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全日本選手権2021で、優勝した 羽生選手のインタビュー映像(動画)&インタビュー内容 (その1)その他

2022-01-25 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!

NHK総合「アナザーストーリーズ 羽生結弦オリンピック連覇」未公開映像を追加してリメイクした異例の特別編集版は、津波警報で中断されたために 再放送があるものと思います。

脅迫や強要に屈しないで使命を全うされようとする方々には、心から感謝をするとともに、それぞれの使命を果たすべき人たちが、卑怯で陰湿な人権侵害や犯罪に屈することなく、そのすべてを真の天地創造主たる神・羽生選手の主イエス=キリストが守り通して下さいますように 主イエス=キリストの御名でお祈りいたします!アーメン。

1月11日:体操の内村選手の現役引退が発表されました。羽生選手へのエールを最後に・・・という形になったこと、心から感謝です。体操・内村航平が現役引退 個人総合で五輪連覇、世界大会でメダル28個の伝説刻む(スポニチアネックス) 体操 内村航平 現役引退を発表 五輪で個人総合2連覇 |

内村選手とテレビを介したやりとりの動画は別ページに掲載します!

フジテレビ S-PARKでの羽生選手特別企画の4回転アクセルについての特集(インタビュー)はこちらからどうぞ(クリック) その前に流れた番組宣伝用のカッコいい羽生選手はこちら(笑) 4回転アクセルを実現させる理論について詳しく語ってくれていて、羽生選手らしさと、4回転アクセルの大変さがよく伝わるインタビューでした!こちらも別ページに詳細を載せていきたいと思います!(何度も書くけど、だからこそ軸を狂わせる妨害装飾付き衣装なんて最初からただの妨害以外の何物でもないです。今シーズン用の本当の新衣装はフリー用もカナダのデザイナーさんの衣装があるのですから!)

※ 選手たちは陰で怪我などを抱えながらも一生懸命演技をしているのであって、痛い氷の上で転びたくて転ぶ選手などいません。羽生選手の名前を利用して 嘘や侮辱や選手たちへの誹謗中傷やゴシップなどでアクセス数を稼いでお金にし、妨害を意図的にしてきた、目的の違う自称ファンブロガーに乗せられないようにご注意下さい。

羽生選手は、昨年も今年も、全く長田神社に参拝になど行っていませんし羽生選手本人が頼んだことでさえないと明言されていますので、周囲の思惑での勝手な行為に御注意下さい。

※ ここをご覧くださっている皆様に御注意:最新のNumberに載っている羽生選手のインタビューのショートについての内容は、羽生選手が本当に答えた内容とは明確に一部が違っていて、内容が真実とは完全に違っていますので、ショートについての記事内容は信じないようにご注意下さい。これは羽生選手本人に内容をしっかりと確認済みですので、ここで猛抗議をしておきます。ライターの松原さんは、今までも、(羽生選手について嘘ばかり流してきて大被害をもらたらしてきた)伊藤聡美のインタビュー記事を担当されてきた人なので、脅迫されているかもしれませんけれども、明らかに事実とも違う内容で、羽生選手が答えていない内容に印象操作して載せることは 多くの被害者を増やし、羽生選手本人とチームへの信用毀損と名誉毀損、偽計業務妨害となります。

 

また、今回の羽生選手の新衣装を担当されているのは、羽生選手の「花になれ」の衣装を作ってくれたカナダのデザイナーの、マシュー・キャロンさんで、カナダのアイスダンス・五輪金メダリストの、テッサ&スコット組の衣装も担当されてきた方です。伊藤聡美では全くありませんし、何の関係もないのに、新年早々、自分の衣装として勝手に紹介している恐ろしすぎる騙しのツイートに2600人だの3000人だのがだまされている実態は、明確な偽計業務妨害罪・詐欺罪であり著作権侵害であって、あまりにも図々しすぎ、絶句するレベルの酷すぎる嘘とだましのツイートですので 世界中の羽生ファンは騙されないようにご注意下さい。

昨日放送された、TBSの「S☆1」での羽生結弦の12月27日(全日本選手権フリーで優勝が決まった翌朝)のインタビューノーカット版は、本当にとても良かったですね!全体像がよくわかり、羽生選手の一つ一つの様子からも、その想いも言葉も、とてもしっかりと伝わったと思います! 配慮してきちんと放送して下さったTBSには心から感謝です! (きちんと放送して下さって、本当に、見てて涙出てくる思いでした!ついでに平昌五輪の時の本当の大変さも、ちょっとは伝わったのではと思いました。) こちらがニュースの動画(UP感謝です!)

詳細は別ページに掲載したいと思います!

 

※ カナダのデザイナーさんの衣装を、自分のものとして宣伝するほど恐ろしい嘘を平然とついて、ツイッターで3千人以上を騙している伊藤聡美は、受賞してもいないISUの最優秀衣装賞を、自分がとったことに捏造して吹聴したり、羽生選手のことで嘘をひたすら流したり衣装に技術妨害を繰り返したり、別人を装って嘘で他人を訴えてくることができるほど酷い嘘だらけの実態、どれほど酷いことが今まで繰り返されてきたのか、想像に難くないと思います。そんな人物を、ひたすらごり押し宣伝・強要し、この酷い実態をひたすら推し進めきた総責任者は、日本スケート連盟会長・長島昭久(東京18区落選したのに非礼復活・自民党)です。

それらの真実を伝えたら、真実を伝える者たちこそを脅迫したり貶めたりする行為は、さらなる犯罪でしかなく、そんなものが野放しにされる日本の実態は末期的です。周囲を脅迫して脅すのは「脅迫罪」、「強要罪」という立派な犯罪ですので、屈する必要などありません。そんなものをごり押し推奨してきた人たちに騙されないように御注意下さい。

 

日本のスケート連盟(会長:長島昭久)が羽生選手に強要した今回の一連の信じ難い横暴に、ISU(国際スケート連盟)もクリケットクラブも、カナダの連盟も怒っていることは明白で、ISUの羽生選手のバイオは、全日本選手権の優勝の記録をつけて試合後に更新されましたけど、今日にいたるまで、曲名は今シーズンのものに全く更新されていません。(優勝の結果はついているのですから、意図的なのは明らかです)

ISUの羽生選手のバイオグラフィー(2022年1月14日現在)↓ 全日本の試合の結果はつけられて更新されているのに、今シーズンの曲名(プログラム名)は意図的に更新拒否されています(昨シーズン情報のまま) 

本当のショートが披露されなかったのだから、更新しないのも当然ですね!プログラムのみならず、フリーでも用意していた衣装までつぶされたり、作ってもいないデザイナーが他人の著作権を侵害して堂々と自分のもののようにネット上で嘘を平然と流布して大勢のファンをを騙しているという、全くあり得ないほどに酷い人権侵害、これ以上ないほどの侮辱を、羽生選手の意志に反して 日本はカナダやクリケットクラブ、そしてISUにも仕掛けている状態なので、無言の抗議は 当然だと思いますが、日本はいつまでこの信じがたい恥を世界にさらしながら、今までの恩を、仇で返すのでしょう!

