「キノコ雲の子」、原爆投下の米国で疑問投げかけ 長年口閉ざす被爆者に勇気 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - 勇気ある証言者がどんどん増えていきますように!
羽生結弦と私の使命を 今日まで「殺害脅迫」を多数の実行犯を使ってまで徹底妨害してきた脅迫の首謀者は、靖国神社を推奨し、ナチスドイツを絶賛してきた「日本人」です。決して他国の人間ではないという事実を、日本人は知っておく必要があると思います。
2024年3月31日:イースター(復活節):このページのメインを公開したのは、2020年4月が初公開。
このページの前提となっている証言は、以下のもので、読んだことのない方は、先に下の2つを、お読みいただけますと幸いです。
2024年「春よ、来い」「SEIMEI」の源、羽生結弦の決意と「Origin」の証言ーー爆心地付近の奇跡の生存者、その孤独な生涯から羽生選手に託された「幸せのかけら」と、『世界で一番尊い使命』
第8回:羽生結弦と「幸せのかけら」~ 爆心地付近の奇跡の生存被爆者となって生き抜いた方が、私たちに託したものと真実の宝
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2021年1月9日: このページは、羽生選手にとっても私にとっても「数字ではなく、魔法でもなく かけえがえのない」生命への想いの原点の一つとなっている出来事を、ご紹介しています。
もし、あなたが真珠湾攻撃の犠牲者のご遺族であるアメリカ人だったとして、日本への原爆投下を知った時、どんな想いになったかを、少しだけ想像してみて下さい。嬉しいでしょうか、悲しいでしょうか。「原爆」の単語を聴いた瞬間に猛烈な拒絶反応で号泣されてしまうほどなのは、誰よりもその痛みや悲惨さをも理解できてしまうからこそ、悲しみが心の許容量を超えてしまうからだろうと私は思いました。
同じものを見たり聴いたりしても、受け取れるものや理解できるもの、感受性や心の角度が、これほどまでに人によって差が出て、平気で踏みにじる人もこんなにもいるのだとわかった時、これほどの嫌がらせと酷い人権侵害や犯罪被害も試練も乗り越えることの出来る 覚悟と思いやりをもった羽生選手を選んでいた神様のご計画の凄さと完璧さには、改めて畏敬の念で震える想いにもなります。痛みと悲しみの本当にわかる人に出会え、共に担うことを強く強く希望してくれる人に出会えたことは、私にとっては幸いで有難いことです!
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初回掲載:2020年4月
これは、「奇跡の生存被爆者Bさんから、羽生選手に託された『幸せのかけら』」の記事の、さらに補足となる証言です。数々のプログラムの背後にある真実と、神様による驚異的なまでの「奇跡の軌跡」のうちの、ほんの一部に過ぎませんが、ご紹介いたします。
ーー奇跡の生存被爆者だったBさんから、「幸せのかけら」となる想いを託されてしまった私は、しばらくは、話すべき機会に出会うことはなかったのですが、ある時から、アメリカ人の方々に囲まれて、話すチャンスが与えられた、と思うことが、何度かありました。
(ああ、今こそ、チャンスかも!)と思った私が、原爆の話を始めると、皆、耳を傾けて聴こうとして下さるのですが、その「原爆」という単語を出した途端に、聴いている人々の中から、必ず、誰かひとり、泣き出したり、猛烈な拒絶反応を起こす方が出てしまい、話を続けられなくなりました。
そして、そういった「拒絶反応を起こす人」というのは、必ず、「真珠湾攻撃により、肉親や家族の誰かを殺された人」だったのです。
皆がその人を慰めようとするため、その場の雰囲気も一瞬で変わってしまい、その後は原爆の話など、続けられなくなりました。
真珠湾攻撃(ハワイ)と、ヒロシマやナガサキに投下された原爆による、それぞれの犠牲者数は、数での比較で言うならば、原爆投下による被害者数の方がもちろん多く、そもそも桁が全く違います。
