑) (← 羽生選手、自分のことを「氷上の生物」と表現して笑いをとったことがあるので・・・。)

「白鳥の衣装」+「パリの散歩道」というのは、不思議な感じで、なかなか貴重な映像かも。

 

羽生選手は毎年、この「名古屋フィギュアスケートフェスティバル」では、かなり質の高い演技を見せているように思います。 やはり名古屋だから気合が入るのでしょうか。「名古屋のお客さんは目が肥えているから」って羽生選手も冒頭のインタビューで言っていますしね。

 

これを観ると、 「羽生・白鳥」 対 「町田・火の鳥」 という、世界選手権の金銀メダリスト二人による、究極の「鳥演技・対決」なんてものを、連続で見てみたくなりました。 

羽生選手の白鳥はもともとSPだし、町田選手の火の鳥はFPですから、プログラムの長さが違うので、得点での直接比較なんて出来ませんが、得点なんかはもう、どうでもいいですから(笑)、ただ続けて観てみるだけで、そのお二人の個性の違い際立って、面白そうです!! 

 

今、羽生選手は、全国各地で、「花になれ」と「白鳥の湖の和風アレンジ版・ホワイトレジェンド」を交互に披露しているようですが、どちらも大好きな私としては、できることなら、全部を見て周りたいくらいです。

もちろん、そんなことは、時間的にも物理的にも金銭的にも、絶対に不可能ですけども…。

フィギュアスケートのチケット代は、とにかく高すぎます。 家族で見に行くのが厳しくなるような金額なのは、本当に残念です。

せめて、きちんと、選手たちに「適切な金額」が還元されているのならまだ良いですが…どうなのでしょうか? 非常に気になります。

アイスショーは、きっと出場した人たちは、それなりの報酬をもらえているのだろうと思うのですが。

 

 

羽生選手、”もっと「伝わる演技」がしたい”、ということですが、最近私が観た羽生選手の演技は、本当に素晴らしかったです。

「伝わってきた」し、圧倒されたし、ただただ言葉を失いました。 

町田選手の演技は、気迫と魅了しようとするエネルギーが凄かったです。存在感が圧倒的でした。でも、羽生選手の演技からは、まるで光が放たれているような凄さがありました。

他の選手たちの、それぞれのベストともいえるほどの素晴らしい演技も沢山見ることができて、そういう意味では本当に今年は最高のシーズンでしたが、それでもやはり、羽生選手はその中でも私の目には、”別格の輝き”を放っていました。 すごい貫禄があったと思います。

今後はさらにそれが増していくのでしょう。 楽しみですね。

 

ソチ五輪後の、私の当初の予想をも軽く超えてしまった、羽生選手の凄まじい人気ぶりを目の当たりにすると、さすがにちょっと今でも戸惑いを覚えることもあるのですが、それでも、羽生選手を応援してきて良かったな、と思える、幸せなシーズンでした。

羽生選手、本当にどうもありがとう!!

いつも、見ているだけで幸せになれるような、素敵な、凄い演技を、どうもありがとう!!

 

それから、ショート歴代最高得点の、ギネス記録登録も、おめでとうございます!!

でもきっと、このギネス記録も、所詮は記録連発の始まりの一つ、に過ぎなくなるのでは…。

http://www.youtube.com/watch?v=YuIA6lZylfc&feature=youtu.be

 

ブログの更新をしていようがいまいが、関係なく、いつも心から応援しております。

(ブログの更新がない時は、単に忙しすぎて時間がないだけです。 根っからの羽生ファンの私が、応援をやめているようなことはまずあり得ませんので、どうぞご理解下さい。)

 

私から見て・・・、羽生選手は、歴代男子シングル選手の中で、間違いなく 史上最高のスケーターです。

 

 

 マイア・シブタニ選手(アイスダンス)のツイッター投稿画像より拝借  

札幌アイスショーでの選手達   一番左が羽生選手 ! すごく良い笑顔です。

 

 

 