ISUの更新拒否は明らかで、こんなことは本来は絶対にあり得ませんが、本当のSPではないものが無理やり披露されたのだから当然ですね! 選手の選択権を、脅迫と強要で奪う行為は明らかな犯罪ですし、五輪2連覇を果たしてきた羽生選手の意志に反して、曲ごと変えられてしまい、振付師のバトルさんがわざわざ作っている作品を、勝手に一方的になかったものにしようとしているほどの異常な犯罪行為に及んでいる日本に対して、世界は今、どう見ているでしょうね!

 

ショートの衣装は「白鳥」用のものでしたし、本当のファンなら見ただけですぐにわかるはずです。羽生選手がわざわざそれを明らかにしたのに、嘘をばらまく人たちに十分に御注意下さい。(羽生選手の意志に反して押し付けられた曲は、練習妨害と脅迫とで12月になってから作らされただけなので、そのための衣装なんてそもそもありません。)羽生選手の辛い気持ちと苦しい気持ちが表現されたプログラムになっちゃいましたけど、衣装は「白鳥」のものです。

残念ながら、目新しい内容は特にはありませんでしたしかなりカットされてました。今までどこかから出ていた映像とどこかから出ていたインタビュー記事内容のみでしたね。新しいことは 荒川さんが宣伝されていたぐらいでしょうか。(Every だから好意的だし悪意は全く感じませんけれども、残念ながら最も肝心な真実は何も伝わらず、という感じです。)

羽生選手が言っている「壁」というのは、技術のことだけじゃありませんから、もちろん!!あらゆる「壁」を指していて、その異常さを表現してくれています。 一番の「壁」は、私は散々書いていますし、この問題に対して責任があるのにそれに対して何もしない人たちも全て入ってきます。

荒川さんも、ただのOGじゃなくて、連盟副会長で、何年も前から、あの酷い人権侵害レベルの技術妨害が見抜けないはずもないのに、何年も羽生選手の被害に対して何にもできないくらい、ひどく横暴な人間が周りにいることが証明されていますけど、「ジャンプの完成度の高さ」が勝因になるというのなら(今日の荒川さんの言葉)、そんなことはみんな知っていることだからこそ、それを妨害する「技術妨害衣装」を押し付けてきた人間の罪の重さは半端ないことぐらい、わかりますよね。氷の上の最高難度の闘いは、大怪我の危険や生命の危険と常に隣りあわせなのですから・・・!!(怒) (伊藤聡美は 以前の白鳥衣装では、手のところに石をつけて跳べなくしたくらいなのですから、それが技術妨害でなくて何だというのでしょう!)

さらに、今も続く、露骨ですさまじい著作権侵害や名誉毀損や信用毀損や偽計業務妨害に対して、責任ある人たちはどう対応してくれるのでしょうか。

羽生選手が「特に この1年くらいは、勝つことをあきらめていた」と語った 酷い人権侵害の背後事情を、ページ途中で、さらに追加しましたのでぜひご覧ください。

 

 P&Gが各地で様々なチェーン店とキャンペーンを展開中!

JOC山下泰裕会長 年頭のあいさつで「輝きながら挑戦できる環境」を全面サポート/スポーツ/デイリースポーツ online   「輝きながら挑戦できる環境」とは程遠い羽生選手の置かれた環境は、世界にも露骨に伝わっていると思います。 そもそも技術妨害衣装や、選手に対して侮辱や虚偽証言を繰り返し、裁判を使って妨害してきたほどの人間を、押し付けるような「選手つぶし」の横暴を、決して許さないでいただきたいですね。

4回転アクセルという、史上最高難度に挑戦するのにふさわしい衣装にさえできない、技術妨害やプログラム破壊、本人の希望をわざと壊したり、他人の著作権を堂々と侵害するような人を使いたくない という 選手の「当たり前すぎる」基本的な要求さえ通さないほどの横暴と人権侵害がまかり通っている、日本の恐ろしさ。 

 

1月5日:羽生選手にとって、強い想い出となっている、9歳の時の恩師・「アクセルは王様のジャンプ」と羽生選手に基礎を教え込んだ 都築章一郎コーチが、今回の羽生選手のフリーの公式練習とフリー本番の演技、4回転アクセルについて想いを語って「感銘を受けた」と絶賛して下さいました!こちらの朝日記事をどうぞ(途中から有料ですが・・・)

回転軸がどれほど大事なのかということ、今回はストレスがすごかったであろうことも認めて下さった上で、それにも関わらず、今回の羽生選手の状態で「挑戦」したことがどれほど凄いことかも語って下さっています。

 

WHO“オミクロン株 他の変異株よりも重症化しにくい”

1月4日: 米中ロ英仏 核戦争しないと確認 - 「被爆者の願い届いた」と評価 五大国共同声明に広島・長崎 核保有五大国から、異例の共同声明が出されました!ハレルヤ!

※ アメリカや被爆者への侮辱衣装が続けられていた間、スポンサーとして距離を置いてきたP&Gが、今シーズンから羽生選手の応援に復帰して下さっています!

新年からはこちらのキャンペーン!

 

上のP&Gのキャンペーンは取り扱っているチェーンや店舗が複数ありますので、地域によって、様々なところで開始されています!