しかし、誰か大事な人や身内を殺される、ということは、その「誰よりも大切な人」がたった一人でも失われたら、その人にとっては、何にも代えがたい痛みであり、その事実こそがこの世の全てであって、その人の人生や未来を、根底から変えてしまうほどの重みをもつので、
「他にどのくらいの数の犠牲者がいたか」とか、「どんな規模だったか」などは、結局、その「大切な人」を殺された方にとっては、一番の問題点ではなく、そのような事情は関係なくなるというのは、普通に想像力のある方々なら、わかることかと思います。
「私は、真珠湾攻撃で、身内を殺されたの!」と 泣きじゃくる方を見つめながら、「一人の生命の重み」「大切な人を殺されることの壮絶な辛さと悲しみ」を前にしたら、たとえそれが「原爆」という史上最悪のもので、原爆が非人道的だろうが何だろうが、「自分の大事な、たった一人を殺された」相手にとっては、問題ではなく、ただその事実こそが、ひたすら、相手の心を全てをシャットアウトさせ、当然のように聞く耳をも塞いでいくのだということを、痛烈に思い知らされました。
そして、それがその人にとって、無理もないことだということは、もちろん私にもよくわかるのです。
戦争という悲劇のあまりの重さーーそのあまりの途方もなさに、私は、自分の胸がつぶれそうになるだけでなく、巨大なものに押しつぶされていくような気持ちになりました。
私自身はもちろん、後世に日本に生まれた一人であって、生まれる前の時代の戦争責任などありません。
でも、こういう場では、まるで「日本代表」みたいになってしまうため、このような展開を何度か体験すると、日本人として、本当に本当に、言葉に表現し難いほどの「悲しみ」に打ちのめされました。
そして同時に、Bさん本人が伝えることが、どれほど辛いことになるのかを、嫌というほど理解しましたし、Bさんはやはり、何度も自分で語るのではなく、誰かに託す他はなかったのだということもよくわかるようになり、だからこその重責も強く強く感じました。
何より、やっとの思いで私に証言を託していった、奇跡の生存被爆者だったBさんの想い、その壮絶すぎる生涯を思い出すと、結局、何も伝えられないでいる自分が情けなくもあり、Bさんにも申し訳なくて、伝えられるチャンスが生じかけても、このような形でつぶれていく、戦争のあまりに重すぎる現実と立ちはだかる壁のあまりの大きさの前では、なすすべもないように思え、本当にあまりにもやりきれない気持ちで、押しつぶされるような感覚にもなり、息をするのも苦しくなるような悲しみを感じました。
その日、もはや、被爆者の話など続けられる状態では全くなくなってしまったのを見て、人々の目を避けるようにして、私は一人でそっとその場を離れ、別の部屋へと逃げていきました。
Bさんが、最後に私の手を、その両手でギュッと握りしめてくれた姿を思い出すと、その期待に応えられない自分や、繰り返されるこういった状況に涙が止められず、(神様、こんなことは、やはり私には無理です…!)と強く訴える他ありませんでした。
(せめて、この場に真珠湾攻撃のご遺族の方が居合わせなかったら、もしかしたら、他の人たちには、Bさんの話を伝えられたかもしれないのに…)
思わず、そんな風にも思え、でも一方で、なぜか毎回、真珠湾攻撃による犠牲者のご遺族の方がその場にいて、証言が阻まれていくことが、ただの偶然ではないことを明確に感じとりました。
(神様のご計画として、このこと自体にも、何かとても深い意味があるのでは…?)
この日、私は、別の部屋に逃げるように入った後、その片隅で激しく泣きながら、神様に必死で訴え、切実に祈りました。
(神様、私はどうしたらよいのですか…?! なぜいつも、あなたが下さったチャンスだと思ったその時に限って、真珠湾攻撃の犠牲者のご遺族がいるのでしょうか…?私はいったい、いつ、だれに、あのBさんの話を 伝えれば、使命を果たしたことになるのでしょうか…?!)