諸外国で絶賛される羽生選手 その1 

2014-02-04 | 羽生選手の素晴らしさ

ソチオリンピックへの注目で、羽生選手への絶賛が、ようやく、かなり聞かれるようになってきました。

 

しかし、羽生選手は随分前から、特に諸外国の解説者たちには、非常に的確な視点で、かなりの絶賛をされてきました。

日本では、他にも注目の選手や人気の選手が沢山いましたので、羽生選手の報道のされ方は、少ないほうだった気がしています。

グランプリファイナル優勝、全日本選手権2連続優勝、ソチ団体戦でもダントツトップだったという、ここ数ヶ月の大活躍で、ようやく羽生選手の凄さが、フィギュアスケートをあまり知らない人にまで、知れ渡ってきたような…

 

以前から絶賛されていた、それらの内容を、少し紹介できたらと思います。(プルシェンコ選手以外にも、大勢います。)

 

その1は、フィンランドから。

 

フィンランドの解説者が、羽生選手の演技の「特徴」と「その凄さ」を、非常に的確かつ冷静に解説している、おススメ動画です。

 

興味ある方は、どうぞ。

2012年のフィンランディア杯、フリープログラムの「ノートルダム・ド・パリ」の演技。

映像は少し悪いのですが、アップして下さった方、フィンランド語を日本語に翻訳して下さった方(動画主様と思われる)に感謝です。

 ↓

Yuzuru Hanyu 2012 FS 羽生結弦 フィンランド語解説(翻訳つき)

 

以下、いくつかを抜粋してみます。 (訳は、動画の翻訳者の方の訳、そのままです。)

 

「彼は非常に粘り強い」

「まるで猫のようにやってのけてしまう」

「ユヅル・ハニューのスケーティングには、惹きつける力があって、見ている者の目を離さない」

「皆を釘付けにする彼の動きは、ソフトで伸びやか」

「ハニューには、わずかな動きで、観客を離さない才能がありますね」

「とても驚きなのは、どこから爆発的な勢いが、その、ある瞬間に出てくるのか・・・ 他の動きは、こういった波のような流れなのに」

「彼はまた、感情を強く表現するスケーターで、見ている人を一人残らず熱くさせます」  (← 一人残らず、とまで!)

「彼はフィギュアスケートのベストな部分を語るのに、非常に素晴らしい例だと思います。

運動というスポーツの面、肉体的なハードさ、そして芸術性、あわせて音楽を解釈して表現する能力・・・」

などなど・・・。

(以上、動画より)

 

 

最近日本では、荒川静香さんがあちらこちらで羽生選手の凄さを丁寧に解説してくれるようになってきて、ファンとして嬉しいです。

 

 

上の解説者も言っていますが、羽生選手は、「フィギュアスケートの一番良い部分、必要なものを、全部兼ね備えている人」だと私も思います。

 

フィギュア選手達の中でも、抜きん出た「究極のアスリート根性」を持ち、すごい努力家で、フィギュアスケートに必要な身体的能力・特徴に生まれついていながら、天性の表現者魂、芸術家のような繊細な感受性、音楽家の感性をも、あわせ持っている人。

冷静な分析力と賢さ、おごらない謙虚な精神を持っていながら、トップになるのに必要な根性と自信、理想の未来像イメージ・明確な目標を、幼い頃からしっかりと持ち続けている人。

 「フィギュアスケートの究極の理想像」に、近い将来、なれる選手ではないかと。

 

日本では、羽生選手は他選手との比較のせいで、技術力ばかりに注目がいって、表現力がまだまだ不足しているかのように言われてしまうことが多いようですが、確かに表現力は今後もっと上がっていくと思いますが、「技術力が高すぎる」だけで、現トップ選手たちの19歳、18歳、17歳、15歳当時、などと比べれば、羽生選手の表現力は極めて優れていると私は思います。