 

このページは、フリーの「天と地と」に 史上初めて4回転アクセルを試合に入れて、4回転アクセル以外は完ぺきに決めて、全日本選手権2021で 圧勝優勝した翌日のインタビューを中心に、ですけれども、

羽生選手が とても大事なことを語っていると思える部分と、説明が足りないというか、誤解されそうな部分を中心に、羽生選手に確認したうえで 補足説明をも追加しながら 羽生選手の言葉(インタビュー内容)を 書き出してみました。

 

1月4日追加:こちらの27日朝のニュース番組から羽生選手の重要発言!(映像UP感謝です!)

Q: 一夜明けた今のお気持ち、いかがですか?

「いや~なんか、新しいスタートが始まったなって、新しい道が始まったなって思っています。」

「自分の中ではオリンピックは描いてなかったんで・・・うん、なんか新しいなって思うのと、あと・・・ この・・・特に、1年間くらいですからね・・・

なんか、ある意味、勝つことをあきらめていたっていうか、なんかオリンピックが決まった瞬間に、このユニフォームに袖を通した時に、『勝つんだ!』って、なんか、勝ちに行くんだって なんか久しぶりに、闘志が燃えたんで(笑)、なんか、わくわくしています。」

※ 羽生選手がこの1年間、勝つことをあきらめていたと言っているのは、明確な理由があります。

2020年の夏ごろから大勢のファンを騙す異常なツイートと執拗な虚偽流布で、羽生選手を苦しめ続けた伊藤聡美(=カモンカモンさとみ)は、

羽生選手が こんな嫌がらせを強要され続けるという、大変な苦痛と闘いながらも、

2020年12月の全日本選手権で優勝したにも関わらず、さらにその後も プログラム破壊や嘘で羽生ファンを騙すツイートを、新年(2021年)に入ってからも続けたため、私が抗議の内容をここで書きました。


そうしたら、今からちょうど1年前の 2022年の1月に、試合に合わせて裁判を仕掛けてきて、羽生選手の試合を徹底妨害してきたのです。

羽生選手への技術妨害と侮辱とプログラム破壊、ファンへの騙しを何年も繰り返し、羽生選手や私の権利を侵害し続けていたのは、衣装デザイナーの伊藤聡美の方であるにも関わらず、です。

具体的にどんな内容だったのかは こちらと こちらで  ご確認下さい。

羽生選手は、普通ではあり得ないような、大変なストレスの中を、そんな加害行為を仕掛け続けた人間の衣装を使うことを 強要されたまま、しかも、本来 あるべき修正がされていない状態のまま、2021年の世界選手権をやる羽目になりました。

その後のアイスショーでも堂々の嫌がらせを行っておきながら、さらにその後も堂々と妄想と嘘を流布し続け、別アカウントではさらに捏造内容で羽生選手の名誉を毀損し、侮辱と「死ね死ね」などの脅迫的呪いを大量にツイートして、羽生選手の心を打ち砕くようなことをやり続けてきました。

さらに、その危険を連盟に訴えた羽生選手サイドに対して、日本スケート連盟会長であり総責任者である 長島昭久(東京18区落選・自民党・非礼復活)は、そんな異常行為を繰り返してきた伊藤聡美から、

羽生選手を守るどころか、かえって羽生選手に対し、伊藤聡美の衣装を羽生選手に強要するという酷い人権侵害・犯罪を行い続け、

それを出場条件にさせて拒否したら試合に出させないという、文字通りの世界トップ選手であった羽生選手に対して、前代未聞の横暴で 羽生選手の試合出場をつぶし続けたのです。

「カモンカモンさとみ」などという だましアカウントと、@akiragiminasoko という 羽生選手への侮辱だらけの 裏アカウントのツイッター主の正体がどちらも伊藤聡美であることを突き止めた羽生選手が、それらを公に証明する機会を、すべて意図的にことごとくつぶし続けました。

羽生選手が伊藤聡美を全く信頼していないこと、羽生選手の本音が伊藤聡美への徹底拒否であることが 証明できないようにするためです。(証拠隠滅罪)


周囲を脅迫し続けて羽生選手本人が証言できないようにさせ、10月まで続いていた裁判で、最も重要証拠となる証拠の隠滅を図り、真実を誤認させ、羽生選手が証言できる機会をつぶし、

羽生選手はもちろん、チームへの偽計業務妨害と、コーチたちや振付師など、そして 事実を書いてきた私への信用毀損と名誉毀損を徹底して行ったのです。


羽生選手とチーム羽生の人間関係と世界からの信用の破壊を仕掛け続けたことは明白であり、さらに、ファンへの騙し情報で、羽生選手を利用しながら、自分の利益だけは得ながら、同時に羽生選手の選手生命を徹底的につぶしにかかったのです。

さらに全日本選手権では、羽生選手の意に反して、周囲を脅迫しながら、羽生選手本人にまで、嘘の証言(NHK杯前に怪我したことにしろなどの嘘、本当は違うショートの曲名の嘘を通すこと)を強要し、それらの嘘をつくことと、羽生選手が断固拒否し続け来た、羽生選手への加害者である伊藤聡美衣装を使うことを「全日本選手権の出場条件にされた」のです。

それが、羽生選手の「この1年、勝つことをあきらめていた」という言葉につながっています。

 

以上のように、何年にも及んだ、衣装デザイナー伊藤聡美の衣装強要とすさまじい侮辱、それを強要し続けながら尋常でない人権侵害を強いてきた「日本スケート連盟会長・長島昭久(東京18区落選・自民党)」をはじめ、ごり押し強要し続けようとしてきた人たちが大いに関係しています。

次々とターゲットを変えながら、常に羽生選手の名前を利用して、堂々と誹謗中傷や嘘と ゴシップをわざと流し続けてこの異常な嫌がらせを 羽生選手にごり押しさせてきた、偽ファンブロガーには御注意下さい。

それらが、下の羽生選手の言葉につながっていきます。自分が作り上げて練習を重ねてきたプログラムがあるのに、全く望んでいなかった曲を滑らされるだの、自分に犯罪を繰り返し強いてきた加害者の技術妨害の衣装を着なければ試合に出させてもらえない、などという 前代未聞の、アスリートに対してあってはならない人権侵害を、耐えぬいて初めて 全日本選手権に羽生選手は出られたのだということを、日本中の全有権者の皆様はよく覚えておいてください。 羽生選手への酷い被害の一部はこちらからどうぞご確認下さい。(クリックどうぞ)  

世の中のどこに、自分に死ね死ね言い続けて 技術妨害を繰り返し、妄想で侮辱し続けてきた人間の衣装を着なければならないような 世界のトップアスリートがいるでしょうか?  それが当然のように、下の言葉にもつながっていきます。こちらでどうぞご確認を。(クリック) 特にフリーは、尋常でない緊張を強いられていたことがよくわかると思いますし、都築コーチも「回転軸」」がどれほど大事なのか、上のインタビューで語って下さいました。

 

さらに、こちらの羽生選手のインタビューの重要発言もどうぞ(UP感謝です!)