ーーーすると、突然、私しかいなかったその部屋のドアが開いて、一人の見知らぬ男性が入ってきました。本当は、誰にも近づいてきてほしくなかった私は、ますますどこかへ逃げたくなりました。
しかし、見知らぬその男性は、おずおずと私に近づくと、こう尋ねました。
「あの…失礼ですけど、あなたは、日本人ですか?」
はい、そうです、と相手の顔も見ないで下を向いたまま答えた私に、この男性はさらに、こんな質問をしてきました。
「失礼ですけど… なぜ泣いているのか、教えてもらえますか?」
誰とも話したくなかったのですが、丁寧に質問され、横で待たれているので、仕方なく私は答えました。
ーー広島原爆で、幼児の時に奇跡的に生き残った被爆者の女性から、その思い、生涯の証言を託されたこと。今まで何度か、それを伝えようと試みたけど、なぜかいつもその場に真珠湾攻撃の犠牲者のご遺族の方がいて、先ほどのように泣かれてしまい、結局、伝えられる状況ではなくなること。
確かに真珠湾攻撃は日本の攻撃によるもので、殺したのは日本なのだから無理もないーーーでも同時に、私に証言を託した、奇跡の生存被爆者だった方の、辛すぎる生涯を思うと、あまりにも やりきれない気持ちになること。これは自分の使命なはずだけど、これほどの重い悲劇を前に、どうしたらいいのか、全くわからない気持ちになること。
ーーーここまでを私が説明し終えた時、この男性は、とても大きく頷いて、
「ええ、あなたの気持ちは、とてもよくわかります…!」と答えたのです。
私は思わず、(…え、本当にわかるかな…?) なんて、思ってしまいました。外国の人には、とても原爆のあの悲劇の壮絶さなんて、想像もつかないのでは、と思ったからです。
でも、その次にこの男性が言った言葉は、私が全く予想もせず、想像さえできなかったものでした。
「実は私は、ポーランドからきたユダヤ人なんです。私の親族は、ホロコーストの生き残りだったのです。私たち家族も、この悲劇を、真実をなんとか伝えようとしてきました。 だから、あなたのお気持ちは、とてもよくわかります。」
私は思わず、耳を疑いました。突然、部屋に入ってきた見知らぬ男性が、まさかの『ポーランドから来たユダヤ人』で、しかも、『ホロコーストを体験したが生き残った方の親族』だったと知った私は、あまりにも驚きすぎて、聞き間違えではないかと思い、2回も、その言葉を確認しなおしたほどです。
(なぜそんな人が、今、私の目の前に…? 神様、これはいったいどういうことですか?)
その男性は、私の横に座っていいかと尋ねてから座ると、目頭を熱くしながら、私に向けて、真剣に語りはじめました。
「私自身は、ホロコーストの生き残りなわけではありません。でも、そうやって生き残った人間が家族・親族にいるので、その悲惨な実態を、何度も聞かされてきました。
自分は『本人』じゃないけど、それを伝えなければいけないーーそう思ってきました。だから、あなたと本当に同じ立場なんです。
私たちの家族は皆、その真実を、なんとか少しでも多くの人に伝えよう、話そう、理解してもらおうと、過去何十年も、努力してきたのです。
しかし、残念なことに、何十年もの間ずっと、人々は、僕たちの言葉には、全く聞く耳をもってくれなかったのです。ーー」
「何十年もの間」と聞かされ、私などまだまだ及びもしないと感じて、言葉もありませんでした。原爆とホロコースト以上に残虐なことなど想像もつかなかった私には、あのホロコーストを実際に体験し、生き延びたユダヤ人の方々の想いなど、想像しようとしただけでも、本当に気が遠くなりそうでした。
「ーーだけど、何年か前から突然、それが変わってきたんです。ある時から突然、真剣に聞いてくれる人たちが、少しずつ、出るようになったのです。それまでは、何をしても、何十年もの間、無駄だったのに…!」
そして、男性はさらに こう力説しました。
「ーーだから、あなたもきっと、この先にチャンスが来ます。
神様は、必ず『時』を用意しておられるのです…! すべてのことには、時がある。だから、その『時』が来るのを、もう少しだけ待って、必ず、その日が来るから、決して失望してはいけないよ…!」
その男性は、笑顔で私にそう言って励ますと、それを最後に立ち上がって、ドアに向かって歩いていきました。
ーーー「全てのことには、時がある」というのは、旧約聖書の、非常に有名な言葉です。
「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(旧約聖書 コヘレトの言葉(伝道者の書)3章1節 新共同訳より)
励まされてとても有難かったし、その通りだなとも思ったのですが、同時に私は、(でも、それは一体いつのことになるんでしょうか、どのくらい先なのですか…?)と心の中で、神様に問いかけました。
すると、部屋を出て行こうと、ドアを開きかけたその男性が、ハッとした顔で天井方向を見上げ、それから、パッと私の方を振り返って、私に向けて、笑顔でこう言いました。
「ああ、その『時』は、もうすぐ来るそうだよ! ーーあなたの待っている その『時』は、もうすぐそこまで来ていると、たった今、神様が私にそう教えてくださった!良かったですね!