年齢の割りに、かなり個性的な、非常に高いレベルでの独特の「表現力」「惹きつけ力」を持っています。外国解説ではそれらの評価は高いです。

柔軟性に富んだ高い身体能力で、スピード、情熱、激しさ、強さと同時に、流れ、柔らかさ、優雅さ、繊細さも、表すことができる。フィギュアスケート・男女シングルのベスト部分・技を一人で併せ持っており、これは極めて稀な個性です。

今までのところ、羽生選手のプログラムは、ショートとフリーのどちらかが一つが、男性的なイメージを強調してあるもので、もう片方が、やや女性的なイメージの強いプログラム構成や衣装になっていることが多いです。どちらもできる能力の高さを示すためと思われます。

今まで、女子シングルにしか興味がなかった人が、羽生選手を見て初めて男子シングルに興味を持った、とか、羽生ファンになったという声は、結構聞きます。女子選手並みに、全体の流れ、身体のラインの美しさも秀でているからだと思います。

また、特に、「音楽そのものを表現する力」「内に秘めた情熱・感情をストレートに表現する力」に長けています。

音楽的感性が相当優れているのだろうと推測します。 

さすが、イヤホンマニア・コレクターだというだけのことはあります。(荒川静香さんとの対談より)

(リンク外で、羽生選手がイヤホンをつけたまま、一人、音楽の世界に入り込んでノリノリになっている姿はよくテレビにも映ります。 )

 

己の目標、理想の状態を目指して、益々頑張って欲しいですね。

その、羽生選手の抱き続けてきた夢のうちの一つが、実現するかもしれないところまで・・・ あと一歩です!!

 

羽生選手、ファイトーー!!

 

 

 

 


あのプルシェンコにまで絶賛された「貴重な存在」、羽生結弦

2014-01-28 | 羽生選手の素晴らしさ

フィギュアスケートにあまり詳しくなかった人たちに、羽生結弦選手の素晴らしさを説明するのに、簡単な方法があります。

「”あのプルシェンコ”にまで絶賛された貴重な存在、それが日本人の羽生結弦なのだ!」ということです。

 

ニコニコ動画に、そのプルシェンコ選手ご本人が羽生選手について熱く語っているところを報じてくれた、イギリスの番組がアップされています。

興味のある方は、ご覧になれば、よく解るかと。↓ アップしてくださった動画主様に感謝です。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm22142324

 

動画を見られない方々のために、少しだけ抜粋します。(以下、訳は動画のものではなく、私の訳に変えてあります)

ナレーション:

   「プルシェンコによれば、(フィギュアスケートの)その未来は、まさに『羽生結弦選手』、その人の手中にあるということです。」

    ( 元の英語   And for him, the future lies well and truly  in the hands of Yuzuru Hanyu. )

 

プルシェンコご本人: 「羽生結弦は優雅で、スリムで、スピードがあり、本当にものすごいスケーターだ。

                           彼のこのプログラムが、僕から見ると(大会で)ナンバー1だ。

               (注:2012年フリープログラム「ノートルダム・ド・パリ」の演技中の羽生選手を見ながら言っている。)

                素晴らしいスピンの数々、見栄えが非常に良く、彼にはカリスマ性がある。 僕は彼が好きだ。」

(元のプルシェンコご本人が語っている元の英語  "He is elegant, he is thin, he is fast, he is such a great skater.

                 This (is), for me, number one.  Great spins, great photography, 

                  he has  a  charisma.    I like him."  (By Evgeni Plushenko ) )

 

 そして、まだ若い羽生選手への助言めいたことを少し口にしてから、

 「数年後には、羽生結弦の演技こそが(フィギュアスケートの)「未来そのもの」となるだろう」、と言って締めくくっています。

 

凄いですね・・・  あのプルシェンコ選手が絶賛!  羽生選手への期待がうかがえます。

王者の貫禄を崩さず、特定のレベルに到達してない王者を認めず、そういう基準を絶対に譲らなかったプルシェンコ選手が、他の選手のことをここまで認めているのを、聞いたことはないような気がします。