「しんどかったです。本当に。・・・なんか、こんなにもスケートが・・・ スケートやめたいなって思いながら練習したことないんじゃないですかね。

でも、こうやって しゃべっている自分は、間違えなく幸せで、間違えなく、寸分の迷いもなく、勝ちをとるんだって思えてるんで」

「オリンピックてやっぱ特別なんですよ。その特別さを知っているから、怖いんですよね。いろんなことを覚悟して、勝ってきたものを、ほんの、ほんの一秒間くらいの油断で、全てがなくなってしまうんじゃないかっていう怖さはすごくあるんです。」

「でも、その1秒間、すべてを積み込める、この瞬間を、全部感じて、全部積み込んで、オリンピックに向けて頑張りたいなって なんか やっと思えました。(笑)」

羽生選手の本当の良い笑顔が出ていて、良かったですね・・・!

 

こちらは、NHKから出された、今回のインタビュー抜粋集みたいなもの(クリックどうぞ)

上の記事は、今まで公開されていなかったものが結構入っていて、なかなかいい抜粋だと思うんですけど、ただ、その中で

「自分がこれまで望んだ未来かといわれたら、率直に違うなと思う。でもきっと、ファンの方々やサポートしてくださる方々の中には、やっぱりオリンピックというものが常にあって。で、こうやって、オリンピックの代表に選ばれて、羽生結弦という存在が勝ちにいくということをずっと望んでくださっていたと思うので、そういう意味ではなんか 新しい朝が始まったなと思っています」

さわやかに語って下さっている、この映像は別の動画でありますけれども、これは、やはり11月のNHK杯などで出られていたら、そしてもし、4回転アクセルを成功できていたら、羽生選手の想いは、もっと早くの引退に傾いていたからであって、それほどの酷い目にばかりあってきたからこそ、というのも大きいし、それが実態だといえると思います。

「3度目の五輪が『望んだ未来ではない』」かのように、このNHKの記事では書かれているけど、それは小さいころからの思い描いていたものにはなかったという意味と、それとは違う計画が自分の中にはあった、という意味であって、本当はもっと早くに、4回転アクセルを達成させたかったし、そうできると信じていたからこそ、の想いです。それを、本来あってはならない形で ひたすら妨害されてきたり、つぶされたり、強いられてきた、という事実がありますので。

「4回転半はしっかり決めたい。昨年とは比べ物にならないくらい、跳べるジャンプ。ちゃんと成功させるための4回転半の練習ができている。やっと目指すべき形だったり、やるべきことみたいなものが完全にまとまってきた」

これは、NHK杯前の昨年の10月に羽生選手がNHKの単独取材に応じて答えた言葉です。だけど、ここでNHKの記事では、まるで誰の何の援助もない「たった一人の練習」であるかのように書かれているのは、ちょっと違う、ということは私は追加して明言しておきます。羽生選手はカナダにいたからです。

「誰も跳んだことがないんですよ。誰もできる気がしないと言っている。それをできるようにする過程は、ひたすら暗闇を歩いているようなもの」

これは、本当にそうだろうと思います。羽生選手はもともと平昌五輪の時点で、未来の身体的リスクをもかなり覚悟した、大変な決断をして、あの金メダルをとったのです。だからただでさえ身体の負担は半端ない。そこに加えて、どうやったら跳べるかの手本や前例のないことに挑むわけですから・・・。

さらに、その中で

「本当は、全日本でおりたかったので。NHK杯の前に、やっと軸が取れるようになって、初めて転ばなくなった。それからケガをして、1か月間でいろんなものを失って、やってきたことが全部失われた。だからそこの1か月の分、神様がくれたのかなって。いいよって。十分苦しんだから、その1か月、もうちょっとプラスアルファで練習しなさいと言ってもらえたのかな」

という言葉がありますけど、羽生選手は、NHK杯の前から、4回転アクセルに成功したら、そこで終わりでもいい、ぐらいの気持ちは強く持っていました。常に身体の限界との挑戦、そのつらさの中で、さらに壮絶な嫌がらせまでされてきたのですから、ここまでやられて あり得ないものを耐え続けて、無理して続ける意味があるのかと、何度も考えたと思います。

そして、この言葉に出てくる「それから怪我をして」と羽生選手が語っている言葉は、「それから、欠場発表を勝手にされて欠場強要をされたその後に、ケガ(捻挫)をしてしまって」というのが、より正しい表現です。

時系列はごまかされてはなりません。欠場発表の時にはケガはしていなかった、が羽生選手の訴えてきたことです。

だけど、その後の怪我も、試合に出られないような、平昌五輪前に何か月も歩けず、氷の上にも立てなかったような大怪我ではありませんし、そして、捻挫はNHK杯前に、勝手に一方的に欠場発表された時よりも後のことであって、たとえ もしそのケガが欠場発表がされる前にあったと仮定しても、羽生選手は、そのままNHK杯の試合に出る決断をしていた、というものでしかありません。(今回の宇野選手みたいに。)

NHK杯の時もロシア杯でも出されたコメントというのは、羽生選手本人の言葉でもなければ、羽生選手の意志でもありませんでした。

実際に、軽い捻挫ぐらいはよくあるという状態で 羽生選手は(選手たちは)ずっと練習してきているわけですが、本当のファンならみんな知っているように、羽生選手は捻挫ぐらいでは試合を休みません。(『ぐらい』っていうのは私の気持ちではなくて、羽生選手の基準です。休めるなら休んだ方がいいのはもちろんですし、今まで羽生選手が感動させてきたような試合の演技というのは、実は捻挫していた状態で挑んでいたことが何度も何度もあります。それを真似していいかというと話はまた別ですけれども・・・。)