今、確かにあなたに伝えましたよ! 楽しみにしているといい! その『時』は、もうすぐそこまで来ているそうだからね!すぐ、だよ!GOOD LUCK!! 」
ーー突然言われた言葉に、あまりにも驚いて目を丸くしている私に向かって、その男性は自信たっぷりに私に微笑んで、天を指で指し(※天地創造主の神様のこと)、神様がそう教えてくれたと私にジェスチャーでも伝え、笑顔でドアを開けて、部屋から去って行きました。
なぜかあの場に、ポーランドから来たユダヤ人男性が居合わせていて、神様はこの男性を通して、私が神様にぶつけた質問に、すぐに答えて下さったのです。
こうして、見ず知らずのユダヤ人男性に、想像もできなかった形で励まされてしまった私は、あまりにも驚き過ぎて、しばらくはその場で茫然としていました。
「時がもうすぐそこ」だと言われたことも、どのようにそれが実現するのか、本当にそんなチャンスが来るのか、全く想像も出来ませんでしたが、私の嘆きをすぐに聴いて下さり、わざわざこの人を送って下さった神様の采配には、心から感謝しました。
そして、この時にようやく、(もしかして、日本の被爆者の方々の状況や想いを、この世界で一番理解できる人たちというのは、ホロコーストの生き残りのユダヤ人だということなのかもしれない… )と、感じ始めたのです。
さらに、奇跡の生存被爆者だった「Bさん」の想いを「本当に」「伝わるように」「伝える」には、やはり 「真珠湾攻撃」の問題を無視することはできず 少なくともBさんの想いを少しでも伝えていくには、これはいまだに非常に大きく立ちはだかっている壁であり、そこが何か、かなり大きなカギになっているのだということを、神様が明確に教えて下さったことを確信したのです。
私はこの時、既に羽生選手に出会っていましたし、羽生選手の誕生日が、12月7日であることも、知ってはいました。
でも、この羽生選手の誕生日が、時差の関係で、アメリカにとっては実は「真珠湾攻撃の日」になっていることには全く気が付いていませんでしたし、これらのつながりと、神様の想像を超えたご計画には、全く気が付いていませんでした。(日本は時差の関係で、真珠湾攻撃は、翌日の12月8日なのです。)
羽生選手が、フィギュアスケートの天才であり、プルシェンコの後継者であることはよくわかっていましたし確信していましたけれども、Bさんから、その証言を託された年に、私が「見つけなければいけない」使命があると告げられた、「圧倒的にとんでもない条件」に該当する人物が羽生選手になるということは、まだ全く気が付いていなかったのです。
そもそも、この2つが同一人物になるなどとは、想像さえしていなかったからです。
ーーーしかし、この言葉は現実に、確かにこのすぐ後から、本当に全く想像さえも出来なかった、驚異的な形で次々と実現していくことになったのです…!
この言葉を、私に伝えて励ましてくれたユダヤ人男性が、「メシアニック・ジュー」(ユダヤ人だが、イエス=キリストを救い主と認め、受け入れた人々)であった可能性は、この人の言動を思い出せば、非常に高いと思っていますが、あまりにも不意打ちの出来事だったので、私はこの男性の名前さえ聞くことができないまま、彼は笑顔で去ってしまいました。
今日まで、想像を超えた力で、全てを導き続けて下さってきた、天地創造主の神、主イエス=キリストに心より感謝いたします…!
しっかりと「幸せのかけら」を受け取り、ひるむことなく使命を受け止め、信じがたいほど勇敢に驚異的に頑張って、笑っちゃうほどに本当に「圧倒的にとんでもない人」だった、羽生結弦さんにも、笑顔と感謝を込めて…♪
トレイシーコーチが投稿して下さった、世界選手権2020モントリオールが中止になった後の、羽生選手からのメッセージ動画はこちらをクリック!一番左のジェイソン選手はユダヤ系アメリカ人、その隣のチャ選手は韓国人、羽生選手の隣のクラコワ選手はポーランド代表。
2020年3月の写真。この後 約1年ちょっとのコロナでの入国禁止期間を経て、羽生結弦がトロントに戻れたのは、北京五輪シーズンの2021年の8月半ば、カナダが外国人の入国解禁したすぐ後でした…!
北京五輪のショートの曲は、羽生結弦の希望のピアノ曲中心のクラシックから多数私から提案し、その中から、「滑っていて、自分が本当に幸せだと感じられる曲、一生後悔しない曲にしてほしい」と頼みました。技術妨害衣装の強要・その他の、アスリートに対して、あってはならない異常な人権侵害が続けられていたので、羽生結弦の心を最後まで徹底して守るためでした。
その結果、羽生結弦に選ばれたのが、サン=サーンスの「白鳥」で、ピアノ中心編曲の特別版を特別製作してもらい、2021年の8月には曲は出来、ジェフリー・バトル振付でトロントで完成させ、4回転アクセルとともに、羽生結弦の人生をかけたこれらの作品は、羽生結弦の人生をかけて、トロントで仕上げられていたのです。