頂点への挑戦を続けるアスリート根性、ジャンプやスピンの技術的レベルの高さ、カリスマ性、演技の芸術性、の全てにおいて妥協しない厳しい目でいつも見ている印象のプルシェンコ選手ですので、その全てにおいて、羽生選手は(未来の可能性も含めて)彼に認められたのでしょう。 

自分が羽生選手の立場だったら、これは本当に嬉しい言葉です。目標の人に評価してもらえて、しかもここまで言ってもらえたら。

 

そして、プルシェンコ選手の言うことに、私も完全に同意します。(笑)

 

個人的に思っていることですが・・・

羽生選手が既に、かつてのプルシェンコ選手をも完全に上回っていると思われる点が、いくつかあります。

 

1.驚異の柔軟性 (←これはもう、誰の目にも明らか。疑いようがない。身体で、流動的な美を創り出せる。優雅さの原点。)

2.ジャンプやスピンの美しさ (← これも顕著。時代や採点基準が違うせいもありますが、体の柔軟性とスタイルが影響している。 )

3.演技から醸し出される、繊細さ・ピュアさ(純粋さ)・一途さ・真っ直ぐさ (← プルシェンコ選手、他選手の個性とは異なる点です。

                                               ロミオとジュリエットのプログラムが似合う理由の一つでもある。)

4.リズム感、音感 (← プルシェンコ選手も本当に凄かったのですが、羽生選手のほうがさらに上かも。

                 時代や、振付師も影響しますが、ジャンプやスピンのタイミングまでバッチリ。

                 2011年度版ロミオのラストのステップや、今期の「パリの散歩道」等で、リズム感は特に発揮されている。

                 見ていて気持ちがいいですね!)

 

連続ジャンプについては、4回転+3回転+3回転や、4回転+3回転+2回転などをやってのけて、人々を圧倒し、その絶対的な成功率で群を抜いていた元絶対王者、天才・プルシェンコですが、羽生選手は、試合では跳んでいませんけれども、既に大勢の前で 4回転+3回転半+3回転半 などという、これまた、誰もやったことのない、驚愕の超人ジャンプを数回、披露しています。

連続ジャンプの、後ろ側のジャンプに、アクセルジャンプ(~回転半、というジャンプ)を続けるのって、普通は出来ないと聞きます。ジャンプ開始の向きが、半回転変わるので、そこで勢いが落ちるからですね。(でも、羽生選手はやっています… 本当に超人ですね。)

将来的に、ジャンプの種類や難易度でかつてのプルシェンコ選手を超えていく可能性は大いにあると思います。

楽しみですけど、でも、あまり極端な無理はしないで欲しいですね… 何よりも御身体を大切に。(選手生命が長くあってほしいので。)

                                   (個人的には、ひたすら手術が必要となるような身体には、なって欲しくないので…)

 

唯一明らかに負けているのは、プルシェンコ選手から醸し出される、スケート場を支配・周囲を威圧するかのような威厳、まさに「皇帝」といった貫禄、ですね。

でも、これはプルシェンコ選手の個性であり、特徴なので、羽生選手はたとえ「貫禄」がついても、同じようにはならないだろうと思いますし、同じになる必要もないかと思います。

演技前後に見られる羽生選手の徹底した「謙虚さ」「腰の低さ」は、素晴らしい長所の一つだと思いますし。今いる他選手たちの中でも群を抜いていますし、そこがまた多方面から高く評価されていると思います。

テレビには映りませんけれども、リンクの掃除をも真面目に手伝っていることがあるとか…。本当にスケートが好きで、リンクが大事なんですね。

演技中は本当に真剣で、人を惹きつける力に溢れているのに、自分に酔う感じではなくて、「僕の演技を見てくれてありがとうございました!!ここまでやらせてくれてありがとうございました!!」って言っているかのような態度に、演技終了と同時に、パッと切り替わる。