欠場発表が勝手にされた後も、試合に出られないような怪我ではなくて、NHK杯にはやる気を持っていて羽生選手は出たかったがゆえに、私に「あれは自分のコメントじゃない」「パンフレットの中身は自分は何も語っていないし、そもそもインタビューをされてもいない」と私に伝えてきて、真実は何かを書いて訴えてくれるようにと頼まれたからこそ、私が代わりに、ここで伝えてきたことですから。

また、「1か月間で全部失って やってきたことが全部失われた。」というのは、一度この嘘の欠場強要と、脅迫と圧力による意図的な練習妨害とによって、羽生選手は4回転アクセルが 跳べなくなってしまった時期があったからです。同時に、自分が想いとこだわりを込めて作り上げ、大事に練習してきたショートプログラムを、勝手になかったことにされて広められたり、羽生選手が答えたわけではないインタビューの内容が勝手にパンフレットにされて広められたりという、あり得ないことを散々やられてきたからです。

「4回転半ジャンプが、自分の手元にいま、駒としてちょっとでも使えるようになってきた中で、それを仲間に引き入れてあげれれば、勝てる。それさえちゃんと一緒に“天と地と”に組み込めて、今の構成が保てるのであれば、絶対に勝てると思える。だから4回転半は自分の武器にしなきゃいけないし、勝つならやらないといけない」

「楽しくない時もたくさんありますよ。やっぱり負けた試合は今でも見たくないですし、見ないですし、楽しくない。もちろん反省はするけど、でもやっぱり勝ったり、自分の目標が達成できたり、自分がイメージする演技ができたりした時ではないと楽しくはない。その達成感をえたいがために、毎日練習を頑張れている」

技術面でも、表現面でも、人生をかけてやってきた、そしてこだわって作ってきたプログラムを誰かに勝手に破壊されるというのは、羽生選手にとっても耐えがたいことです。本気で取り組んでいる人なら、誰だって耐え難いことです。

「スポーツが持つ力というよりも、アスリートの力という方がしっくりくる。アスリート自身がどれだけ努力したか、どれだけ真摯(しんし)にスポーツというものに、競技というものに向き合ってきたか。何となく伝わってきて、そこに共感を得て、そこに自分を重ね合わせるだけじゃなくて、その人の感情が何となく伝わってきたりとかして、感動が生まれる。僕自身、4回転半をやってる時に難しすぎてどうしたらいいのかなとか、本当にできないなと苦労したり、もう何もかも投げ出して逃げ出したくなる時ももちろんあるが、それって、たぶん、社会で生きていらっしゃるすべての方々が、大なり小なり同じような感覚を抱えている。それをそのアスリートが越えていく姿だったり、そこで苦しんでいる姿だったり、そういったものに何かを感じるのかなと思う」

「心はシーズンごと、その試合ごとに変化しうる。例えばピョンチャン。勝つ事がすべてだとあの時は思っていた。絶対に自分が進化し続けるんだという、その進化への気持ち、向上心をすごく大切にしている時期もあった。自分の今までのスケート人生を振り返っても、新しいジャンプを跳びたい、早く回転数を増やしたい、それが跳べた時がすごく楽しいという部分もあったり。逆に表現したり、自分がプログラムを演じている時にすべての方々が自分の事を見て下さって、その方々に何か感じてもらえたらうれしいという自分もいたり。さまざまな自分がいる」

「平昌五輪の時には」勝つことが全てだと思っていたかのような言葉が載っていますけど、当時からファンだった人たちはきっと覚えているように、平昌五輪のために空港に降り立った直後のインタビューで、金メダルはもちろん狙いに行くけれども、「でも、それだけじゃないんで」ということは、ハッキリと語っています。前から私はこれを何度も書いているし、それこそが羽生選手の本当の勝因だったと断言してきたけれども、いつもあらゆるマスコミがなぜかこれを絶対にカットしますけど、日本の中に反韓国・嫌韓国の人たちがそれなりの割合いて、平昌五輪前は、なぜかその人たちの優越感を満たすためかのように利用されたり使われてしまうことが時々あった 羽生選手でしたけれども、それとは全く違った想いをもって、羽生選手は平昌五輪に臨みました。

その、「それ(金メダル)だけじゃないんで」と平昌五輪前に語った、試合直前の空港での映像は残っていますよね。さらっと語っているけれども、それこそが羽生選手の大事な本音だったので。

羽生選手は当時から、これは誰よりも強く使命感としてもっていたことだと私は知っているし、だからこそ、本来なら出られないほどの状態を無理してまで、平昌五輪に出る決断をしたのです。だけど、平昌五輪の時は、「絶対に勝たないといけない」という気持ちとプレッシャーを持っていたのは確かで、その想いがとてもとても強かったと思うので、今と比べれば、そのことを指して「勝つことが全てだった」という表現になってしまうと思います。もちろん試合に出る以上は、前回の五輪金メダリストなのですから、金メダル以外を狙うということは、普通にあり得ないわけですが。

一方で、4回転アクセル成功を目指すには、いつだって 非常に高いリスクを覚悟しないとできませんので、試合で勝つことだけが全て になっていたら、そもそも初成功者になるような挑戦は 今までもできなかったわけで、だけど、挑戦し続けなければ、初成功者には もちろんなれないというのが紛れもない現実ですから。


「ただ、自分の理想を追い求めるとともに自分だけの価値観に固まってしまうのではなくて、本当に違う価値観を持った誰かが、自分のスケートやジャンプやいろんな技術的なものを見た時に、やっぱりうまいなって。感動しなくてもいいので、これが羽生結弦だなと思ってもらえるような演技を目指したい」

自分が伝えたい想いが伝わらない人、絶対に受け取らない人、絶対に認めない人たちというのもいる。

でも、そういう人たちには、だったらなおさら、アスリートとして、「技術の部分」だけでも、羽生選手らしさが伝わって、それを発見してほしい、そこを認めてほしい、と羽生選手が願っている気持ちが出ていますね。

だからこそ、本人の希望と違う、技術妨害になる衣装というのは、アスリートに対しては、絶対にあってはならないのです。

 

こちらは、別の番組の映像です。いいことを沢山語っているのでそれを抜粋した映像にしてくださっています。

 

「…袖を通した時に、勝つんだ!って、勝ちに行くんだって、なんか久しぶりに闘志がもえたんで、なんかわくわくしています。」

「オリンピックだなって思うんですよ。 いわゆる 日本スケート連盟から支給される「競技の」ジャージじゃなくて、オリンピックのためのユニフォームがあって… それを着た時に、オリンピックだなって、覚悟きめて 勝ちに行かなければいけないなって なんかすごく、心の底から思えて、本当にその気持ちが、なんか、あ、こんな楽しい気持ちだったんだ!って思って… なんか、すごい嬉しいんですよね。はい。」

4回転アクセルは振り返ってどうですか?

「まあ、もちろんまだまだです。ただ自分の中では、転倒なく、軸をきちんと作ったうえで  回転が、下で足りない分、補完してしまいましいたけど、まず形として、ちゃんと4回転半を組み込んで、それが『天と地と』というプログラムの中にちゃんと溶け込んでいるっていうことに関しては、非常にいい手ごたえがあったのではないかな、と思います。

あとは、大きかったのは本番で4回転半を入れることの難しさと それに対する、ある意味、オリンピックへのシミュレーションみたいみたいな感じ。

4回転半を入れるっていうのは こういう体力が必要なんだとか 練習とは違って 本番一発という… 体調管理もかなり違ってくるので、そういったことが学べたのもかなり大きかったです。」

4回転アクセルの理想形は?

「しゅってやってパッと降りていれば、それは理想ですよ。それが難しいのがわかっているんですけれども、でも そこに行きつかないと 試合では難しいなと思っています。」

挑む理由は?

「もちろん自分が、小学校ぐらいの時に 跳びたいって言ってしまったジャンプっていうのももちろんあるんですけれども、なんか、本当に4Aと向き合ってこうやって色々練習していく中で、そんなん、どうでもいいなって思う時が、いっぱいあるんですよね。

自分が言ったから何? 別にもういいじゃん、ここまで頑張ったじゃんって。頑張ることに意味があるっていう気もしなくはないんですけど、それは全部が結果でるとは思っていないんですけど。

でもなんか最近思うのは、今の自分が思っているのは、やっぱり、皆さんに託されてしまったなって、皆さんがそれを期待して下さっているんだなって。だから、そんな「羽生にしかできない」って言われたら、僕がやるしかないじゃないですか。見せたいじゃないですか。

本当にそうだよって、それを裏切りたくはないんですよね。 やっぱり、皆さんの想いこそが、今の自分の原動力です。」

羽生選手が目指すものが、沢山の人が望むものに変わって言っている気がするんですが・・・

「大変ですけれどもね。でも… そうやって期待してもらえるから、頑張れるんだと思いますよ。 なんか、『生きているな』って思っています。」

北京五輪で跳ぶ4回転アクセルについては?

「なんか あの…今までずっと『初成功』ってばっか思ってたんですけど、それよりも、いや必要だろって思っています。本当に、それがないと勝てないって、なんか 自分の気持ちとか自分の頭の中をこうやって話して整理するたびに思っています。だから、勝つために跳ぶんだって、別に初成功だからどうのこうのって、そんなの関係なく、勝つために跳んで、勝ちに行くんだって思っています。」 

「僕にとっては、2連覇した自分にとっては、もう、勝ちしかないんで、金メダルしか、たぶん、価値がないとは言わないですけど、僕にとってはそこしか目標はないので しっかりアクセル跳びきって、勝ちたいなって思います。」

「ありがとうございました」

羽生選手と村上信吾さんの対談インタビュー動画 クリック(UP感謝です!)

「これで世界が終わってしまうんじゃないかぐらいの、(4回転)アクセルの練習をしてきて、自分で問いかけたんですよね、 『ホントに終わるの?お前』って。もしオリンピックに、僕の目指すゴールがあるのであれば、今はそれを全力でとりにいかないといけないなって。」

別世界で滑られている印象でした

「4回転半っていうのはもちろん、誰もやったことがないものですし 正直、4Aって自分の夢なんですよね。ハッキリ言ってしまうと。自分が消化しきれなかった気もちの塊みたいなもの。未練たらたらな男みたいですけど(笑)やっぱりこれから練習していって、初の成功者になりたいなって思いながら練習していきます。」

「結構折れているんですね、自分の中で。結構もういいかなって思うことはあるんですね。ただ、諦めるのが怖いっていうか。今まで自分がすごく熱意をもってやってきたことが、あ、できなかったなって思いながら、ふと後ろを振り返った時に、自分が、『お前ホントにやめちゃうのか、今までやってきたこと、全部捨てちゃうのか?』ってお前、あきらめないんだったらとことんあきらめないで、しっかり何ですかね、この気持ちを、成就させたいですね。」

「今回は、実は全日本にかなりピークをもってきていたんですよ っていうのも、4回転半降り切りたいっていう気持ちも強くありましたし、そんなピークを出し惜しみしている場合ではなかったんで。完全に今がピークなんですよ。でも、思ったんです。ピークって誰が決めるんですかね? ここがピークって自分で決めつけたら たぶんここがピークなんだと思うので いいんですそんなの、関係ないです、また強くなればいい。」 

「プレッシャーがやっぱり違いますね。僕の中では 2連覇が夢だったんですよ。

で、ホントに、ここまで覚悟決めて、その・・・なんか、自分の人生のいろんな覚悟を決めて、残してきた「2連覇」っていうものが、もしかしたら 3連覇を狙った時に消えちゃうんじゃないかっていうプレッシャーまでかかってくるわけですよね。

せっかくここまでとったのに。だからその怖さは、それまでとは桁外れにありますけれども、ただ、皆さん本当に期待して下さるんで。皆さんの想いを受け取って、それを原動力に また頑張っていきたいと思います。」

 

宝物を問われて

「やっぱり 自分が初めて全日本という舞台で、まだ小学校4年生でしたけれども、優勝できた時(2004年)ですかね。やっぱりその時が一番 自分が頑張ってきて良かったなって思えた時ですし、またその後に、自分が本拠地としていた練習リンクがなくなったりとか、色々、谷底ばかり自分は人生で見てきたなと思うけれども」 