その切り替わりが、なんというか、見事です。

しかも、羽生選手のお辞儀は、ただの挨拶、ただの感謝ではない。

今ここにいること、そこにある全てに対して、心の底から、感謝している印象。  平身低頭、頭下げるし。

その瞬間、そこで演技が出来たことを心から喜んでいるというか…全力投球できたからこそ、思えることなのかもしれません。

表情を見ていても、偽りがない。非常に素直なんでしょうね…。

見ていて、本当にいつも胸が打たれる点です。

点数がどうとか、他からの評価がどうとか、その時の演技の成否とは関係なしに、いつも思います。

これは多分、2011年度から顕著なので、大震災での苦労・苦悩を通った影響であり、羽生選手の言葉を借りれば、

「あって当然のもの、なんてないんだな」(羽生選手の本「蒼い炎」より)、ということを理解したから…こその、態度なのでしょう。

 

こういう態度を見ている時、羽生結弦という選手が日本にいてくれたことを、日本人として、本当に感謝したくなります。

大震災を通り、苦しみを経験したがゆえに、逆に見る人々を励ますことが出来る存在。

希望の星であり、誇り、ですね。

 

これからも出来るだけ長い間、リンクに立ち続けていて欲しい…、本当にそう思わせてくれる、そういう選手です。

 

 


大震災の悲劇をも乗り越えて成長する「炎の男」、羽生結弦

2014-01-22 | 羽生選手の素晴らしさ

羽生選手は、よくそのメンタル面の強さを多くの人から指摘されます。

しかし、その感受性の鋭さ、素直さ故に、沢山の涙も流してきたことが解ります。
現在の羽生選手を語るのに、避けて通れないのが、2011年、シニアデビューの翌年に起きた、
東日本大震災です。

既に有名なことですが、羽生選手の出身地・練習拠点は、震源地に一番近く、津波の大被害をも被った「仙台」でした。

その前後の羽生選手の心境・彼の身に一体何が起きていたかなどは、以下の本「蒼い炎」に詳しく書かれています。

羽生ファンなら、一度は読んでみる価値がある、必見の本だと思います。

「蒼い炎」 羽生結弦 扶桑社出版 


この「蒼い炎」は、インタビューに応えた形で述べられた羽生結弦さんの言葉を集めたものです。
写真も沢山あります。

幼少期から、2012年の世界選手権に出場する直前までの羽生選手の思いや経歴、心境が詳細に書かれています。
彼が幼少期から、明確な目標をもって突き進んできたこと、数度の試練に見舞われていることなどが解ります。

特に、震災後の状況・心情の変化や苦しみ、乗り越えた彼の考え方には、非常に胸打たれ、考えさせられました。
そして、2011年以降、苦しんだ経験のある人なら多分、とても勇気付けられ、励まされます。



ちなみに、この本の売り上げの印税(羽生選手本人がもらえるはずの収入部分)は、
全て、被災したアイスリンク仙台へ寄付されることになっており、
わずか17歳にしてそういう決断と行動の出来る羽生選手は、本当に天から選ばれた、
正真正銘の天才なのだなと私は思いました。

私利私欲に走ることなく、与えられているものを感謝し、必ず恩返しをしようと考え、
自分の使命を全うしようとする徹底的な姿勢…

その熱い思いを受けて、私も、寄付の意味も込めて、この本を買いました。
絶えず自分や状況を分析出来る冷静さと、炎のような情熱を併せ持っている羽生選手。
この「蒼い炎」というタイトルは、なるほど、ピッタリだと思わされます。


羽生選手の2011年の大躍進の秘密は、これを読めば大体解ります。
そして、その年の集大成となり、彼の名を世界中に知らしめた、2012年3月の世界選手権での、
「ロミオとジュリエット」の奇跡的な名演技がなぜできたのか解りますし、
それを知った上で動画を見ると、羽生選手が演技後に流した涙の意味も、よく解ります。


最近のニュースで、早速、アイスリンク仙台専門のバスが、このお金で寄付されたとの報道を見ました。
スゴイですね…
被災して落ち込んでいる子供達に、どれほどの夢と希望を与えていることか…!!
まさに、日本の希望の星ですね。

しみじみ、10代のこの若者を尊敬します。

                                      写真: 日本スケート連盟公式HPより