「それでも、こうやってずーっと支えていただきながらこうやってスケートをやっているんで、あの瞬間が宝物だけど でも、あの瞬間だけじゃなくて 支えて下さっている皆さんが 宝物だなって やっぱり思えるような人生を今 歩んでいます。」

 

 

羽生結弦「五輪は発表会じゃない」男子94年ぶり3連覇へ決意表明「勝たなきゃいけない」 : スポーツ報知 (hochi.news)

上のスポーツ報知記事より

―昨日の会見で、優勝目指すと。3連覇を決意したのはいつ

 「3連覇を決意したのは、えー、このジャージを、選考会が終わって、選考委員会が終わって、ええ、まあ代表に選んでいただいて、で、ジャージを頂いて、で、記者会見に行くっていうところですかね。やっぱ、そのジャージに、その腕を通した時に、『あ、これがオリンピックだな』って。でも、自分はやっぱり2連覇っていうものをすでに持っていて、それを失うことは確かに怖いんですよ。負ける確率のほうが、間違いなく平昌オリンピックより高いと思いますし、今のところは。ただ、このユニホームを着た時に、『あぁ、これは勝ちに行くんだな』『勝ちに行かなきゃいけないんだな』ってなんか改めて、思わさせて頂いたように思います」

 ―同じ東北で同じ年齢の大谷翔平の存在について。刺激を受けるか

 「あの、正直フィギュアスケートの、その全盛期って、23歳だったり24歳ぐらいが全盛期みたいな感じで思われていたんですけど。やっぱり野球とか見ると、もっと…何ですかね、30歳代の、30代前半の方があの本当に、脂がのってていい時期だとかっていう話を聞いたりだとか。実際に自分の…同年代でいいんですかね、完全に。完全に同年代の選手が、ああやって、今まで史上1番多分いい出来の、あの状態を、保っているところを見たり、また手術後で、本当に大変だったり、前人未到のことを自分で切り開いてやっているところを見たり、本当に僕自身、勇気づけられて。僕も、まだ見ぬ世界かもしれないですけど、4回転半というものに、まあ1人で、ある意味1人で挑み続けているので。本当に勇気をもらっています」

 ―昨日の取材の中で、4Aについて自分の描いている将来の時よりも遅れていると。描いていた4Aの成功のスケジュール、過程は?

 「正直、平昌後、次のシーズンに降りれると思ってました。ふふふふっ。それぐらい、アクセルには自信がありましたし、あの4回目半というものが、そんなに大変なものだっていう風に自覚はしてなかったです。ただ、やっぱり、えぇ怪我があったりとか、色んなことがあって、なかなか4回転半に集中できない時期があったんですけど。集中してやればやるほど、怪我が常につきまとう。そして集中してやればやるほど、4回転以降回る事がどれだけ大変かということを、なんか改めて痛感した、ええ~、この4年間だったんじゃないかなというふうに思っていて。まあ実際今、4回転半回しにいってますけれども、こうやって軸が取れるようになったのもほんとにここ最近の話なので。本当大変だったなって思ってます」

 ―4回転は。1日何本までと決めている

 「あー、そうですねぇ。具体的な本数で決めているわけではないです。ただ、その時の体調次第によっては、えぇまあ『4回転半じゃなくていいぞ』っていう日ももちろんありますし、ただ、その4回転半のために、じゃあトリプルアクセルどういうふうに練習して行くかっていうことだったりとか、そういった面で、『じゃあトリプルアクセルは今日何本にしよう』とか。または、じゃあ4回転半じゃなくても、4回転ジャンプで同じような感覚を何かつかめるものがあるんだったら、じゃあ4回転ジャンプをそのトリプルアクセルの後に何回挟んでいこうとか、そういったことは考えてますね」

 ―4回転半への想いをずっと言葉に続けてきた。昨日初めてオリンピックで勝ちに行くと口にした。言葉の力とは

 「はい、ええ…まあ僕自身、ずっとここまで競技をやってきて、有言実行は絶対したいなって言う風に思ってきました。だから、まあある意味自分の言葉が鎖だったり、プレッシャーだったりはするんですよね。それがあるからこそ、僕は絶対にそれを達成したいってずっと思い続けているわけであって。あきらめないでやれるのは、そういう言葉たちのおかげなのかなっていうふうに思ってます」

 ―自分で言葉にすることでより自分を勇気づけられる面もあるのか

 「僕の場合は勇気づけられるとかっていうことよりも、整理ができるって言う方が近いです。自分の気持ちだったりとか、自分が考えているプランだったりとか。または、自分が今どういう感覚でジャンプをしたのかとか、そういったことを声に出すことによって、なんか整理されていい結果が出てくることが多いです」

 ―ソチと平昌みたいな熱量は無いと以前言っていた。ジャージに袖を通した瞬間に切り替わったと。なぜ?

 「(笑い)そうですねぇ。やっぱり、まあ、昨日の会見…会見っていうか囲みでも、話させていただきましたけど、やっぱ悔しかったんですよね。そのー、qぐらまでの、q判定(4分の1回転不足)ぐらいまでのところに行って、やっぱ跳べなかったっていう。なんかそこで終わらせてしまうことへの怖さだったりとか。またはやっぱり、その、自分が跳べるって言ってくださる方への、なんか裏切りみたいな感じにも思ってしまったんですよね。それがじゃあ果たして自分がやらなきゃいけないことなのかって言われたら、分かんないんですけど。でも、やらなきゃいけないかどうかわかんないですけど、義務かどうかわかんないんですけど、でもそれができるって言ってださる方がいらっしゃるんだったら、やっぱ僕は諦めずにやらないとそれはみんな皆さんへの裏切りになってしまうなぁっていう、ふうに思えてたので。まあ、全日本に行くにあたって、ここではやめられないなって。北京オリンピックまで、覚悟を持ってやるつもりでやんなきゃいけないなっていうふうに思いました。で、またなんかそのオリンピックって、やっぱり発表会じゃないんですよ。やっぱ勝たなきゃいけない場所なんですよ、僕にとっては。やっぱり2連覇していることもあるので。2連覇は絶対失いたくないし。だからこそ、また強く、決意をもって、絶対に勝ちたいなって思いました」

 ―昨日、今のままでは勝てないと言った。どうしたら勝てる

 「まあ単純に、あれに4回転半をしっかりGOE(出来栄え点)プラスでつけれる構成にしたいです。まあ、はっきり言って4回転半と、例えばルッツとか、ループとかっていう構成は、現実的ではないと思うんですね。で、またここから1ヶ月ちょっとしかない状況の中で、やれることは多分アクセルぐらいだと思っているので。しっかりアクセルも練習してって、あとはショートに関しても、まだ完璧なところではない…ので全く。サルコーぐらいですかね、よかったなと思えるのが。だから、それ以外もっと、ええ、まあ点数につながり切るかもどうかわかんないですけど、ただ、あの詰めて詰めて練習したいなって思ってます」

 ―体の衰えを感じていると言っていたが、どんどん上手くなっているように見えるのだが

 「ハハハ。あのう、なんか、20…そうですね、24歳5歳位の時ですかね。あの、すごく成長が止まったなって思った時期と、あのー、フリーが通せなくなったなっていう時期と、結構あったんですよ。でも、僕多分今、一番うまいです。間違いなく。それは、多分トレーニング方法が自分で確立できるようになった。自分でプランニングできるようになった。そして、羽生結弦にとっての、フィギュアスケートのトレーニングが、どういうものかっていうことが、確立されて、それを実行できるようになったのが1番大きいんじゃないかなっていうふうに思います」

 ―2年前のグランプリファイナルで理想の羽生結弦は9歳の頃の自分だと。そういう無邪気な自信が、4Aに立ち向かうのに必要か

 「あー、あの頃の自分の強いところは、勝てるところです。だから…そうですね、4回転半に対して、じゃああの頃の自分の気持ちが、アプローチが効くかって言われたら、そうではないかなっていう。あの頃の…何ですかね。『何やっても勝てる』みたいな自信が、あのう…なんて言えばいいんだろう…勝つことに関しては、一番必要なんじゃないかなって思うんですよね。ただ、そういうふうな自信を持てるっていうのは、やっぱ、あの時なりに、すごく練習してたからなんですよね。『誰よりも練習して』るって思いましたし、『誰よりもうまい』って思いながら練習できましたし。だからそういうのが、オリンピックって、もっともっと必要になる場所なので。まあもちろんアクセルも含めて、しっかり練習して行きたいなあっていうのは思ってます。で、やっぱりあの時の自分が一番強いなっていうか、一番…強いって言い方が……なんか、さっきの話とちょっとごっちゃになってあれですけど、技術的には、今が間違いなく、今が一番強いです。ただ、精神的にはあの頃が一番強くて輝いてるなって思えるので。あの時の自分を大切にしたいなっていうふうには思っています」

 ―4回転半のアプローチが違うというのはどういう趣旨か

 「自信があれば跳べるものじゃないんですよね。へへへっ。やっぱり無邪気に、がむしゃらにやって跳べるジャンプじゃないなっていうことを、この4年間ずーっとぶち当たりながら考えてきたことなので。だから…どれだけ緻密に計算できるか。どれだけ緻密に、戦略を立てて計算をして、その4回転半という成功を、つかみ取れるかっていうことが大事だと思っているので。その点に関しては、今の方が間違いなくうまいです」

 ―去年は体重を増やした。今年は減らしているのか

 「いや、減らすつもりは…減らすつもりはなかったっていうか、増やすつもりもなかったというか…。そうですね。なんか中途半端ところなんですけど。ええっとー、正直自分の中では、もうちょっと減らせたかなって思って全日本に入りました。もうちょっと軽くてもいいんじゃないかなと。ただ、あのー去年の、体重から比べてみたら、そうですね、全日本に関しては2キロ位。あー、2キロまでいかないかな。1キロぐらいですかね、減ってますし。世界選手権と国別に関しては3キロ以上減ってます。まあどっちがいいかわかんないです。世界選手権と国別に比べて。ただあの、それがどれが正解かは分かってないです、はい」

 ―長らく仙台で調整してきたが、改めて故郷で過ごしてきた感想を。けがのとき心の支えは?

 「う~ん、まあやっぱり、今埼玉にいたりとか、まあ試合で遠征に行くことは多々ありますけれども、やっぱ仙台の街並みって、自分の中に常に残っている町並みで。まぁもちろん都市開発があったりとかして、どんどん変わっていくところはありますけれども、やっぱりそこに懐かしさがあるだけでも、やっぱり心がホッとするというか。すごく温かい気持ちになれてます。ええ…と、ちょっとまあ、けがの時期とか大変なことももちろん、もちろん自分の人生の中には、大半が怪我で苦しんだりとか、まあ大半がリンクなくなって練習できなくなってるか。本当に、そういう苦しみが沢山ありましたけど、でも、うん…なんかこうやって今生きて、皆さんの前でしゃべって、誰かの前で演技をして、どっかの誰かが自分の演技を見て何かを感じ取ってくださっているっていう瞬間が、本当に素敵だなって思えるので。もうそのことの幸せを、常に感じていたらいいなあって、なんか自分の中では思ってます、今」

 ―これからも仙台で調整するのか

 「そうですね。仙台で頑張ります。たぶん、たぶん(笑い)」 

 ―取材終了の時間です。

「すみません、ありがとうございました。またよろしくお願いします、みなさん」

 

 

同年代の他競技の選手たちの活躍を見て

「正直フィギュアスケートは23歳だったり24歳ぐらいが全盛期みたいな感じで思われていたんですけど、野球とか見ると30代前半の方が脂が乗っていい時期だという話を聞いたりする。同年代の選手が、ああやって、史上一番いい出来のあの状態を保っているところを見たり、また手術後で、本当に大変だったなか、前人未到のことを自分で切り開いてやっているところを見たりすると、本当に僕自身、勇気づけられる。僕も、まだ見ぬ世界かもしれないですけど、4回転半というものに、ある意味一人で挑み続けているので、本当に勇気をもらっています」

 

 

 

このページはまだ追加されるか、その2として  続きの他のインタビューを出す予定です。